2019年9月12日 更新

アカマタクロマタとは?タブーや過去に起こった事件についても

『アカマタクロマタ』と聞いて「お祭りだ!」とわかる人は少ないのではないでしょうか?一見かわいらしく聞こえるこのお祭りは、とてもシリアスなお祭りで、行方不明者や暴行事件などまで起きてしまうという沖縄の『秘祭』と言われるお祭りなのです。

目次

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毎年10月14日、大分県国東市国見町櫛来(くしく)にある、正式名称を『櫛来社』という『岩倉八幡社』で行われる火祭りが『ケベス祭』です。2000年12月25日には、国の『選択無形民俗文化財』に選択されています。起源も由来も不明の奇祭で、かつては旧暦9月14日に行われていたので、九月祭とも呼ばれました。

奇怪な面を着けた『ケベス』が、岩倉八幡社の境内に設けられた、燃え盛るシダの山を守る白装束の『トウバ』に9度突入を試みた後、棒でシダの山をかき回し火の粉を散らし突入しようとします。その後は『トウバ』も、火のついたシダを持ち境内を走り回り、参拝者を追い回します。
Fire San Juan Meigas Juans - Free photo on Pixabay (621515)

この際に「火の粉を浴びると無病息災になる」と言われています。『トウバ』=『当場』で、神社の氏子である10の集落が年ごとに輪番で務めます。『ケベス』=『蹴火子』が転じたとの言われています。

が!『ケベス』はヘブライ語で『子羊』(כֶבֶשׂ)を意味するため、イスラエルの失われた10支族や秦氏が関係する可能性があるとの説「日ユ同祖論」があると伝えられています。

パーントゥ

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パーントゥとは、沖縄県宮古島市の宮古島の『平良島尻』で、仮面をつけ強烈な匂いを放ち「塗られたら数日は臭いが取れない」という泥まみれになった来訪神『パーントゥ』が集落を回り、誰彼ところかまわず泥を塗りつけるという厄払いの伝統行事です。

『平良島尻』では、毎年「旧暦3月末~4月初」「旧暦5月末~6月初」「旧暦9月吉日」の3回、サトゥプナハ(里願い)が行われるのですが、3回目に来訪神『パーントゥ』が現れます。このため、3回目のサトゥプナハは「パーントゥ・サトゥプナハ、パーントゥ・プナハ」と呼ばれます。

親(ウヤ)パーントゥ、中(ナカ)パーントゥ、子(フファ)パーントゥの3体の来訪神が『パーントゥ』で、字島尻地区から選ばれた青年が仮面を着け、地元では『キャーン』と呼ばれる『シイノキカズラ』という蔓草をまとい、産まれ泉という意味の『ンマリガー』と呼ばれる井戸の底に溜まった泥を全身に塗り、夕刻に現れます。
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産湯にも死者を清める水としても使われた『ンマリガー』は、2017年に閉校した宮島小学校の東側にあります。パーントゥは、集落発祥の地=元島にある『ウパッタヌシバラ』という拝所で、5人の『ミズマイ』=神女に祈願した後「泥を塗ると悪霊を連れ去る」と、誰彼かまわず人や家屋に泥を塗りつけに集落を回ります。

数百年前、クバと呼ばれる『ビロウ』の葉に包まれた黒と赤の仮面が、島尻地区の『クバマ(クバ浜)』海岸に漂着し、村民はこの仮面を来訪神として崇敬し、ある男が共同体の秩序維持のために仮面をかぶり集落内の厄介者を引きずり回し駆け回ったことが『パーントゥ』の起源と言われています。

当然家の中は泥だらけになりますが『パーントゥ』は、特に新築の家や事務所には厄払いとして必ず訪れ、鍵のかかっていない家にが勝手に上がり込みます。島の集落にある氏神を祀る聖域『ムトゥ』にも乱入しますが、しきたりで『お神酒』の泡盛を振る舞われると、一時的に大人しくなります。
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『上野地区野原』では、旧暦12月最後の丑(うし)の日に、成年女性と少年のみが参加し、成年男性や少女は参加しない『サティパロウ(里祓い)』『サティパライ(さとばらい)』とも呼ばれる、臭い泥もない静かで形式が違う『パーントゥ』が行われます。

1名の少年がパーントゥの面を着け『ニーマガー』と呼ばれる井戸を出発し、他の少年達、2列に並んだ婦人達が続いて行列します。少年2名の少年がほら貝を吹き、1名が小太鼓を打ちます。

婦人は『マーニ』と呼ばれるクロツグや『タドゥナイ』と呼ばれるセンニンソウで作った草冠を頭に被り、両手に悪霊祓いの意味がある『ツッザギー』と呼ばれるヤブニッケイの枝を持ち、腰に草帯を巻きます。
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行列は集落の東にある『大御嶽前』で礼拝し「ホーイホーイ」と唱えながら集落内を行進して厄払いをし、集落の南西の端にある『ムスルンミ』に到着すると、草冠・草帯・小枝を外し、巻き踊りをして行事が終了します。

