2019年5月25日 更新

仙台女児連続暴行事件の詳細と判決!犯人高山正樹の生い立ちと現在も

仙台女児連続暴行事件をご存知でしょうか?2000年(平成12年)、宮城県仙台市で女児ばかりを狙った暴行事件が多発しました。事件の犯人として逮捕されたのが高山正樹です。死亡者を一人も出していない事件で無期懲役の刑が確定したこの事件ですが、その全貌とは?

目次

家庭内で暴力を振るうようになる

Fear Woman Stop Violence Against - Free photo on Pixabay (271944)

ずっといじめに耐えてきた影響からかは定かではありませんが、高山正樹は成長するにつれ家庭内で暴力を振るうようになっていきました。

自分より力の弱いものに対して暴力を振るう高山正樹の残虐性は、この頃に培われていったものなのでしょうか?しかし、どんな理由があっても暴力が許される理由にはなり得ません。

母親にかけた保険金で生活する

Packs Pile Money - Free image on Pixabay (271946)

あろうことか母親に保険をかけて暴力を振るい、その保険金を巻き上げて独り占めしました。高山正樹は定職につかず、その保険金を食い潰して生活していたのです。

日常的に母親に暴力を振うというだけでもその人間性を疑いますが、保険をそのように利用しようと考えるなど、性根が相当歪んでいたことが推察されます。

欲情の目覚め

Sunset Dog Dogs - Free image on Pixabay (276725)

1996年頃、高山正樹は自宅付近の河川敷で犬の散歩をしていた小学校高学年の女の子を見つけ、その女子児童が好みのタイプであったことから一緒に散歩するようになりました。

この時高山正樹は女子児童に対して何もしていないのですが、その女子児童に欲情したのがきっかけで、次第に年齢の低い女児を欲情を満たす対象として見るようになったのだと逮捕後に供述しています。

1997年に初めての犯行を行う

Illustration Stalking Violence - Free photo on Pixabay (271949)

高山正樹が初めて犯行に及んだのは1997年頃、酔っ払って外出した際に小学校高学年くらいの綺麗な顔立ちをした女子児童を見つけ、人に見つからない場所に連れて行き、着衣の上から胸を触ったのが始まりだったといいます。

もしこの時、高山正樹が酔っ払っていなければ、この被害女児に出会っていなければ、以降の恐ろしい事件は起こらずに済んでいたのかもしれません。

とはいえ、この時の興奮で箍が外れてしまった高山正樹は、この犯行を皮切りに己の性衝動のままに女児に暴行を繰り返すようになるのです。

初めての犯行後4日に1回の頻度で女児暴行を行う

Composing Monkey Woman - Free photo on Pixabay (271955)

初めての犯行以降、高山正樹は4日に1回程度のペースで自分好みの女児を探しに行ってはセックスを試みようとするようになったといいます。

常習的、連続的に犯行を行うことによって高山正樹の手口はどんどん巧妙化していきます。自分の性欲を満たすことしか考えない身勝手で残虐な犯行を繰り返していくのです。

一部では高山正樹はサイコパスではないか?との憶測もありますが、その真意の程は定かではありません。

裁判の様子

Beverley Guildhall - Free photo on Pixabay (272427)

高山正樹の裁判は2002年に始まり、2004年に刑が確定しています。第1回の公判以外での高山正樹の主張はずっと変わらず、その主張は刑が確定した今でも変わることはないのです。

奇行の数々で、高山正樹は裁判に関わる人々を煩わせ続けます。それでは高山正樹の裁判とは一体どのようなものだったのか見ていきましょう。

起訴内容

Books College Cover - Free photo on Pixabay (272523)

1999年3月10日から2000年8月1日までの約1年5ヶ月の間に、犯行当時3歳から10歳であった11名の女児に対して行った4件の強姦未遂、5件の強制わいせつ、2件の強姦致傷の事案で高山正樹は起訴されます。

45人の女児に対しての犯行ビデオがあり、余罪があるとして被害人数は100人以上との推察もあるものの、実際の起訴内容は11件にとどまりました。

第1回公判では認める

Guy Man People - Free photo on Pixabay (272528)

2000年10月12日の第1回公判の冒頭手続きで、起訴状に記載された公訴事実について高山正樹は「間違いないと思います」と、述べていた。

しかし、弁護人は「何度も接見に行ったが、公訴事実についての認否ができなかった」旨を述べ、高山正樹の意見を留保しました。高山正樹が公判で罪を認めたのは、後にも先にもこの時だけです。

第2回公判では精神異常を装い刑の減刑を求める

Wheelchair Disability Injured - Free photo on Pixabay (272536)

2000年11月9日の第2公判、高山正樹は車椅子で入廷し、起訴状が読み上げられ罪状認否を求められても、首をうなだれたまま黙って何も語ることはありませんでした。これ以降、高山正樹は精神異常を訴え、刑の減刑を求め続けることになります。

弁護人から訴訟能力の有無についての鑑定を求める意見書が提出され、2000年12月22日、仙台裁判所は一人目の医師を鑑定士として選任しました。

鑑定士による鑑定結果

Medical Record Health - Free photo on Pixabay (280538)

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