2021年5月20日 更新

オウムシスターズの現在とは?長女と苫米地英人の結婚の経緯も

オウム真理教の広告塔として活躍していたオウムシスターズという美人4姉妹がいたことをご存知でしょうか。それぞれ長女・次女・三女・四女の結婚や逮捕、それぞれの現在の生活について紹介していきます。主な女性信者の行動とともにご確認ください。

目次

松本サリン事件に関与

Police Crime Scene Blue Light - Free image on Pixabay (710850)

富田隆は松本サリン事件の実行犯の一人です。実行犯たちは、1994年の6月27日にサリン噴霧車と富田隆が運転する護衛部隊に分乗し出発をしました。

車内では「魔法使いサリー」の歌を歌っていたと言われています。隠語でサリンを表していたようです。その後、22時に噴射を決行しました。

松本サリン事件は、阪神淡路大震災があったことにより、最終的にうやむやになってしまいました。そのため、後に彼らは、阪神淡路大震災に匹敵するような事件を起こそうとして、地下鉄サリン事件を実行してしまうのです。

1994年に教団を脱走するが出頭し逮捕

Squad Car Police Lights - Free photo on Pixabay (710886)

富田隆は、1994年12月17日に当時交際していたオウムシスターズの長女とともに教団から脱走しています。富田隆に空手などを教えていた、端本悟が逃走の手配をしたのです。

その後、愛知県名古屋市港区にまで逃げてパチンコ店に住み込みで働いていました。ですが、その後逮捕状が出たことを知り、1995年6月16日に警視庁麹町警察署へ出頭しています。

富田隆は、後にオウムシスターズの長女と結婚をしたいと考えたから逃走したと発言しています。実際に、麻原彰晃に結婚の許可を得ようと申し出たこともあったようです。

懲役17年の判決を受ける

Blue Light Siren Police - Free image on Pixabay (710898)

富田隆は出頭した後に、殺人罪・殺人予備罪等で起訴され、1996年の5月に行われた裁判の罪状認否では麻原彰晃のことを呼び捨てにしながら批判していたようです。そして、1998年6月12日の第一審では無期懲役が求刑されました。自ら出頭したことが功を奏し、懲役17年の判決が下されたのです。

2001年12月25日に刑は確定し、服役中は大分刑務所に収監されていました。そして、2013年5月には刑期を終えて出所しています。

オウム真理教の主な女性信者とは?

Hindu Malaysia Asia - Free photo on Pixabay (710911)

オウム真理教にはオウムシスターズ以外にも、女性信者がたくさんいました。そんな女性信者について追求していきます。それぞれどんな役割だったのか、現在は何をしているのかについて触れていきましょう。

村岡達子

Nature Green Trees - Free photo on Pixabay (711001)

村岡達子は1988年にオウム真理教に入信しました。そして、同年12月に出家しています。上智大学外国語学部を中退していたこともあり英語が得意だったため、麻原彰晃の海外渡航の際の通訳を担当していました。

1995年のオウム真理教事件の際には、麻原彰晃の妻である教団代表の代行だった松本知子が逮捕されたことによって、村岡達子が代表代行に就任しました。教団の解散後も代表代行の地位はそのまま続いており、2000年2月4日にアレフが発足された際に代表となりました。その後2002年1月29日にはアレフの会長にまで就任しています。

2011年6月にはアレフを脱会していますが「今でも麻原彰晃のことを好きで仕方ない」と発言したこともあるようです。

飯田エリ子

Writing Write Person - Free photo on Pixabay (711039)

飯田エリ子は、神奈川県横浜市出身の元オウム真理教幹部です。ホーリーネームはラクシュミーでしたが、のちにサクラーとも呼ばれています。東日本のオウム真理教信者を統括する「東信徒庁長官」という役割でした。

そして、ヨガサークルである「オウム神仙の会」を作ったメンバーの一員です。入信前は病弱だったこともあり、健康のために1984年に麻原彰晃のヨーガ教室に通いはじめました。

会社の同僚の石井久子を誘いそのまま入会し、出家しました。同教団幹部の岡﨑一明とは恋愛関係にあったようです。さらに、お布施を集める才能があり、なんと1ヶ月で2億も集めたと言われています。

石井久子

Window View Sitting Indoors - Free photo on Pixabay (711049)

石井久子は上記で説明した飯田エリ子の会社の同僚です。保険会社で働いていました。麻原彰晃のヨーガ教室に通い始めたことがきっかけとなり入信し、その後1986年6月に出家しました。

オウム真理教教団の広告塔としても有名でした。麻原彰晃の愛人の一人で、麻原彰晃との間に子供が3人います。1989年の坂本堤弁護士一家殺害事件では遺体の処理に参加しています。

1990年に国土法違反事件で一時逮捕され、1995年には犯人隠避容疑で再逮捕されています。その他様々な罪に問われ、懲役4年の実刑判決を受けています。そしてそれがきっかけで教団は離脱しました。

鹿島とも子

Holiday Woman Only - Free photo on Pixabay (711053)

鹿島とも子は18歳で日劇ダンシングチームに入団し芸能活動をしていましたが、1982年に事故で脊椎を損傷したことで芸能活動を停止しました。リハビリ中の1989年にオウム真理教を知り入信しました。オウム真理教放送のラジオ司会をつとめたり、広告塔として活動していました。1994年には、当時芸能活動を再開させていたにも関わらず、出家するために引退すると宣言しています。

その後、長女拉致監禁事件で1995年に逮捕されました。懲役2年、執行猶予4年の刑を受け、拘置中にオウム真理教を脱会しています。2002年には芸能活動を再開させています。

この鹿島とも子の長女はオウム真理教に対して否定的でした。しかし、1994年に飯田エリ子と井上嘉浩が「お母さんが待っているから」と嘘をつきオウム真理教の富士山総本部へ連れていったのです。その後、睡眠薬入りのジュースや電気ショックにより、拉致された記憶を消そうとしました。ですが、1995年には無事救出されたようです。

オウムシスターズは現在一般人として生活している

Beauty Women'S Woman - Free photo on Pixabay (711063)

かつてオウム真理教の広告塔して活躍していたオウムシスターズは、現在ではそれぞれ完全なる一般人として暮らしています。

現在何をしているのかは一切わかりませんが、三女が言うにはそれぞれと連絡をとっていて元気に暮らしているとのことです。一般人としての普通の幸せを掴んで、平穏に暮らしているものと思われます。

当時は洗脳されていたわけですから、現在では洗脳も解かれて普通の女性としての日々を送っていることでしょう。

5 / 5

関連する記事 こんな記事も人気です♪