2019年10月15日 更新

オマイラサンチェスはなぜ助けられなかった?悲しい最期とは

1985年にネバドデルルイス火山でおこった噴火についてご存知でしょうか。この噴火で大勢の方が亡くなり、その中に13歳の女の子もいました。彼女が助かることを世界中の人が祈っていましたがなぜ助からなかったのか、その死因や目、最後に残した言葉もご紹介していきます。

目次

オマイラサンチェスの死因として3つ目に言われている死因は「衰弱死」です。当時オマイラサンチェスは13歳でした。

しかも、顔と手以外は冷たい水の中で下半身は動かすことができず、苦しい環境の仲でした。また、寝てしまうと低体温症になってしまうため、救助隊員たちは歌を歌って眠ってしまわないように励ましていたといわれています。

しかし、そのような環境の中、ずっと眠らずに過ごすには大人でも衰弱してしまうのではないでしょうか。オマイラサンチェスも元気に振る舞っていましたが実際はかなり衰弱していたといわれています。

オマイラサンチェスをなぜ助けられなかったのか

Girl Sitting Jetty - Free photo on Pixabay (709236)

当時は報道をみた世界中の人々が、オマイラサンチェスが助かるのを心のそこから願っていたと言われていますが、オマイラサンチェスは最後にはみんなにお礼を言って亡くなってしまいました。

3日間も、冷たい水と瓦礫に胸から下は挟まれていたオマイラサンチェスですが、一生懸命生きようとしていたオマイラサンチェスをなぜ助けてあげることができなかったのでしょうか。

ここでは、多くの救助隊がオマイラサンチェスの救助を試みたにもかかわらず、オマイラサンチェスを助ける事が出来なかったのかについて詳しくご紹介していきます。

救助隊の装備が不十分であった

Port-Au-Prince Haiti Rescuers - Free photo on Pixabay (709240)

オマイラサンチェスを助けることができなかった理由として1つ目に挙げられる理由は「救助隊の装備が不十分であった」からという理由です。

当時、救助隊は最低限の装備で救助活動を行っていたため装備しているものがかなり少なく、オマイラサンチェスを救出するには装備が足りていなかったといわれています。

また、最後の手段として足を切断するという方法もあげられていましたが、専門家がおらず実行までには至らなかったといわれています。

大勢の犠牲者が存在した

Desperate Sad Depressed - Free photo on Pixabay (709253)

ネバドデルルイス火山の噴火で、先ほどもご紹介したように21000人もの人が命を落としたといわれています。

町では突如電気が消え、人々は「火山が来る!」と叫びながら、戸を叩いたり、足で蹴ったりしていたといいます。町に住んでいた2万人以上の人々が飛び出し、自転車やトラックなどが狂ったように走り回り、轢き殺されたひともいるといいます。

不気味な闇の中で土の中に多くの人が埋もれてそれでも軟泥の上に顔を出せた人々も大勢いました。そんな人々も救助されるまでには何時間もの時間がかかったと言われています。

足場が悪く救助体勢を整えられなかった

Landscape Double Sun Rock Wall - Free image on Pixabay (709255)

オマイラサンチェスを助けることができなかった理由として、3つ目に挙げられている理由は「足場が悪く救助体勢を整えられなかった」という理由です。

地表はラハールによって泥沼のような状態だったといわれています。そのため、重機などの機械を投入することは出来ず、また掘り返そうともしましたが、オマイラサンチェスのまわりは土砂まじりの水に囲まれており、またがれきにも挟まれていたため、人の力では難しかったといわれています。

排水ポンプやヘリが出動できなかった

Helicopter Aircraft Scenic Flight - Free photo on Pixabay (709312)

オマイラサンチェスを助けることができなかった理由として4つ目に挙げられている理由は「排水ポンプやヘリが出動できなかった」という理由です。

排水ポンプで土砂交じりの水をかきだす方法も考えられましたが、先程もご紹介したように足場が悪く十季を投入することができなかったため排水ポンプを使った方法では救助出来なかったといわれています。

また、ヘリも出勤できず、上空からの援助もできなかったといわれています。

少女に女性の遺体がしがみついていた

Mom Daughter Family - Free photo on Pixabay (709320)

オマイラサンチェスを助けることができなかった理由として5つ目に挙げられているのは、「少女に女性の遺体がしがみついていた」からという理由です。

これは、オマイラサンチェスが亡くなったあと救助したときに分かったと言われている事実で、オマイラサンチェスの下半身が動かなかったのは瓦礫のせいでもあるのですが、腰のあたりに女性の遺体がしがみついていたのも原因だったといわれています。

この遺体はオマイラサンチェスの叔母で、オマイラサンチェスを守るために必死に抱きついて守っていたのではないかと考えられています。

東京消防庁が救助派遣を検討するも政治的問題により断念

Airline Architecture Buildings - Free photo on Pixabay (709321)

オマイラサンチェスを助けることができなかった理由として最後に挙げられている理由は「東京消防庁が救助派遣を検討するも政治的問題により断念」という理由です。

実は日本でこの報道をみた東京消防庁では現地へ救助隊を派遣するべく準備して、日本から救助工作車を貨物機で現地へ送り込もうと計画していました。

しかし、搭載する航空機の手配に時間がかかることや、現地での交通の問題などで結局間に合わず派遣されませんでした。しかし、それらの教訓から、現在ではすぐに現地へ送り込めるような仕組みに改善されています。

火山噴火被害がここまで大きくなった理由

Books Book Reading - Free photo on Pixabay (709325)

ネバドデルルイス火山が噴火し、その被害者の数は先ほどもご紹介したように21000人にも上りました。これはアルメロ町の人口の4分の3もの人口に上ります。

しかし、なぜここまで被害が大きくなってしまったのでしょうか。そこにはある「人災」が関係していたといわれています。

なのでここではなぜ火山噴火被害がここまで大きくなってしまったのかについて詳しくご紹介していきます。ネバドデルルイス火山の噴火について知りたい方は、ぜひ参考にしていただけたら嬉しいです。

噴火の予兆が一時沈静化したため専門家等の現地派遣を中断

Wanderer Backpack Hike - Free photo on Pixabay (709326)

火山噴火被害がここまで大きくなってしまった理由として1つ目に挙げられている理由は「噴火の予兆が一時沈静化したため専門家等の現地派遣を中断」したからという理由です。

1984年の11月に約140年ぶりの噴火活動を初めて、翌年の9月11日に水蒸気爆発により、ラハールが発生して西側の斜面を27km 流下しました。西側にはマニサレスという人口約35万人の歳がありましたが被害は受けませんでした。

しかしこれを受けてアメリカ地質調査所は火山性地震の専門家を現地に派遣しようとしましたが、コロンビア最高裁占領事件の影響で中止されていました。

当日祭りがあり近隣住民が駆けつけていた

Sparkler Fireworks Hand Fourth Of - Free photo on Pixabay (709340)

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