「パーン(食む)+ピトゥ(人)」が訛化した言葉『パーントゥ』=お化けや鬼神を意味し、インドネシアやミクロネシアでも似た祭りがあるそうです。

1982年「宮古のパーントゥ」として、両地区の行事が選択無形民俗文化財に選択され、1993年「宮古島のパーントゥ」として重要無形民俗文化財に指定され、2016年「来訪神:仮面・仮装の神々」のひとつとして国連教育科学文化機関(UNESCO)の無形文化遺産へ登録が提案され、2018年11月29日に登録が決定しました。

お祭りに纏わる怖い話

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祭(まつり)は「感謝・祈り・慰霊のために、神仏・祖先をまつる行為や儀式」で、供物などが捧げられ、祭祀・祭礼・祭儀、祀り・祭り・奉り・政りなどの漢字の表記により、用途や意味合いが異なるものです。

「まつり」という言葉は「神を祀ることや、その儀式」を指す「祀る」の名詞形で、漢字の流入により「祭り」「奉り」「祀り」「政り」「纏り」などの文字が充てられたそうです。

いずれにせよ、目に見えない「何か」が主役であるために、昔から「お祭りに纏わる怖い話」はたくさんあります。

村の年寄りに聞いた話

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「山の神」の祭りの日に、いつものように自分の山を見て回るために山に立ち入った男がいました。ふと辺りに「何ものか」の気配を感じ、思わず立ち止まりましたが、立ち止まった途端に、ものすごい力で肩を下に押さえつけられ、足が地面にズブズブと沈んでいくのです。

男はとっさに「ごめんなさい!」と謝ると、肩を押さえる力が一瞬弛んだので、その隙に逃げ出しましたが、後で年寄り達に呼び出され「もう少しで木にされるところだったんだぞ」とひどく怒られたそうです。

山の『おまつり』

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九年に一度、前もって選ばれた子供数人とそのお付の人たちが、普段は入山禁止の山に入って、とある儀式をするという風習がある集落がありましたが、選ばれる子もお付の人も女性限定で、その風習を『おまつり』と呼び「お祭り」でなく「お祀り」という字のものでした。

日の高いうちから、家の軒先に提灯を吊るし、日が落ちてきたら、家の明かりを全部消し、提灯の蝋燭に火をつけ、完全に日が暮れたら、巫女装束の子供とお付の人が行列になって各家を回り、提灯に灯った火を彼女らが持っている提灯に移していきました。

全部の家を回った行列は山の中に入り「広場で提灯の火に木で作った人形を翳し、その人形を広場に掘られた穴に落とし、長い呪文を唱えておしまい」という儀式をし、山を降り、集落の外れの集会所で一晩を過ごすのですが、その山には大きな穴があり「よくないもの」の溜まり場があると言い伝えられていました。
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「よくないもの」とは、他人の不幸とかそういうのを餌にしており、山から下りてきては里に禍をもたらすもので「里に禍をもたらされたら困る」と、こちらからその『餌』を集めて「よくないもの」を鎮めるという『おまつり(お祀り)』が必要だったそうです。

家の明かりを全て消して提灯に火をつけるのは、家にたまった九年分の「穢れ」を一箇所に集めるという意味なで、行列ともらい火は、その家の「穢れ」を一時預かる代表者=『人柱』だそう。今でこそ人形ですが、大昔は選ばれた巫女様一人に村中の穢れを押し付けて人身御供していたとか。

どうして日本人は祭りが好きなのか

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日本では、普段の日を『ケ』とよばれ、祭りは『ハレ』=特別の行事と呼ばれました。ケの日はつつましく生き、ハレの日には「つつましくしているエネルギーを発散させたい!」という気持ちが働くことで、楽しく感じる雰囲気になったそうです。

昔の政者は、倹約令は出しても、祭りや芝居を禁じ「膨大なつつましい負のエネルギーは、政治批判や一揆につながる」と大変恐れたため、民衆のストレスを発散させるために、祭りについては大目に見たり奨励されていました。

なので、祭りは「民衆のマスターベーション」であるとも言う人がいます。

昔からの言い伝えを信じている

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海外の人には「日本人は無宗教だ」と言う人が多いですが、そもそも「どんな物事にも神様宿る」と考える私たち日本人の感覚は、キリスト教やユダヤ教の外国人には理解できないでしょう。

日本では古代から「究極的な根源や存在を明確に何かに限定しない」と考えるので、様々な外来文化に対しても包容的な態度が取れるのです。

昔から「昔の人の言うことには一理ある」と伝えられ続けられ、体感することでますます真実味を帯びることで、昔からの言い伝えを信じる人が多いのです。

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