菊容子の事件詳細と死因!殺害された理由や犯人藤沢陽二郎との関係も

1975年4月29日、当時の人気女優・菊容子が婚約者の手によって殺害されるという衝撃的な事件が起きました。菊容子とはどういう人物なのでしょうか?なぜ婚約者に殺されなければならなかったのか?死因はなんだったのか?菊容子の事件の詳細に迫っていきます。

目次

人気女優が殺害される衝撃的な事件

Person Human Girl - Free photo on Pixabay (374771)

1975年(昭和50年)4月29日、当時の人気女優・菊容子が自宅で婚約者に殺害される事件が起きました。犯人は菊容子の婚約者で俳優の藤沢陽一郎でした。

芸能人によって芸能人が殺害されるという過去に例を見ない殺人事件に世間は大きな衝撃を受け、ワイドショーや新聞でも大きく取り沙汰されています。

犯人は菊容子の婚約者ということで、痴情のもつれによる犯行という印象を受けるこの事件ですが、そのような単純な問題ではなく、様々な要素が絡み合って起こってしまった事件なのです。

菊容子が婚約者に殺害される

Red Leaves Falling - Free photo on Pixabay (374779)

1975年4月29日午前3時ごろ、東京都新宿区の菊容子の自宅マンションで、婚約者である俳優・藤沢陽一郎(当時23歳)に首を絞められ、24年の短い生涯を閉じます。

菊と藤沢の二人は婚約中でありながらお互いに気持ちがすれ違い始めていた時期で、藤沢は話し合いをする為に菊の自宅を訪れたのでしたが、このような事態になってしまったのでした。

藤沢が菊の自宅を訪れた際、菊は誰かと電話中だったのですが、その電話が犯行の引き金になってしまうのです…。

殺害方法

Rotary Telephones Cords - Free photo on Pixabay (376530)

菊容子が電話している様子を見て激昂した藤沢陽一郎は、素手で菊の首を絞めたのち、電話機のコードで更に首を絞めて殺害しました。

凶器になるようなものは持ち込んでおらず、部屋にあった電話機のコードで菊の首を絞めて殺したということから、犯行は計画的なものではなく、衝動的なものだったといえます。

愛する婚約者を殺してしまうには、余程のことがあったと考えられます。犯行の動機とは一体なんだったのでしょうか?

犯行の動機

Trauma Injured Tear - Free photo on Pixabay (374788)

藤沢陽一郎が菊容子の自宅を訪れていた時、菊は誰かと電話をしていました。菊の口ぶりから電話の相手とは相当親しげな様子であることが窺えました。

常々菊の浮気を心配していた藤沢は、電話の相手が菊の浮気相手であると直感し、愛しているのに裏切られたという嫉妬と怒りから菊を殺害してしまったといわれています。

朝になって藤沢は友人宅を訪れて犯行を告白し、午後に自首するつもりであることを告げますが、その後自殺を図ります。後悔の念だったのか、警察から逃げたかったからなのか、菊の後を追うつもりだったのか…それは藤沢にしかわかりません。

菊容子とは?

Woman Outdoor Person - Free photo on Pixabay (374791)

1970年代に活躍し、婚約者の手によって人生の幕引きをさせられた菊容子。生前の彼女の写真や映像を拝見しましたが、キリッとした凛々しい美人で、裏表のない女性のようにも見えました。

しかし人は見た目の印象だけでは判断できません…婚約者をカッとさせるような言動が菊容子にあったのかもしれません。

菊容子とは一体どのような人なのでしょうか?ここからは菊容子の芸能人としての歩みと、彼女の性格や人柄についてご紹介していきます。

プロフィール

Coffee Pen Notebook - Free photo on Pixabay (374793)

1950年9月26日生まれ、出身地は神奈川県横浜市。本名は菊池洋子。本名の池と洋の字に水の意味合いがある『さんずい』が並んでいることから「水に流れる」という意味があり縁起が悪いとされ、菊容子という芸名を与えられました。

この『菊容子』という芸名は漫画家である石ノ森章太郎から命名されたそうで、石ノ森は菊が子役時代から面識があり、菊のことを大変可愛がっていたのだといいます。

6歳から若柳流の舞踊を習い、15歳でその『名取』となっています。

子役時代

Little Girl Wildflowers Meadow - Free photo on Pixabay (374796)

2歳の時に富士フイルムのモデルを勤め、6歳の頃からは講談社が出版する少女雑誌『少女クラブ』の表紙モデルで華々しく芸能キャリアのスタートを切っています。

1959年、菊容子が9歳の時に、映画『城ヶ島の雨』で子役デビューします。その後モデルと子役を兼業しますが、中学校に進学したタイミングで芸能活動を一旦終始します。

そして中学3年生の時、NHK主催の新人オーディションで2位合格となり女優に転向。本格的に女優『菊容子』としてスタートを切ることになるのです。

テレビドラマ「好き!すき!!魔女先生」でブレイク

Women'S Power Business Woman - Free photo on Pixabay (374802)

「好き!すき!!魔女先生」とは、1971年10月から1972年3月にかけて、TBS系列で毎週日曜18時から18時30分に放送されたテレビドラマです。

「ティーンルック」という少女向け週刊誌で連載された、石ノ森章太郎の少女向け劇画『千の目先生』を原作としているもので、超能力を持つ新任女性教師の主人公・月ひかる役を菊容子が演じた。

原作とは設定が大幅に変わりアクション色が強い作品になっており、原作ファンを女子をガッカリさせた一方で、男児には好評を得ており、この作品は菊の代表作となった。

「連想ゲーム」のレギュラー

Quiz Time - Free vector graphic on Pixabay (374804)

連想ゲームは元々、1968年4月8日に始まったNHK番組『みんなの招待席』の1コーナーだったのですが、人気コーナーへと成長し、1969年4月9日から独立した番組として放送されることになります。

番組開始から22年続いた長寿番組ですが、ナイター中継や特別番組などで潰れるため番組の放送回数自体は少なく、22年も続いていながら放送回数は1000回にも満たなかったそうです。

菊容子は1972年4月 から1973年3月までの1年間という短い期間でしたが、レギュラーを勤めていました。

菊容子の性格や人柄

Summerfield Woman Girl - Free photo on Pixabay (374808)

1 / 6

関連する記事 こんな記事も人気です♪