2021年5月20日 更新

オウムシスターズの現在とは?長女と苫米地英人の結婚の経緯も

オウム真理教の広告塔として活躍していたオウムシスターズという美人4姉妹がいたことをご存知でしょうか。それぞれ長女・次女・三女・四女の結婚や逮捕、それぞれの現在の生活について紹介していきます。主な女性信者の行動とともにご確認ください。

目次

当時話題となったオウムシスターズ

Sisters Summer Child - Free photo on Pixabay (707333)

オウムシスターズとは、オウム真理教の広告塔のような役割をしていた4人組の女性のことです。当時は、まるでアイドルかのように扱われていたこともありました。

オウムシスターズである4姉妹は、実際の姉妹で本名は「清原」という姓です。ですが、現在はそれぞれ結婚などをして姓は変わっているものと思われます。

謎に包まれているオウムシスターズとは一体何なのか…そしてオウムシスターズは現在何をしているのかについて追求していきましょう。オウムシスターズの当時の恋人についてなど、様々なことに触れていきます。

オウムシスターズとは

Summer Little Girls Children - Free photo on Pixabay (708229)

具体的に、オウムシスターズとはどのような人なのか、そしてどんな目的で集まった団体なのか…など詳しく解説していきます。

オウム真理教に一家で入信した

Prayer Bible Christian Folded - Free photo on Pixabay (708234)

オウムシスターズとは、一家総出でオウム真理教に入信し、そして1989年に出家をした4姉妹のことです。家庭生活を捨てて、オウム真理教の信者となったのです。

もともと美人姉妹だと言われていた4人だったため、後にオウム真理教の広告塔のような4人組となっていきました。「オウムシスターズ」と名付けたのはマスコミだと言われています。

マスコミがもてはやすことによって、どんどん有名になっていきました。オウムシスターズが有名になりつつあるころ、オウム真理教は選挙に出馬するようになりました。ただしそれに落選が続いてしまい、結果的にそれが原因で武装化がぐっと加速していったのです。

出家前はオウム真理教名古屋支部の在家信徒だった

Cemetery Peace Angel - Free photo on Pixabay (708294)

オウムシスターズは、出家前はオウム真理教の名古屋支部の在家信徒でした。在家とは出家せずに生活を営みながら宗教に帰依する者のことを言います。

名古屋支部はオウム真理教内では「名古屋道場」と呼ばれていました。愛知県,三重県,岐阜県、そして長野県の在家信徒を指導していた拠点です。

道場に設けられている祭壇の周辺には、麻原彰晃の写真が飾られていました。また、「ひかりの輪名古屋支部」と呼ばれることもあり、CDやDVDの販売を事業内容とした収益事業の事務所としても使われていたのです。

長女は教団の世界記録達成部に所属していた

Mosque Abu Dhabi Travel - Free photo on Pixabay (708367)

オウムシスターズの長女は、オウム真理教の「世界記録達成部」に属していたようで、マラソンの世界記録を樹立することを目指していました。これは別名「オウム真理教陸上競技部」と呼ばれていて、オウム真理教の名前が入ったユニフォームを着て活動していました。1992年には「オウムクラブ」という名前で東京陸上競技協会に登録しました。ただし、現在は登録は抹消されています。

主な部員はオウムシスターズで、他には長期間指名手配され逃亡していた菊地直子を含む6人で構成されていました。菊地直子は東京国際女子マラソンに出場まで果たしました。

1989年秋に出家をした4人姉妹

Sunset Sun Sisters - Free photo on Pixabay (708381)

オウムシスターズとは、1989年の秋に出家をした美人4人姉妹のことで、それぞれに「ホーリーネーム」が存在します。ホーリーネームとはオウム真理教の出家信者にのみ与えられる名前のことで、祝福名とも言われているものです。

そのため、ホーリーネームが存在している信者は、信者の中でも出家していて、さらにある程度の地位まで上り詰めた信者のみでした。オウムシスターズは、4人姉妹全員で出家したわけですから、当時のオウム真理教内でも非常に話題になったはずですし、それをマスコミが取り上げようとするのも頷けますね。

宗教アイドルとして注目を集めた

Orange Sky Sunset - Free photo on Pixabay (708526)

オウムシスターズは、オウム真理教が「真理党」として1990年の第39回衆議院議員総選挙に出馬した際に「彰晃マーチ」の音楽に合わせてガネーシャの帽子をかぶって街宣車の上で踊りました。

それをマスコミが取り上げたことで「オウムシスターズ」の名前が一気に有名になりました。麻原彰晃を筆頭に、この選挙には25人が立候補をしましたが、25人全員が落選しました。この落選がきっかけで「国家の陰謀だ」と武装化が加速してしまったのです。

オウムシスターズ4人姉妹について

Fantasy Beautiful Dawn - Free photo on Pixabay (708561)

次は、オウムシスターズそれぞれについて触れていきます。それぞれホーリーネームがつけられています。そして、どんな役割だったのかなど、深く追求していきます。

長女・ソーマー

Girl Sadness Loneliness - Free photo on Pixabay (708570)

まず、オウムシスターズの長女である本名は清水教代のホーリーネームは、「ソーマー」です。4姉妹全員美しいですが、その中でも引き立ってスマートで美しい容姿をしています。

長女というだけあって、下の妹たちを引っ張っていかなければいけない!という気持ちもあったことでしょう。ですが、オウムシスターズの長女は、一度逃亡をしてしまったこともあります。教団施設からの逃亡は、とても大掛かりなことのように感じますが、当時はどうしても逃亡したいと思うようなことがあったのでしょう。それは後に恋人の存在があったからだと言われています。

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