2019年8月17日 更新

サイコパスが起こした過去の衝撃的な事件12選!海外の事件も

凶悪な犯罪が増えるにつれ、その存在が注目されるサイコパスですが、あなたは本当の意味で「サイコパス」を理解していますか?この記事では,、過去にサイコパスが起こしたとされる日本国内と海外での事件をもとに、サイコパスの真実の姿を解き明かしていきます!

目次

女子高生コンクリート詰め殺人事件

Chains Feet Sand - Free photo on Pixabay (535914)

17歳の少女が誘拐され、1988年11月から1989年1月の約40日間に複数の人間から強姦・暴行され、殺害後はドラム缶にコンクリート詰めされ遺棄されたこの事件は、その残忍さと逮捕された加害者が全員未成年だったことが社会に大きな衝撃を与えました。

加害者が15歳から18歳の未成年だったため、刑は5年から20年の懲役刑となりました。厳罰を望む声も多く、少年法の是非が議論されましたが、当時はまだ少年の更生を重要視する風潮が強く、今と比べると刑が軽かったと言わざるをえません。

懲役刑を終えた加害少年4名中3名は出所後、それぞれ殺人未遂・振り込め詐欺・逮捕監禁致傷の容疑で再逮捕されています。更生期間であるはずの刑期を終えても、彼らは完全に更生できたわけではなかったようです。

広島LINE殺人事件

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2013年6月広島県で起こったこの事件は、SNSアプリ「LINE」での喧嘩が殺人にまで発展したことや、加害者7名中6名が16歳だったこと、加害者の約半数が被害者と会ったこともないのに殺人に加担したことなどが世間を驚かせました。

主犯の少女は普段から怒りの感情がコントロールできず、暴力をふるうこともよくあったそうです。家族との関係は良くなく、同じく加害者となった他の少年・少女と同棲し、彼らを「ファミリー」と呼んでいました。

事件後約1か月はいつもと変わらない生活を続けていましたが、死体を確認に行って、そのあまりの悲惨さに動揺し自供を決め、事件が発覚しました。ですが他の友人に「出所後はまたあそぼーね」とLINEするなど、深い反省はみられませんでした。

過去に実際にあったサイコパス事件【海外】

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サイコパスは世界中に存在し、人口の約4%という研究結果がありますが、地域差・人種差も指摘されていて、日本を含む東アジアのサイコパス率は0.1%未満といわれています。

カナダの犯罪心理学者ロバート・D・ヘアは白人のサイコパス率は高いとしていて、欧米でのサイコパス研究は日本よりも進んでいます。100年以上も前からサイコパスが起こしたと思われる事件の研究もおこなわれています。

今回はその欧米で起こった事件をいくつか紹介します。日本と違って、狂気の矛先が肉親や知人だけでなく、広範囲の人間に対して向けられた事件が多いことに、地域や人種の違いを感じるところがあります。

メアリー・ベル事件

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1968年5月、イギリスで4歳の男の子が絞殺されましたが、犯人はなんと10歳の女の子メアリーでした。ですが、子供の力では首を締めても跡が残らず、警察は最初事故死として処理してしまいました。

メアリーはこれに不満を感じ、保育所を荒らしたり、警察に対し他殺であることを匂わせる挑発的なメモを残したりしましたが、もともと虚言癖があったため真剣に取り合われず、2か月後11歳になったメアリーは2度目の殺人を犯します。

3歳の男児が犠牲となったこの事件でメアリーは、犯人しか知り得ない凶器について証言したため逮捕されました。逮捕後も「弱い者を痛めつけるのが好き」と発言するなど凶悪性が見られましたが、22歳には出所し現在は匿名権で守られ、どこかで普通の生活を送っています。

殺人ピエロ、ジョン・ゲイシー

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アメリカで1972年~1978年の間に、少年を含む33名を殺害したとされるこの事件は、犯人のジョン・ゲイシーがパーティーなどでピエロに扮することが多かったことから「殺人ピエロ事件」といわれることもあります。

少年時代はボーイスカウトに入り、資産家でチャリティー活動にも熱心な模範的市民だと思われていたジョンですが、26歳の時に少年との性交で訴えられてから、徐々に彼の異常性が露わになります。

