2019年9月7日 更新

宮地佑紀生が起こした事件とは?逮捕の理由や復帰後の現在の様子も

宮地佑紀生は長年ラジオ界でパーソナリティーを務めていました。しかし、とある事件を起こし逮捕されてしまいました。その理由とは何だったのでしょうか。そして現在は復帰していますが、その事件に関しての真相は分かっているのでしょうか。事件について徹底解説していきます。

宮地佑紀生が生放送中に起こした事件

Paper Messy Notes - Free image on Pixabay (611965)

みなさんは東海地方で有名なラジオパーソナリティー宮地佑紀生をご存知でしょうか。ラジオを良く聴く人ならば知っている人も多いでしょう。

宮地佑紀生は、当時東海地方では知らない人はいないと言われる程の人気者でした。しかし、そんな人気絶頂期、ラジオの生放送中に事件を起こしてしまい、宮地佑紀生はラジオ界から消えました。

その事件とはどのようなものだったのでしょうか。また、宮地佑紀生とはどのような人物なのでしょうか。宮地佑紀生と、事件について紹介していきます。

宮地佑紀生という人物

Tie Necktie Adjust - Free photo on Pixabay (611968)

宮地佑紀生は愛知含む東海では有名な人でした。テレビでもCMはもちろん色々な番組に出演し、ラジオでは知らない人はいないという程の有名人となります。

優れたトーク力に優れた才能は宮地佑紀生を瞬時に人気者にまで登りつめましたが、実際宮地佑紀生はどのような人だったのでしょうか。

事件を起こすまで宮地佑紀生はどのような道を歩み、タレントとして活動し始めたのは何故なのか、また活動してからどのような道を歩んだのか紹介します。

基本プロフィール

Checklist Check List - Free photo on Pixabay (611973)

宮地佑紀生は愛知県名古屋市中区大須に1949年1月9日に生をうけました。実家は舞台の幕を作る緞帳屋でした。小学校は大須小学校、中学校は前津中学校と地元で育ちます。

高校は愛知の高校に通い、大学は愛知大学院を卒業し、タレント活動が始まったのは1974年からタレント活動を始めました。CM出演から始まったタレント活動はラジオで人気がつき、幅は広がりました。

結婚もしており、奥様と一人娘さんがいますが、詳細は明かされいないため詳しいことはありません。

東海三県で知らない人はいない

Audience Concert Music - Free photo on Pixabay (611975)

当初タレントとして活動していなかった宮地佑紀生は、当時の名鉄セブン社員がやる生CMに出演したことで、東海ラジオのプロデューサーである塩瀬修充の誘いを受け、ラジオパーソナリティとしてスタートを切りました。

それを機に多くの東海で主に放送されるラジオ番組を担当し、愛知はもちろん他の東海3県で宮地由紀夫を知らない人はいない程にまで登りつめました。

その後、自分で経営していた仕事を辞め、タレントを一本にし本業として活動の幅をどんどん広げました。

ラジオ全盛期の人気者

Microphone Headphone Headset - Free photo on Pixabay (611977)

上記で記載したように宮地佑紀生はラジオから有名になったと言っても過言ではないでしょう。ラジオでタレントとして活動を始めた最初は、笑福亭鶴瓶等もパーソナリティーを務めた有名番組「ミッドナイト東海」のパーソナリティをやっていました。

他にも、1979年土曜にやっていたラジオ放送の「どんどん土曜大放送」は宮地佑紀生率いる平松圭子や羽根ゆかりなども出ていた。

後に宮地佑紀生は冠番組である「宮地佑紀生の聞いてみや~ち」は2002年に日本民間放送連盟から生ラジオ生ワイド優秀賞を受賞し、聴取率は32期連続で1位を取るなどかなり有名でした。

宮地佑紀生の能力が買われたと言ってもいいでしょうが、実際タレントに勧誘した塩瀬修充の尽力もあってでしょう。

大学卒業後はデザイン関係の道へ

Ux Prototyping Design - Free photo on Pixabay (611978)

愛知学院卒業後は専門東京デザイナー学院に入学し、その知識を活かして23歳という若さでアクセサリーショップの「参百六拾六日の店」を創業します。

タレントをしつつも宮地佑紀生は自分で立ち上げたこのショップの経営を続け実力もあり最大で全国13店舗で拡大しましたが、運営が軌道にのらず、順々に閉鎖する始末。

借金も最大1億円にまで登っていましたが、1997年「宮地由紀夫の聞いてみや~ち」開始と同時に、自分で立ち上げた「参百六拾六日の店」を他の人へ譲渡し、タレント1本にし、借金の完済もできました。

多方面へのマルチな才能を発揮

Education Woman Girl - Free image on Pixabay (611979)

宮地佑紀生はタレントの前にアクセサリーショップの経営を行うなどしてそのような営業能力もありますが、ラジオでも人気物になるトーク力もあります。

また、タレントとして多くのテレビにも出演しつつも、趣味として「無有」というバンドを結成し、「名古屋っこ」などの曲をリースするなどミュージシャンとしても活躍していました。

このように、宮地佑紀生は多くの才能を持ち、色々な仕事を楽しみながらその才能を発揮していたのではないでしょうか。

ラジオ番組放送中に起きた暴力沙汰

Police Cop Uniforms - Free photo on Pixabay (611981)

上記で記載したように宮地佑紀生はタレントとして絶好調の時に自らが起こした問題により一気に地獄へと突き落とされてしまいます。

それは冠番組の「宮地佑紀生に聞いてみや~ち」で起きました。パーソナリティである宮地佑紀生とアシスタントとして長年一緒にやってきた神野三枝の二人で通常通りやっていた生放送中でした。

その暴行とはどのようなものだったのでしょうか。その様子とその後宮地佑紀生はどのようになったのかということを含め紹介します。

神野三枝に暴行

Fist Bump Anger Hand - Free photo on Pixabay (611983)

この事件が起きたのは、2016年月27日生放送された宮地佑紀生のラジオ番組「宮地佑紀生の聞いてみ~や」でした。この放送にアシスタントとして出ていた神野三枝に宮地佑紀生が暴行するというものでした。

生放送なだけに何が起こるか分からないですが、このような事件は初めてではないでしょうか。人気な番組であっただけに、聞いていた人も多かったようです。

宮地佑紀生は数年前から威圧的な態度をとるようにもなっていたようで、神野三枝も怯えていたようでした。まさか生放送中に暴行されるとは思っていなかっただけに恐怖は強かったでしょう。

ラジオは打ち切りに

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