2019年7月22日 更新

奈良県月ヶ瀬村中学生殺人事件の動機や原因となった村の風習

奈良県で当時中学生だった浦久保充代さんが殺害された事件は、犯人が村八分にされていたことが原因だとして話題になりました。犯行の動機や村の風習、現在の月ヶ瀬村についてご紹介します。また犯人がどのような差別を受けていたのかについても見ていきましょう。

目次

Redwood National Park California - Free photo on Pixabay (498467)

月ヶ瀬村は昔からの風習が色濃く残る地域です。お茶が有名な地域であることから村民のほとんどは茶摘み農家で、農地を持たない丘崎家は差別の対象となりました。

村の風習やしきたりがより差別を際立たせています。月ヶ瀬村の風習やしきたりを見ていきましょう。

与力制度

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月ヶ瀬村には与力制度があります。与力制度とは五人組制度が源となっているとされていて、家のことは何でも与力に相談しなければならないとしています。

与力とは親戚以上に頼りになる権威ある存在で、冠婚葬祭を取り仕切ったり喧嘩や土地の境界争いの仲介、他人に迷惑をかけた場合に親類代表としてお詫びをするなどの決まりがあります。

与力がない丘崎家は何もしてもらうことができず、区入りできないことは村八分にされることとイコールでした。

村人のほとんどが茶摘み農家

Tea Hand Fresh - Free photo on Pixabay (498472)

村民はほとんどが茶摘み農家でしたが丘崎家は土木関係の仕事をしていたため浮いた存在として扱われました。月ヶ瀬という地域は品質の良いお茶の産地として知られています。

日本でお茶の収穫が一番遅い地域としても有名で1番茶を摘むのは6月です。土が良質であることからお茶はミネラルを豊富に含んでいて現在でも月ヶ瀬のお茶は有名です。

ほとんどの村民が茶摘み農家だったことから農地を持っているのが当たり前で、ボロボロの家に住み農地ももっていない丘崎家は馬鹿にされました。

丘崎誠人の母親の証言

Bullying Stop Violate - Free photo on Pixabay (498473)

母親は「地区民から、家が焼けたり、人が死んで葬式ができなくても、それだけは村で寄ってやってやる、それ以外はつきあわない、と言われた」と裁判所で証言しています。

区入りはさせてもらえないのに地区の負担金は支払うよう村民に言われていて、労働奉仕にも参加するよう命じられていました。

地区の集会への参加や地区役員を選任する機会を与えられたことは一度もありません。区入りは「みなさんと一緒にこれからお付き合いしていくということ」だとされているので村人たちは仲良くする気がなかったということです。

丘崎誠人の中学卒業後

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丘崎誠人は不登校のまま中学を卒業してアルバイトを始めましたが仕事はどれも続きませんでした。仕事を辞めた後は実家でゲームやビデオにのめり込むようになります。

県外の風俗にも通い車で頻繁に出かけていました。中学卒業後の様子を詳しく見ていきましょう。

仕事はどれも続かず

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中学卒業後は奈良県内の測量会社でアルバイトを始めます。中学の同級生らには「この村が嫌いや、出て行ったら二度と戻らん」と話していました。

勤務して半年が過ぎた頃に大阪にある専門学校へ入学しますが卒業することができずに中退して、その後は職を転々とするようになりました。

東京へ上京して調理師の見習いを始めましたが続けることができずわずか1年で村へ戻ってきます。その後は親戚が営む左官へ勤めましたが退職、親戚が口添えしてくれて働きだした工務店もすぐに辞めてしまいます。

ゲームやビデオや風俗にのめり込む

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仕事が続かないのはテレビゲームをして朝早く起きることができないからだと丘崎は言いました。徐々に働かなくなり、ゲームやビデオ、風俗にのめり込むようになります。

特に滋賀県雄琴の風俗街には度々出かけていました。事件にも使われた車は事件を起こす2か月ほど前に父親が買い与えたものです。

毎日車を乗り回していたため、車を売却するまでの3か月間の走行距離は5000kmに達していました。村の外へ頻繁に出かけていたことがわかります。

丘崎誠人の人柄

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丘崎誠人はアルバイトをしている間、遅刻を繰り返し注意されると怒り出す性格でした。注意をされるとやる気を失い仕事を放り出してしまうのです。

両親が放任主義であまり丘崎のことを叱らなかったことから、怒られることに慣れていなかったのではないかと推測されています。

親戚が営む会社で働きだした時も怒られると不機嫌になってしまい仕事が続きませんでした。丘崎の唯一の安らぎは車で音楽を聴くことだったと言います。

丘崎誠人の裁判やその後

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裁判では村民が差別の事実を否定しましたが、差別が行われていたことは誰の目にも明らかでした。丘崎は犯行を認めたため無期懲役が確定します。

その後被害者の月命日に刑務所内で自殺をしました。最後まで弁護士に心を開くことはなく、自殺の理由もわかっていません。

裁判では村人が差別の事実を否定

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裁判で村人は差別の事実を否定したものの誰もが差別の存在を認識することとなりました。差別の実態が明らかになるにつれて世間からの風向きに変化が生じたと言います。

しかし差別されていたからといって中学2年生の少女を殺めたことに情状酌量の余地はなく、第一審では懲役18年が求刑されました。

検察が不服として控訴をして第二審では無期懲役が言い渡されました。弁護団は最高裁に上告して差別について取り上げてもらおうとしており、上告の準備を進めました。

無期懲役が確定

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