目次
- 日本一スパルタ指導で有名な「日生学園」
- 日生学園とは
- 日生学園の歴史
- 全寮制の共学校
- 校風・教育方針
- 所在地・偏差値
- 学園長「青田強」について
- 日生学園で起きた過去の暴力事件
- 1985年に内部告発で発覚
- スパルタ指導で過激な暴力
- 自殺者・死亡事故にまで発展
- 学校側は改善しなかった
- 行政指導が入った
- スパルタ指導の内容とは
- 「刑務所」と呼ばれていた
- マラソン
- お菓子・雑誌持込禁止
- 校内の上下関係
- 男女交際禁止
- 修学旅行などの娯楽行事はない
- 「しばき」の存在
- スパルタ指導は生徒だけではなかった
- 当時の日生学園生徒の1日のスケジュール
- 水・日曜以外は朝4時起床
- 登校前の心行をする
- 集団登校し学園生活の1日が始まる
- 放課後は心行・歌・自習などをする
- 自由時間は一切ない
- 当時の日生学園生徒の日曜のスケジュール
- 日曜は朝7時起床
- 朝食をとり歌を歌う
- 寮へ戻り自習
- 当時の日生学園の変わった風習
- 休み時間はトイレ以外で席を立ってはいけない
- 下級生は先輩のおかわり・お茶当番
- 雨具の所持禁止
- 私語厳禁
- 学校の歌が10曲ある
- 制服には種類がある
- 現在の日生学園
- 未だに根付いている風習もある
- 指導は穏やかになっている
- 日生学園を卒業した有名人
- 浜田雅功さん
- 今田耕司さん
- 現在は平穏な学校生活が送られている
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いつもは朝4時起床ですが日曜は朝7時起床となります。普段より3時間も多く眠ることができたので辛い毎日の中で日曜日を心待ちにしている生徒は多かったでしょう。起床後のスケジュールは点呼、洗顔、着替えでした。
朝食をとり歌を歌う
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朝食後は歌を歌います。歌は10曲ほどあるので毎回違う歌を歌っていたそうです。10曲覚えるだけでも最初は大変だったでしょう。
しかし大声で歌うのでそのうち頭が勝手に覚えてしまうのですね。
しかし大声で歌うのでそのうち頭が勝手に覚えてしまうのですね。
寮へ戻り自習
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その後は寮へ戻り自習をしていました。日曜は自習の後に1.5~2時間ほど昼寝をする時間をもらえたそうです。夕食後に再び自習の時間が取られていました。
自習をすることが多かったですが日曜はたまにイベントがありました。月に一回行われたマラソン大会や校内清掃、団体訓練です。団体訓練とは小太鼓の音に合わせて足を90度直角にしながら走るというものです。走った後は日生学園オリジナルの体操をしました。
日曜まで休むことなく走ったり清掃したりするのは大変ですね。
自習をすることが多かったですが日曜はたまにイベントがありました。月に一回行われたマラソン大会や校内清掃、団体訓練です。団体訓練とは小太鼓の音に合わせて足を90度直角にしながら走るというものです。走った後は日生学園オリジナルの体操をしました。
日曜まで休むことなく走ったり清掃したりするのは大変ですね。
当時の日生学園の変わった風習
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当時の日生学園には変わった風習がありました。きちんとした理由がないなど理解できない風習ばかりですが当時の生徒は体罰を受けないために決まりを守っていたのです。
どのような風習が存在したのか見ていきましょう。
どのような風習が存在したのか見ていきましょう。
休み時間はトイレ以外で席を立ってはいけない
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休み時間はトイレへ行く以外の理由で席を立つことは禁止されていました。予習復習の時間にあてるよう教師から言われていたそうです。
休み時間だけは近くに教師がいないため雑談をする者もいましたが、たまに教師が見回りをした時に雑談がばれると怒鳴られたり殴られたりしました。
唯一の休み時間くらい人と話したり自由にしたいものですが日生学園ならではの厳しい決まりがあったのです。
休み時間だけは近くに教師がいないため雑談をする者もいましたが、たまに教師が見回りをした時に雑談がばれると怒鳴られたり殴られたりしました。
唯一の休み時間くらい人と話したり自由にしたいものですが日生学園ならではの厳しい決まりがあったのです。
