目次
- 全米を震撼させたクリーブランド監禁事件
- クリーブランド監禁事件の概要
- 2013年5月6日被害者の女性と幼女が監禁から逃れ事件発覚
- 「16歳の頃に誘拐された」と語る
- 「他にも被害者が居る」と語る
- 通報により警察が駆けつけ、犯人を逮捕
- 同家から発見された2名も救出される
- クリーブランド監禁事件・第一の事件
- 2002年8月当時21歳のミシェルさんが実家を訪れる
- ソーシャルワーカーの元へ行く予定もミシェルは姿を現さなかった
- クリーブランド監禁事件・第二の事件
- 2003年当時16歳だったアマンダさんがバイト終わりに姿を消す
- クリーブランド監禁事件・第三の事件
- 2004年当時14歳だったジーナさんが親友と一緒に帰宅していた
- 住民総出で捜索が行われた
- 犯人・アリエル・カストロについて
- プエルトリコからの移民
- 社交的で音楽好き
- 妻との間に4人の子供が居た
- 身内からはモンスターと呼ばれていた
- 犯人・アリエル・カストロの生い立ち
- 1960年に誕生する
- 1980年代に結婚し、子供を儲けていた
- 1992年に事件現場となる家を購入
- 1993年に妻への暴力で逮捕される
- 1996年妻が子供を連れ家を出る
- 2012年就業不良で解雇になる
- 監禁時の様子
- 被害者たちは家の地下室に監禁されていた
- 暴力・性的暴力を繰り返し受けていた
- 女性達が妊娠をすると食事を与えず、暴行を与えた
- 犯人はわざと鍵をかけず3人を試していた
- クリーブランド監禁事件の真相
- アマンダが妊娠した際にはプール中で出産させた
- 犯人が家を離れる際にはアマンダとの子供を連れ出していた
- 家は常に施錠されていた
- 被害者らのその後の様子
- ミシェルさんの面倒はジーナさんの家族が見ることに
- ジーナさんの親友であり犯人の娘だった女性は謝罪
- 被害者らが犯人から逃げることができた理由
- 警察への批判が集まった理由
- 犯人・アリエル・カストロに下された判決
- 2013年9月3日犯人・アリエル・カストロ自殺
- 被害者3人のその後
- ミシェルさん
- アマンダさん
- ジーナさん
- クリーブランド監禁事件を動機とした埼玉少女誘拐事件
- 事件の概要
- 犯人について
- 被害者について
- クリーブランド監禁事件を知った日本人の反応
- 信じられない
- 希望を捨てないですごい
- 被害者たちの1日でも早い社会復帰を願う
via pixabay.com
カストロは身内からはモンスターと呼ばれていました。妻を階段から突き落としたり段ボール箱に詰めてふたを閉じたりしていたからです。
1993年に妻が脳手術を受けた際には回復中だった妻を死ぬ直前まで殴りました。1996年の別居後には電話で「殺す」と脅し続け養育権がないにもかかわらず娘を連れ去ったりしていました。
妻は2012年に脳腫瘍のため48歳の若さで亡くなっています。2005年に起こした家庭内暴力の訴状にはカストロの暴力で脳血栓ができていると書かれていました。
1993年に妻が脳手術を受けた際には回復中だった妻を死ぬ直前まで殴りました。1996年の別居後には電話で「殺す」と脅し続け養育権がないにもかかわらず娘を連れ去ったりしていました。
妻は2012年に脳腫瘍のため48歳の若さで亡くなっています。2005年に起こした家庭内暴力の訴状にはカストロの暴力で脳血栓ができていると書かれていました。
犯人・アリエル・カストロの生い立ち
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アリエル・カストロは1960年生まれで1980年代に結婚しています。4人の子どもにも恵まれ1992年には事件現場となる一軒家を購入しますがカストロのDVが原因で1996年に妻と子供は家を出ていきました。
2012年にはスクールバスのドライバーを解雇されています。カストロの生い立ちを見ていきましょう。
2012年にはスクールバスのドライバーを解雇されています。カストロの生い立ちを見ていきましょう。
1960年に誕生する
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カストロは1960年に9人兄弟の一人として誕生し、1979年に地元の高校を卒業しています。カストロの父親は2004年に亡くなりましたがそれまでは中古車販売の仕事をしていました。
叔父は現在も食料品店を営んでいてヒスパニック系住民が多く住んでいる地域の中心人物となっています。カストロ家はおおむね評判の良い一家でした。
カストロは1991年から地元のスクールバスのドライバーとして働き始めています。
叔父は現在も食料品店を営んでいてヒスパニック系住民が多く住んでいる地域の中心人物となっています。カストロ家はおおむね評判の良い一家でした。
カストロは1991年から地元のスクールバスのドライバーとして働き始めています。
1980年代に結婚し、子供を儲けていた
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1980年代に結婚して子どもは4人います。子どもの一人であるアンソニーは父親が逮捕されたことを受けて「私は今、父のいる刑務所に行こうかやめるか迷っています。彼は10年以上家族や周囲を騙してきました。私は彼を全く信用していない。息子として彼に会い、彼と彼のついた嘘に自分自身が向き合うべきかどうか迷っています。」と話しました。
