2019年10月15日 更新

オマイラサンチェスはなぜ助けられなかった?悲しい最期とは

1985年にネバドデルルイス火山でおこった噴火についてご存知でしょうか。この噴火で大勢の方が亡くなり、その中に13歳の女の子もいました。彼女が助かることを世界中の人が祈っていましたがなぜ助からなかったのか、その死因や目、最後に残した言葉もご紹介していきます。

目次

この噴火による被害は大きく、当時の人口が28700人だったのに対して、その約4分の3にあたる21000人もの人が死亡しました。

これを含め、噴火による死者は23000人となりました。事前にコロンビア国立地質鉱山研究所がハザードマップを作成していましたが、誰もそれを注視することはなかったと言われています。

アルメロの街では多くの人が、泥に埋まったまま身動きがとれなくなってこのように多くの死者がでました。

負傷者や家屋の損壊など大きな被害を出す

House Real Estate Building - Free photo on Pixabay (709026)

当時の人口が28700人だったのに対して、その約4分の3にあたる21000人喪の人が亡くなった1985年11月13日に起こったネバドデルルイス火山の噴火ですが、これによりたくさんの負傷者や家屋の損壊などの大きな被害もでました。

負傷者は5000人、家屋の破壊は5000棟と言われています。これは20世紀における噴火で2番目に大きな被害を出した噴火となっています。(第一位は1902年に起こったプレー山の噴火)

現在、アルメロの町は被災地の北約8kmに移転しており、旧市街地は再建されることはなく墓地として保全され、今でも多くの遺体が眠っています。

噴火から3日間戦い続けた13歳少女が話題となる

Human Woman Girl - Free photo on Pixabay (709031)

このように1985年に起こった噴火では、アルメロの町に住む人々が火山灰に埋もれて身動きが取れなくなり、救助も行えないまま多くの人が亡くなりました。

その中でも噴火から3日間戦い続けた13歳少女が話題となりました。彼女は下半身水中で挟まり、首と手だけが水の上に出た状態で救助を待ち続けていました。

しかし、救助できずに3日後の11月16日に衰弱死しました。ひたすらに救助を待っている彼女の写真と、息を引き取ったあと水の中に沈んでいく映像は世界中に報道され、災害の衝撃と悲劇を全世界の人々に伝えることとなったのです。

ネバドデルルイス火山への疑問

Little Girl Computer Portable - Free photo on Pixabay (709082)

そんな多くの人々の命を奪い、13歳の少女オマイラサンチェスの命も奪ったネバデルスイス火山の噴火ですが、その悲劇の後に残ったのは世界中の人々の疑問でした。

なぜ、オマイラサンチェスを助けることが出来なかったのかという疑問や、なぜここまで大きな被害になってしまったのかなど多くの疑問が投げかけられていました。

この1985年に起こった噴火は災害ではなく"人災"と言われています。この人災という言葉にこそ、ここまで被害が拡大してしまった理由が隠れていたのです。ここではそんな疑問について詳しくご紹介していきます。

なぜ少女を助けられなかったのか

Hands Cohesion Together - Free photo on Pixabay (709085)

オマイラサンチェスは顔と手だけが出た状態でひたすらに救助を待ち続けていました。そんな報道をみた人々からは、当然なぜ救助することができなかったんだという声が多く上がりました。中には最悪足を切ってでも救助できたのではないかという声もありました。

しかし、周辺の足場がなく重機を投入することは不可能で、掘り返そうにも彼女の周りは土砂まじりの水に囲まれていたそうです。また、瓦礫にも挟まれていたといいます。

そのため、救助したくてもすることが出来なかったといわれています。

なぜ被害がここまで拡大したのか

Car Traffic Man - Free photo on Pixabay (709088)

オマイラサンチェスを何故助けることが出来なかったのかという理由に続いて、2つ目に多かった疑問がなぜ被害がここまで拡大してしまったのかという理由でした。

生還を果たした人によると、この噴火が起こる前に再び噴火が起こる可能性が警告されていたが、以前から偽情報が多く流れていたそうです。そのため信憑性がなくなりあまり聞き入れられなかったそうです。

また、市民のパニックを恐れた市長は、ラジオで噴火は無いと終始放送を続けており、またその日はお祭りが行われており、近隣の住民も駆けつけていたことから被害が大きくなってしまったと言われています。

なぜ検索してはいけないのか

Student Typing Keyboard - Free photo on Pixabay (709089)

ネット上では「オマイラサンチェス」という言葉が検索してはいけない言葉としても出てきます。

それは、映像が衝撃的で亡くなってしまう数時間前の写真も検索すると出てくる為だと言われています。実際に写真を見た人は「亡くなる数時間前の写真とかいてありますが、子供が苦しむのは悲しくて悔しくなります」との意見がありました。

そのため、面白おかしい気持ちで気軽に検索してはいけないという意味で、この「オマイラサンチェス」は検索してはいけないと言われています。

嘘の情報を流した人々は罰せられなかったのか

Police Cop Uniforms - Free photo on Pixabay (709092)

人口の4分の3もの人がなくなってしまうきっかけとなってしまった噴火ですが、嘘の情報を流した人々は罰せられなかったのか疑問に思っている方も多いのではないでしょうか。

偽情報を流してしまった人については不明ですが、市民のパニックを恐れて、ラジオで噴火は無いと終始放送を続けていた市長は、この噴火によって亡くなってしまったようです。

それほど、被害は大きく世界中の人々に噴火の怖さや悲劇を伝えた噴火だったといわれています。

オマイラサンチェスの最期

Young Girl Mystical Black And - Free photo on Pixabay (709112)

下半身は水中で、顔と手だけが出た状態で3日間救助を待ち続けた、オマイラサンチェスですが、当時報道をみて、オマイラサンチェスについて知った方や、ネットで険悪しておマイラサンチェスを知った方は、オマイラサンチェスについて詳しく知りたい方も多いのではないでしょうか。

なのでここでは、オマイラサンチェスがどんな少女だったのかや、オマイラサンチェスが救助を待ち続けているときの様子、また、オマイラサンチェスの最後についても詳しくご紹介していきます。

オマイラサンチェスについて知りたい方は、ぜひチェックしていただけたら嬉しいです。

弟思いの優しい少女

Brothers Family Siblings - Free photo on Pixabay (709115)

オマイラサンチェスは1972年8月29日生まれで、被災したのは13歳の時でした。弟想いの優しい少女だったようです。

その優しさは救助を待っている時の彼女の様子からも、ひしひしと伝わってきたと言われています。そんな彼女の優しさに報道をみた世界中の人々がどうか助かってほしいと願っていたといわれています。

オマイラサンチェスのお母さんと彼女の弟は生き残りましたが、オマイラサンチェスのおとうさんと祖母は亡くなってしまったと言われています。

将来の夢は看護師

Doctor Medical Medicine - Free photo on Pixabay (709118)

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