下級生は先輩のおかわり・お茶当番
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食事の際に下級生は上級生のおかわりをよそったりお茶を注いだりしなければなりませんでした。常に上級生の動きを気にしなければいけないため、ゆっくり食事をすることはできなかったのです。
上級生がお茶を飲んだらすぐに減った分を注ぐなど気を利かせる必要がありました。もし気を利かせられないと寮へ戻った時に不満を言われてしまうからです。
食事の味はあまり美味しくなかったそうですが、成長盛りの高校生なので我慢をして食べていました。飲食物の持ち込みも禁止されていたため食堂で出される食事でお腹を満たすしか方法はなかったのです。
上級生がお茶を飲んだらすぐに減った分を注ぐなど気を利かせる必要がありました。もし気を利かせられないと寮へ戻った時に不満を言われてしまうからです。
食事の味はあまり美味しくなかったそうですが、成長盛りの高校生なので我慢をして食べていました。飲食物の持ち込みも禁止されていたため食堂で出される食事でお腹を満たすしか方法はなかったのです。
雨具の所持禁止
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雨具の所持は禁止されていました。傘も禁止されていたため雨が降っても雪が降っても濡れるしかなかったのですが、風邪を引いて40度の熱を出しても病院へ連れて行ってもらえなかったそうです。
雨具の所持が禁止されていた理由はわかりません。見つかると没収されてしまい、没収されるとほとんどのものは生徒の元へ帰ってくることはありませんでした。
実家に送り返されることもあったようです。現在では信じられないことばかりですが当時はこの指導が当たり前だったのです。
雨具の所持が禁止されていた理由はわかりません。見つかると没収されてしまい、没収されるとほとんどのものは生徒の元へ帰ってくることはありませんでした。
実家に送り返されることもあったようです。現在では信じられないことばかりですが当時はこの指導が当たり前だったのです。
私語厳禁
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休み時間や食事中ですら私語は禁止されていました。何か用事がある時は小声ですばやく話をしなければなりませんでした。高校は友情をはぐくむところですが私語が禁止されていては友情を深めることもできません。
しかし私語を話すと罰を受けるため生徒たちは私語を慎んでいました。
しかし私語を話すと罰を受けるため生徒たちは私語を慎んでいました。
学校の歌が10曲ある
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学校でよく歌われる歌は10曲あったと言われています。校歌、紀伊の山脈、建学の歌、寮歌、応援歌、10周年記念賛歌、銅像の歌、日生言4000号達成時の記念歌、銅像建立の歌です。
建学の歌は二つのバージョンがあったので合わせて10曲となりました。歌う際は吹奏楽の演奏に合わせて大声で歌わなければならなかったため、卒業後も歌詞を忘れられない人が多いようです。
建学の歌は二つのバージョンがあったので合わせて10曲となりました。歌う際は吹奏楽の演奏に合わせて大声で歌わなければならなかったため、卒業後も歌詞を忘れられない人が多いようです。
制服には種類がある
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現在の青山高等学校の制服は2007年に一新されました。日生学園第一高等学校の卒業生である永澤陽一氏のデザインです。当時は靴や靴下まで学校指定のものがあり、年に二回許される帰省のための服まであったため私服を着る機会はありませんでした。
寮内ではジャージの着用が義務付けられていて学年ごとに色がありました。唯一、パジャマだけは自由だったようですが派手な色のものは不可とされていたのです。
権力者と呼ばれる人は制服にわからない程度のアレンジを加えることが許されていましたが下級生がアレンジをしようものならすぐに呼び出されていたでしょう。
寮内ではジャージの着用が義務付けられていて学年ごとに色がありました。唯一、パジャマだけは自由だったようですが派手な色のものは不可とされていたのです。
権力者と呼ばれる人は制服にわからない程度のアレンジを加えることが許されていましたが下級生がアレンジをしようものならすぐに呼び出されていたでしょう。
現在の日生学園
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