しかしアンソニーが父と面会するか悩んでいる間にカストロは自殺してしまいます。
しかしアンソニーが父と面会するか悩んでいる間にカストロは自殺してしまいます。
1992年に事件現場となる家を購入
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1992年に事件現場となる家を購入しました。2階建てで寝室4つと地下室がある広さ130㎡の家です。誘拐された女性たちは当初地下室で監禁されていました。
地下室は分厚いコンクリートの壁で囲まれていて誰も女性たちの存在には気づきませんでした。カストロ自身がキッチンより奥の部屋や地下室には決して人を入れないようにしていたことも事件の発覚が遅れた原因の一つです。
女性たちは誘拐されたばかりの頃、地下室で足に鎖をつけられていました。
地下室は分厚いコンクリートの壁で囲まれていて誰も女性たちの存在には気づきませんでした。カストロ自身がキッチンより奥の部屋や地下室には決して人を入れないようにしていたことも事件の発覚が遅れた原因の一つです。
女性たちは誘拐されたばかりの頃、地下室で足に鎖をつけられていました。
1993年に妻への暴力で逮捕される
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1993年にカストロは妻への暴力で逮捕されましたが起訴はされずに釈放されています。1996年にも近隣住民とトラブルを起こして訴訟となり241ドルの支払いが命じられました。
妻への暴力は日常的なもので鼻を骨折させたり肩を脱臼させたりしたこともありました。カストロの息子も父親が非常に暴力的であったと語っています。
外では良い顔をしていてもむしゃくしゃすることが起きると妻に暴力を振るうのが常態化しているようでした。
妻への暴力は日常的なもので鼻を骨折させたり肩を脱臼させたりしたこともありました。カストロの息子も父親が非常に暴力的であったと語っています。
外では良い顔をしていてもむしゃくしゃすることが起きると妻に暴力を振るうのが常態化しているようでした。
1996年妻が子供を連れ家を出る
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1996年には妻が子どもを連れて家を出ていきました。しかし別居後も妻への脅迫が続いたため2005年には妻が家庭裁判所へ訴えて接見禁止処置が取られています。
カストロが誘拐を始めたのは家族を失ったストレスのためだと言われています。今までは妻に暴行を加えてストレスを発散していましたがはけ口がなくなってストレスが蓄積していったのでしょう。
離婚後も子どもたちはたびたびカストロの家を訪れていますが長居をすることはありませんでした。
カストロが誘拐を始めたのは家族を失ったストレスのためだと言われています。今までは妻に暴行を加えてストレスを発散していましたがはけ口がなくなってストレスが蓄積していったのでしょう。
離婚後も子どもたちはたびたびカストロの家を訪れていますが長居をすることはありませんでした。
2012年就業不良で解雇になる
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1991年から続けていたスクールバスのドライバーを2012年に解雇されています。運転中のトラブルを数回起こして警察沙汰になったこともあったためです。
具体的な原因としては交通違反や勤務中に車内で食事を取ったこと、子どもをバスに乗せたまま買い物へ出かけたことなどが挙げられます。
警察が事情聴取のために自宅を訪れたこともありましたが事件としての捜査は行いませんでした。解雇された後は定職に就かずにいたようです。
具体的な原因としては交通違反や勤務中に車内で食事を取ったこと、子どもをバスに乗せたまま買い物へ出かけたことなどが挙げられます。
警察が事情聴取のために自宅を訪れたこともありましたが事件としての捜査は行いませんでした。解雇された後は定職に就かずにいたようです。
監禁時の様子
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監禁当初は家の地下室に閉じ込められていました。繰り返し暴力を受けて妊娠をした場合には無理やり死産にさせられていました。
監禁時の様子について見ていきましょう。
監禁時の様子について見ていきましょう。
被害者たちは家の地下室に監禁されていた
via pixabay.com
監禁された当初は地下室で鎖につながれていましたがその後は鎖をつけず上の階で過ごすことを許されています。女性同士は別々の部屋に監禁されていて同じ場所で過ごすことはなかったようです。
事件発覚当時、ミシェルとジーナは2階の部屋に閉じ込められていました。部屋からは大量の鎖が見つかり窓には板が打ち付けられていて薄暗い状態でした。
また、来客がある際には口に靴下を詰め込まれた上で粘着テープを貼られていて助けを求めることができませんでした。
事件発覚当時、ミシェルとジーナは2階の部屋に閉じ込められていました。部屋からは大量の鎖が見つかり窓には板が打ち付けられていて薄暗い状態でした。
また、来客がある際には口に靴下を詰め込まれた上で粘着テープを貼られていて助けを求めることができませんでした。
暴力・性的暴力を繰り返し受けていた
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