2021年5月20日 更新

オウムシスターズの現在とは?長女と苫米地英人の結婚の経緯も

オウム真理教の広告塔として活躍していたオウムシスターズという美人4姉妹がいたことをご存知でしょうか。それぞれ長女・次女・三女・四女の結婚や逮捕、それぞれの現在の生活について紹介していきます。主な女性信者の行動とともにご確認ください。

目次

入信の大きなきっかけは「新実 智光」

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端本悟がオウム真理教に入信するきっかけとなった人物に「新実智光」が大きく関わっていると言われています。端本悟は入信する前には「オウム真理教の信者は弱虫の集まり」と言うほどオウム真理教に対して否定的でした。

ですが、麻原彰晃の説く教えにあっという間に感化されてしまいました。そして1988年に入信したのです。新実智光に対して、高飛車な態度で様々な疑問をぶつけたところ、新実智光が「入信しましょう」と冷静に誘ってきたのです。

その冷静な対応に「この人は悟りを開いている」と思ったようです。端本悟の両親は、息子がオウム真理教に入信することをかなり心配したようですが、「いざとなったら逃げなさい」と伝えて入信することを許可したのです。

出家後の生活について

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端本悟の出家後の生活は、オウム広島支部で営業に従事しており、1989年10月からは真理党選挙活動の、特別班メンバーである「ふくろう部隊」になりました。このふくろう部隊として、夜中にジャージ姿で敵対する候補者のポスターを剥がす行為をしていました。

また、教団内の武道大会では、空手の部門で優勝しています。そうした経験から選挙特別班の所属から麻原彰晃を警備するための警備班となり、新実智光と同居する個室生活に変わりました。それまでは、他の信者たちと雑魚寝生活をしていたのです。

その後、1991年12月に特殊潜航艇の操縦士役になりましたが、潜航艇があまりにも鑑定来な作りだったために沈没するなどの騒ぎを起こしていました。

坂本堤弁護士一家殺害事件の実行犯

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1989年11月2日に端本悟は、坂本堤弁護士一家殺害事件の実行犯として抜擢されたと知らされました。これは、先ほど紹介した武道の腕を買われたのだそうです。早川紀代秀から「とにかく坂本堤弁護士を殴るように」と言われたようで、当時は殺しに関わるわけではなくて、ただ殴るだけなんだと自分に言い聞かせていたようです。

11月4日午前3時頃には坂本堤弁護士宅に侵入し、一家を襲撃しました。坂本堤弁護士の妻に膝落としをし、坂本堤弁護士の首を岡﨑一明が締めている時には足をおさえつけ、その後遺体の遺棄を手伝いました。

松本サリン事件の実行犯

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端本悟は松本サリン事件の実行犯でもあります。富田隆、中村昇の3人でサリン噴射中の警備を担当しました。最初は、まさか死人が出るとは思っていなかったようです。

実行犯とは言えども、サリンを噴射しても周りの人たちが鼻水が出たりするくらいのものだと思っていたのです。後になって死者が出たことを知り愕然としたと言われています。

サリン事件に関しては、「何も考えていなかった」「仕返しのようなものだと思っていた」などと後に発言しています。

逃走していたが逮捕・死刑判決を受ける

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サリン事件の後、オウムシスターズの次女と中村昇とその恋人の4人で逃走していました。ですが、1995年7月9日に埼玉県大宮市にあるウィークリーマンションで逮捕されました。

法廷では冷静に極刑を覚悟していると述べ「麻原に騙された」「麻原は許せない」などと怒りを表していたようです。坂本堤弁護士を殴ったことに関して涙ながらに語ることもあったようです。ですが死刑が確定し、松本サリン事件の実行犯の中では、初めて死刑判決が確定しました。オウム真理教事件全体では、死刑が確定するのは4人目でした。

2018年7月26日死刑執行

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端本悟は2018年7月26日に死刑が執行されました。51歳の時でした。死刑が確定したあとは、再審請求をするようなこともなく、文学書や哲学書を読んで過ごしていたのだそうです。獄中では、無思考でいることにしていたようです。「考えると崩れるのがわかっている」などと発言していたようです。2018年7月6日に麻原彰晃の死刑が実行された後に、「いろんな人に迷惑をかけた」と言ったようです。

出家をすると決めた時に、止めることができなかった端本悟の母親は「こんな結果になって悲しい」と声を詰まらせました。

長女の当時の恋人・富田隆について

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次は、オウムシスターズの長女が当時付き合っていた富田隆について触れていきます。富田隆と次女の恋人である端本悟も深く関わりがありました。

1994年12月にオウムシスターズの長女と富田隆の脱走を手引きしたのが次女の恋人であった端本悟だったのです。オウム真理教内で恋愛をすることは禁止とされていました。

それでも麻原彰晃は今のうちに結婚をしていた方がいいなどと説いたこともあったようで、焦って結婚を決めた人も多くいたようです。

1986年オウム真理教に入信

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1958年5月21日生まれ、青森県出身の富田隆は1986年にオウム真理教に入信しました。ホーリーネームはシーハです。1976年に、日本大学理工学部建築学科に入学しました。

ですが、家業であった建築会社が倒産したことをきっかけに1981年に中退しています。その後様々な職を転々としていました。時には社交ダンスの講師をしていたこともありました。

ですが、1986年にヨーガの修行に魅力を感じてオウム真理教に入信したのです。

1988年5月1日に出家

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富田隆は1988年5月1日に出家をしました。教団内では、次女の当時の恋人である端本悟、中村昇らと同様、武道に長けた者として評価されていました。

高校時代から極真空手をしていたこともあり、上京後には佐藤勝昭という日本の空手家に入門していたこともあったのです。そして、武道だけではなくてオウム真理教が製作している音楽劇の「死と転生」では主演をつとめています。1990年には第39回衆議院議員総選挙に出馬しましたが落選しています。

サリンプラント建設事件に関与

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サリンプラント建設事件とは、サリン事件に使用するためのサリンを大量に生産するために、山梨県上九一色村にある宗教施設である「第7サティアン」内に、サリンを製造するためのプラントを建設したという事件です。

教団内では、「ウパヴァーナプロジェクト」と言われていました。サリン事件に使用されたサリンはそのプラント内で製造されたものだと言われていましたが、実際には製造までには至っていないことがわかりました。

事件で実際に使用されたサリンは、別のクシティガルバ棟やジーヴァカ棟、そして反応釜で製造されたものだと言われています。

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