2019年9月8日 更新

いじめが引き起こしたと言われる悲劇の事件!少年達の生い立ちも

コロンバイン高校銃乱射事件をご存知でしょうか?この事件はコロンバイン高校の生徒2人が学校で銃を乱射し、たくさんの死傷者が出た事件です。この事件はいじめが引き起こしたと言われています。何が彼らをそこまで追い詰めたのか、事件の概要や犯人の詳細をまとめてみました。

目次

コロンバイン高等学校で起こった悲劇

Youth Weapon Pistol - Free photo on Pixabay (615376)

1999年4月20日にアメリカコロラド州のコロンバイン高等学校で起こった惨劇をご存知でしょうか?事件発生から20年が経った今、この事件のことを知らない人もいるのではないでしょうか。

死者13人、重軽傷者24人を出したコロンバイン高校銃乱射事件。本来なら命が危険にさらされることなどない学校で、次々と未来ある若者たちの命が奪われていきました。しかも、銃を乱射したのは、同校に通う生徒でした。

なぜ、このような悲劇が起こってしまったのでしょうか。犯人の少年たちを犯行へ駆り立てたものは何だったのでしょうか。アメリカの学校内銃乱射事件の中では三番目となる被害者数を出したこの事件の詳細をまとめてみました。

コロンバイン高校銃乱射事件の概要

Weapons Danger Pistol - Free photo on Pixabay (601465)

コロンバイン高校銃乱射事件の概要を簡単にご紹介します。悲劇の舞台となったコロンバイン高等学校では、楽しいはずのランチタイムが一変し、逃げ惑う生徒たちを銃弾が襲いました。

鳴り止まない銃声。目の前で次々と人が撃たれていく現実。次は自分が殺されるかもしれないという恐怖と絶望に震え上がる生徒たちに、犯人の少年たちは容赦なく銃口を向けました。

時間とともに事件が風化していく中で、今もなお、この事件は被害者たちの記憶の中で再生され続けています。精神的・身体的な後遺症に悩んでいる人も少なくありません。

犯人は2人

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この事件の犯人はコロンバイン高等学校に在学している2人の少年でした。2人とも4年生(アメリカの高校は4年制。日本でいうところの高校3年生にあたる)で、卒業まであと数か月でした。

エリック・ハリスは当時18歳、ディラン・クレボルドは当時17歳でした。2人がいつ出会ったのかは定かではありませんが、野球をはじめとするスポーツ観戦、ゲームやパソコンなど、共通の趣味を持っていたことから親友になったと考えられています。

理数系の能力が高かった2人は新しいガジェットなどに目がなかったと言われています。その一方で、2人は文学にも興味を持っていました。ハリスはたくさんの文学作品を読んでいましたし、クレボルドには文章を書く才能がありました。

ハリスの殺人予告ウェブサイト

Password Mask Matrix - Free image on Pixabay (601564)

エリック・ハリスは1996年からアメリカオンラインに作成したウェブサイトでブログを書いていました。最初のうちは、彼の家族や友人や学校に関する考えが書き込まれていたり、ディラン・クレボルドを含む友達たちとの思春期ならではいたずら行為が書かれたりしていました。

そんなどこにでもあるようなブログの内容に変化が見られるようになったのは、1997年に入ってからでした。ハリスのブログには社会に対する怒りが綴られるようになり、爆弾の製造方法やグラウンドゼロになる場所を見つけることが唯一の問題とするような記事も投稿されました。

1998年にはクラスメートのブルックス・ブラウンの殺害を予告する内容のブログを書き、ブラウンの両親が警察に通報しました。しかし、ウェブサイトを見た警察の不手際で、このウェブサイトは放置されてしまいました。詳しくは、後述の警察の過失で解説しています。

事件のだいたいの経過

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ハリスのウェブサイトの発覚から1年が過ぎた1999年4月20日、ハリスとクレボルドがグラウンドゼロになる場所として選んだのが、コロンバイン高校のカフェテリアでした。そして、ハリスとクレボルドは学校の西側の丘の階段の最上部から次々と発砲し始めたのです。

その場所で一通り発砲をし終えた2人は西入口から校内に入り、図書館に向かって歩き出しました。この時、図書館には生徒52人、教師2人、図書館のスタッフ2人がいました。図書館に入ったハリスとクレボルドは、テーブルの下に隠れている生徒たちに次々と発砲していきました。

そして、図書館を出た後、2人は科学室、カフェテリア、南廊下、北廊下と歩を進め、あてもなく発砲を繰り返しました。最終的に図書館に戻ってきたハリスとクレボルドは、外にいる警察官と窓越しに銃撃戦を繰り広げた後、そのまま図書館で拳銃自殺しました。

犯人はいじめを受けていた

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ここからは犯人の少年たちが犯行に及んだ原因とされるいじめについて解説していきます。当時のコロンバイン高等学校ではいったい何が起こっていたのか、彼らが受けていたいじめとはどのようなものだったのか、まとめてみましたので、見ていきましょう。

彼らはいじめを受けていた

One Against All - Free photo on Pixabay (603844)

アメリカの学校では生徒間の身分制度であるスクールカーストが日本よりも強く根付いており、不良グループや野球部・サッカー部などのメジャーな運動部に所属しているカースト上位の生徒たちが、おたくやぼっちなどのカースト下位の生徒たちを虐げることはよくあることでした。

アメリカでは教師や大人もカースト上位の生徒を特別扱いする傾向があり、コロンバイン高等学校も例外ではありませんでした。カーストの最下層にいたハリスとクレボルドは、日常的にカースト上位の生徒たちやその取り巻きの生徒たちの標的になっていたのです。

いじめの内容

Lockers School Protect - Free photo on Pixabay (603879)

ハリスとクレボルドはカースト上位の生徒やその取り巻きの生徒たちから、日常的に「おかま野郎」と呼ばれたり、小突かれたりしていたと言われています。車の中から何かを投げつけられたのを目撃した生徒もいます。

他にも、ハリスは軽度の漏斗胸だったため、体育の授業などでシャツを脱ぐのを嫌がるのを見て笑う生徒もいたようです。ハリスはロッカーの中に閉じ込められたこともありました。

サッカー部の生徒たちがカフェテリアでハリスとクレボルドを囲み、「おかま野郎」と呼びながら、ケチャップやマスタードを浴びせていたのを見た生徒もいます。その時、カフェテリアには教師もいましたが、止めることはありませんでした。教師がいじめを黙認するのもまた日常的にあったことのようです。

トレンチコート・マフィア

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ハリスやクレボルドのように標的となっている生徒は他にもいました。カースト上位の生徒から毎日のように罵られたり蔑まれたりしていたカースト下位の生徒の一部は、自警団を結成して、自分たちのことを「トレンチコート・マフィア」と称するようになりました。

ハリスとクレボルドはこのトレンチコート・マフィアのリーダーと共通の友人でした。事件発生当時には、トレンチコート・マフィアに所属していた生徒たちはすべて卒業したり退学していて学校にはいませんでした。

トレンチコート・マフィアのシンボルマークが黒色のトレンチコートだったこと、事件当時に2人が黒いトレンチコートを着ていたことから、ハリスとクレボルドがこの集団の一員と思われていた時期もありますが、2人は所属していなかったようです。

彼らもいじめを行っていた

Anger Impotence Oppression - Free photo on Pixabay (603869)

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