2019年8月28日 更新

クリーブランド監禁事件の概要とその後!犯人の生い立ちについても

クリーブランド監禁事件は2013年にアメリカで発覚した事件で、女性3人が誘拐されて10年以上監禁されていました。犯人は社交的でしたが実際は妻へのDVで逮捕歴があり身内からはモンスターと呼ばれていました。事件の概要や犯人の生い立ちをご紹介します。

目次

Glass Shattered Window - Free photo on Pixabay (587453)

女性たちは暴力や性的暴力を繰り返し受けていました。食事は1日1回のみで与えられるのはファストフード店のハンバーガー1つだけでした。

シャワーは1年に1度しか浴びることが許されませんでした。カストロは逃げ出す気力を失わせるために洗脳も行っています。

例えばテレビのニュースを見せて女性たちが失踪したことに対する世間の関心が薄れていることをアピールしたことが挙げられます。女性たちに居場所はここしかないと思わせたかったのでしょう。

女性達が妊娠をすると食事を与えず、暴行を与えた

Pregnant Mother Body - Free photo on Pixabay (587454)

女性たちが妊娠をすると食事を与えずに暴行を加えました。ミシェルが初めて妊娠したときには腹部にバーベルを投げつけられたため流産しています。

また、2週間以上食事を与えずに流産するまで何度も殴られたこともありました。ミシェルは少なくとも5回妊娠していますが毎回死産で子どもが生まれることはありませんでした。

カストロはお気に入りだったアマンダが妊娠した際には出産を強要しました。栄養失調が原因で流産を余儀なくされた女性もいます。

犯人はわざと鍵をかけず3人を試していた

Key Metal House - Free photo on Pixabay (587456)

わざと鍵をかけずに3人を試したこともありました。通常は必ず南京錠に鍵をかけていたカストロでしたが、ある日足の鎖が外されドアの鍵も開けられたままになっていたのです。

しかし3人が脱出するためドアを開けたところカストロが待ち構えていました。3人は逃げだそうとした罰として暴力を振るわれました。

それぞれが誘拐された日には「誘拐記念日」としてパーティーを開き夕食をともにし、ケーキを食べていました。女性たちを馬鹿にしていることがよくわかります。

クリーブランド監禁事件の真相

Thought Idea Innovation - Free photo on Pixabay (587458)

クリーブランド監禁事件ではアマンダをプールで出産させたりカストロが自宅を離れる際はアマンダとの子どもを連れて出かけたりしていたことが明らかになっています。

女性たちが逃げ出さないように、監禁していることがバレないようにと非常に気を配っていたことは明白です。監禁中の行動について見ていきましょう。

アマンダが妊娠した際にはプール中で出産させた

People Baby Bear - Free photo on Pixabay (587459)

アマンダが妊娠した際にはカストロが用意したビニール製の子ども用プール内で出産させました。出産時の排出物が散らからないようにするためだったと言われています。

ミシェルに出産を手伝うよう指示を出し、子どもが死産だった場合はミシェルも殺すと脅しました。2006年12月25日に出産をして初め子どもの呼吸は止まっていましたがミシェルが懸命に人工呼吸をしたことで息を吹き返しました。

事件が発覚したときには子どもは6歳になっていました。

犯人が家を離れる際にはアマンダとの子供を連れ出していた

Father And Son Walking Love - Free photo on Pixabay (587460)

カストロは家を離れる際にアマンダとの子どもを外へ連れ出していました。近所に住む人はカストロが女児を連れているのを目撃しており、子どもについて尋ねると「ガールフレンドの子どもだ」と答えたそうです。

2011年11月にはアマンダが子どもを連れて泣いている姿が近所の住人に目撃され警察へ通報されましたが、警察は監禁されている女性たちに気づきませんでした。

カストロが住んでいた地区は黒人やヒスパニック系が多く住む貧しい地区だったことが警察が家の中まで調べなかった原因ではないかと言われています。

家は常に施錠されていた

Key Metal Entrance - Free photo on Pixabay (587463)

カストロの家は常に施錠されていました。重い扉がいくつもあり内側から開けられないように南京錠がつけられていました。

女性たちが保護された日は初めてカストロが重い扉の南京錠をかけ忘れた日だったのです。カストロは油断をして鍵をかけ忘れたままマクドナルドへ出かけていました。

そのおかげでアマンダは重い扉を開けることができ、玄関の隙間を足で蹴りながら助けを求めました。カストロが鍵をかけ忘れなければ現在も3人は監禁されたままだったかもしれません。

被害者らのその後の様子

Learning Hint School - Free image on Pixabay (587473)

救出された後、ジーナとアマンダは自宅へ戻りましたがミシェルは自宅へ戻らずジーナの家族が面倒を見ることになりました。

また、カストロの娘はテレビに出演して親友だったジーナに謝罪をしています。被害者たちのその後の様子を見ていきましょう。

ミシェルさんの面倒はジーナさんの家族が見ることに

Yellow Wall Girl - Free photo on Pixabay (587474)

ミシェルは家族から虐待を受けていたためジーナの家族が面倒を見ることになりました。事件後しばらくは入院していましたが退院後に母親に会うことも母親の住む家に戻ることも拒否しています。

双子の兄弟フレディーとは11年ぶりに再会を果たし「こっちにきてハグしてよ。久しぶりじゃない」と言いミシェルはとても喜びましたがフレディーはミシェルの肌が幽霊のように白くて非常に驚いたと言います。

病院を退院した後はそのままジーナの自宅へ行きました。

ジーナさんの親友であり犯人の娘だった女性は謝罪

Tv Television Retro - Free photo on Pixabay (587475)

ジーナの親友でありカストロの娘である女性はテレビに出演して泣きながら謝罪しました。事件が明らかになるまで父親が犯人だとは思いもせず、娘はカストロの自宅をたびたび訪れていたからです。

父親であるカストロは娘の親友が失踪した際には自ら捜査に加わっていました。失踪当時はスクールバスの運転手をしていたため子どもの安全のために自宅に入るまでを見届けることすらしていたのです。

捜索が縮小されていく中でもジーナの父親とカストロはともに捜索を続けていました。

被害者らが犯人から逃げることができた理由

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