少年に性的暴行を加えては殺害し、その遺体を自宅地下や近くの川に遺棄していたことが発覚した当時は、犠牲者の多さにアメリカ中が震え上がりましたが、実際の犠牲者はもっといるともいわれ、ジョンの死刑が執行された今も調査は続いています。

稀代の殺人鬼、テッド・バンディ

Tucumcari New Mexico Motel - Free photo on Pixabay (535922)

ジョン・ゲイシーとほぼ同時期に現れた殺人鬼テッド・バンディは、大学時代にひとりの女性にフラれたことが引き金となり、女性への倒錯した性衝動が殺人へと向かわせ、犠牲者は30名以上にのぼりました。

彼は甘いマスクと巧みな話術で女性を誘い殺人を繰り返していましたが、狙うのはいつも大学時代に自分を振った女性に似た長髪の美人でした。逮捕後、裁判で自分の弁護のため饒舌に語る姿がテレビに映し出されると、多くの女性ファンができたといいます。

最後まで罪を認めず、2度も脱獄を図ったテッドですが、1989年に死刑が執行されました。彼の犯行が「シリアルキラー」という言葉を広めたり、より詳細な「全米殺人データベース」作成のきっかけになったといわれています。

ロシアの食屍鬼事件

Art Artwork Sculptor - Free photo on Pixabay (535933)

1978年~1990年にかけて、旧ソビエト連邦とその周辺国で52名を殺害し、1994年に銃で処刑されたアンドレイ・チカチーロは1936年ウクライナ生まれで「ロシアの食屍鬼」「赤い切り裂き魔」などと呼ばれています。

少年時代に戦争を体験し、周りで大量の餓死者が出る中、人が人の死体を食べる光景も目の当たりにしたチカチーロは、40歳を過ぎてから殺人を始めました。被害者を切り刻むことで快感を得、その一部を食べることもあったといいます。

チカチーロは仕事で遠方に出かけた際に男女問わず殺人をおこなっていたため、同一犯の犯行となかなか気付かれず、12年もの間蛮行を繰り返していました。銃殺後、彼の脳は日本人に買い取られたということです。

ブルックリンの吸血鬼事件

Moon Night Sky Lunar - Free photo on Pixabay (535939)

第二次世界大戦前のアメリカでは400名以上が犠牲となったと言われる連続殺人事件がありました。満月の夜に犯行がおこなわれることが多かったため、犯人アルバート・フィッシュは「ブルックリンの吸血鬼」「満月の狂人」 などと呼ばれます。

孤児院で育ったフィッシュは、罰として鞭で打たれることに快感を覚え、成人してからも自ら自分の体に針を刺したり、釘のついた板で叩いて欲しいと家族に願うなど、サドマゾキズムが顕著だったといわれています。

1910年~1934年もの間に多くの子供を暴行後に食べていたというフィッシュは、58歳で殺した10歳の少女の家族に突然犯行を告白する手紙を送り、逮捕されました。手紙の中で、少女をシチューにして9日間かけて食べた、と述べています。

パリ人肉事件

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この事件はパリで日本人留学生の佐川一政が起こした事件ですが、フランスで心神喪失として不起訴処分を受けたため、日本でも起訴できず、一時期の佐川はテレビ出演や雑誌の連載を持つなどタレントのような扱いを受けていました。

当時32歳だった佐川は友人である25歳のオランダ人女性を射殺し、屍姦後に彼女の肉を食べ、残りの遺体を池に捨てようとしたところを見つかり逮捕されましたが、通訳ミスで精神疾患があるとみなされ不起訴のまま日本に帰ってきました。

殺人を犯しても通常の市民生活を送る佐川に対し、多くの人々は強い反感を持ちましたが、一部の好奇の目で彼を見る人々に乗せられる形で、彼は多くの本の出版などをおこないました。現在は脳梗塞の後遺症でほぼ寝たきり生活を送っているようです。

サイコパスが残した発言集【日本】

Living Room Couch Sofa - Free photo on Pixabay (559218)

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