2019年10月15日 更新

オマイラサンチェスはなぜ助けられなかった?悲しい最期とは

1985年にネバドデルルイス火山でおこった噴火についてご存知でしょうか。この噴火で大勢の方が亡くなり、その中に13歳の女の子もいました。彼女が助かることを世界中の人が祈っていましたがなぜ助からなかったのか、その死因や目、最後に残した言葉もご紹介していきます。

目次

悲しみと強さを全世界に知らしめた1人の少女

Girl Walking Teddy Bear - Free photo on Pixabay (709000)

1985年の11月13日南米コロンビアにあるアルメロとい3万人近くが住む街で、多くの人の命を奪う出来事がおこりました。

そして、13歳の少女「オマイラ・サンチェス」もその中の1人でした。しかし、オマイラ・サンチェスは、悲劇の中でもひたすら救助を待ち続けたその姿から哀しみと強さを全世界に知らしめた1人の少女となり、人々の心に残り続けました。

今回は、そんなオマイラ・サンチェスについてご紹介していきます。

ネバドデルルイス火山の噴火

Mountains Panorama Forest - Free vector graphic on Pixabay (709001)

オマイラ・サンチェスという、まだ13歳の少女の命を奪ったのはある人災がきっかけだったといわれています。

その人災によって多くの人の命が奪われてしまったといわれています。ここでは、その人災について詳しくご紹介していきます。

オマイラ・サンチェスがなぜ命を落とすこととなってしまったのか、詳しく知りたい方は、ぜひ参考にしていただけたら嬉しいです。それではさっそく「ネバドデルルイス火山の噴火」について詳しくご紹介していきます。

アンデス山脈中にある活火山

Volcanoes Magma Lava - Free photo on Pixabay (709005)

南米・コロンビアのカルダス県にある案です山脈の中に「ネバド・デル・スイス火山」という活火山があります。「ネバド・デル・スイス火山」という名前の他にも、「ラ・メサ・デ・エルベオ」という別名があります。

また、地元、インディヘナの言葉でクマンダイとも呼ばれています。同国の火山のなかでもっとも北に位置しており、赤道直下でアリながら山頂付近は雪に覆われています。そのため噴火のたびに、火山噴出物による泥流「ラハール」が発生していました。

標高は5,321mで最近では2015年1月に噴火が怒っており、今も継続中だと言われています。

別名ラ・メサ・デ・エルベオ

Dawn Sun Mountain - Free photo on Pixabay (709037)

ネバド・デル・スイス火山は先ほどもご紹介したように別名があり7、その名前が「ラ・メサ・デ・エルベオ」という名前です。「ラ・メサ・デ・エルベオ」の意味については分かっていませんが、メサと言う言葉は、差別浸食によって形成されたテーブル状の台地のことを指しているそうです。

語源はスペイン語で、机やテーブル食卓の意味もあるようです。日本では屋島や荒船山などがメサと呼ばれる地形の例だと言われています。主に乾燥帯に発達する地形だとも言われています。

赤道直下ながら雪に覆われている

Wintry Backcountry Skiiing Ski - Free photo on Pixabay (709048)

「ネバド・デル・スイス火山」は北緯4度53分43秒西経75度19分21秒のコロンビアの中では最も北に位置しており、そして赤道直下にある山です。しかしながら山頂付近になると気温が低下して、雪に覆われているといわれています。

そもため、山のふもとと山頂ではその気温差が激しいとも言われています・ちなみに1936年に初めてM・Rappらが登頂に成功した山でもあります。

火山の種類は成層火山だといわれています。

噴火のたびに雪と火山噴出物によるラハールが発生する

Philippines Mt Pinatubo Trekking - Free photo on Pixabay (709056)

成層かざんとはほぼ同一の火口から複数回の噴火によって溶岩や火山砕屑物などが積み重なって形成された円錐状の火山のことだと言われています。

そんな「ネバド・デル・スイス火山」ですが、他にも大きな特徴があり、その特徴が噴火のたびに雪と火山噴出物によるラハールが発生するという特徴です。

このラハールは火山噴火によって直接的に引きおこされるときと、雨などにより2次的に引き起こされる場合の2種類があるのですが、ネバド・デル・スイス火山の噴火では直接的におこります。

直接的に引き起こされる場合は、大量の水分を含んでいるために流下スピードが非常に早く、時速100キロを超えることもあると言われています。

1595年に噴火し636人の死者を出す

Volcano Hawaii Lava - Free photo on Pixabay (709012)

そんな「ネバド・デル・スイス火山」ですが、過去には1595年に噴火し、「アルメロの悲劇」という災害がおこりました。これにより、多くの人がラハールに巻き込まれて636人もの死者がでました。

このアルメロの悲劇以降、近隣の住民からは、このネバド・デル・スイス火山は、「眠れる獅子」と呼ばれるようになりました。

この時から、「ネバド・デル・スイス火山」を知る多くの人がネバド・デル・スイス火山の噴火を恐れるようになっていました。

1845年に二度目の大噴火を起こし1000人の死者を出す

Guy Man People - Free photo on Pixabay (709015)

そして、1595年の噴火から250年後の1845年にネバド・デル・スイス火山で2度目の噴火がおこります。ラハールによりまたしても636人の死者が出ることとなりました。

2回の噴火を合わせると、約1000人もの死者がでたことになります。ラハールは日本では噴火泥流も含めて広く「土石流」と呼ばれています。台風などでもラハールは起こります。

しかし、噴火でできるラハールは噴火で溶かされたゆきと火山灰が一緒になって傾斜をすごい勢いで流下してくると言われています。

1985年11月三度目の本格的な噴火が起こる

Ashes Volcano Eruption - Free photo on Pixabay (709018)

そして1984年の11月に、ネバド・デル・スイス火山では約140年ぶりに火山活動を開始します。そして翌年の1985年11月13日の15時過ぎに本格的な噴火が起きます。そして21時頃に最高潮に達します。

噴火自体は「やや大規模(火山爆発指数0から8区分中3)」なものでしたが、この噴火の際に発生した火砕流によって、ゆきや氷が溶けだし東側斜面に大量のラハールが発生しました。

流下したラハールは最大幅50mに及び、発生から2時間半で100㎞以上の距離を流下して、アルメロの町を直撃しました。

死者数2万人以上

Tomb Remember Death - Free image on Pixabay (709023)

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