目次
- 人気女優が殺害される衝撃的な事件
- 菊容子が婚約者に殺害される
- 殺害方法
- 犯行の動機
- 菊容子とは?
- プロフィール
- 子役時代
- テレビドラマ「好き!すき!!魔女先生」でブレイク
- 「連想ゲーム」のレギュラー
- 菊容子の性格や人柄
- 犯人・藤沢陽二郎について
- 藤沢陽二郎の出演作品
- 菊容子事件概要
- 菊容子から父親に電話
- モーニングコールに応答なし・劇場に向かう
- 自宅にて遺体発見
- 菊容子の死因
- 死因は窒息死
- 残されたメモ
- 藤沢陽二郎の犯行後の行動
- 友人宅で殺害を自供・友人が通報
- 自殺未遂・逮捕
- 菊容子と藤沢陽二郎の関係
- 収入格差
- 菊容子の父親が結婚に反対
- 菊容子の現場へのつきまとい・ストーカー行為
- 寿司屋の女将も心配していた?
- 藤沢陽二郎が犯人に及んだ理由
- 菊容子は別れたがっていた?
- 事件当日の電話
- 本当の電話の相手
- 別れ話のもつれ?
- 菊容子の男性関係
- 石森章太郎との関係
- 枕営業の噂
- 藤沢陽二郎のその後や現在
- 東京地裁の判決
- 藤沢陽二郎の現在
- 電話の相手を知らされた藤沢の反応
- 石森章太郎のその後
- 石ノ森に改名
- 菊容子の霊が憑いていた?!
- 当時は「ストーカー」の言葉すらなかった
- ストーカー被害に遭った芸能人
- 冨田真由
- 山口智子
- 菊池桃子
- 福山雅治
- 女優が殺害された事件
- ドロシー・ストラットン
- ミナクシ・ターパル
- シャロン・テート
- レベッカ・シェイファー
- 愛と憎しみは紙一重
人気女優が殺害される衝撃的な事件
via pixabay.com
1975年(昭和50年)4月29日、当時の人気女優・菊容子が自宅で婚約者に殺害される事件が起きました。犯人は菊容子の婚約者で俳優の藤沢陽一郎でした。
芸能人によって芸能人が殺害されるという過去に例を見ない殺人事件に世間は大きな衝撃を受け、ワイドショーや新聞でも大きく取り沙汰されています。
犯人は菊容子の婚約者ということで、痴情のもつれによる犯行という印象を受けるこの事件ですが、そのような単純な問題ではなく、様々な要素が絡み合って起こってしまった事件なのです。
芸能人によって芸能人が殺害されるという過去に例を見ない殺人事件に世間は大きな衝撃を受け、ワイドショーや新聞でも大きく取り沙汰されています。
犯人は菊容子の婚約者ということで、痴情のもつれによる犯行という印象を受けるこの事件ですが、そのような単純な問題ではなく、様々な要素が絡み合って起こってしまった事件なのです。
菊容子が婚約者に殺害される
via pixabay.com
1975年4月29日午前3時ごろ、東京都新宿区の菊容子の自宅マンションで、婚約者である俳優・藤沢陽一郎(当時23歳)に首を絞められ、24年の短い生涯を閉じます。
菊と藤沢の二人は婚約中でありながらお互いに気持ちがすれ違い始めていた時期で、藤沢は話し合いをする為に菊の自宅を訪れたのでしたが、このような事態になってしまったのでした。
藤沢が菊の自宅を訪れた際、菊は誰かと電話中だったのですが、その電話が犯行の引き金になってしまうのです…。
菊と藤沢の二人は婚約中でありながらお互いに気持ちがすれ違い始めていた時期で、藤沢は話し合いをする為に菊の自宅を訪れたのでしたが、このような事態になってしまったのでした。
藤沢が菊の自宅を訪れた際、菊は誰かと電話中だったのですが、その電話が犯行の引き金になってしまうのです…。
殺害方法
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菊容子が電話している様子を見て激昂した藤沢陽一郎は、素手で菊の首を絞めたのち、電話機のコードで更に首を絞めて殺害しました。
凶器になるようなものは持ち込んでおらず、部屋にあった電話機のコードで菊の首を絞めて殺したということから、犯行は計画的なものではなく、衝動的なものだったといえます。
愛する婚約者を殺してしまうには、余程のことがあったと考えられます。犯行の動機とは一体なんだったのでしょうか?
凶器になるようなものは持ち込んでおらず、部屋にあった電話機のコードで菊の首を絞めて殺したということから、犯行は計画的なものではなく、衝動的なものだったといえます。
愛する婚約者を殺してしまうには、余程のことがあったと考えられます。犯行の動機とは一体なんだったのでしょうか?
犯行の動機
via pixabay.com
藤沢陽一郎が菊容子の自宅を訪れていた時、菊は誰かと電話をしていました。菊の口ぶりから電話の相手とは相当親しげな様子であることが窺えました。
常々菊の浮気を心配していた藤沢は、電話の相手が菊の浮気相手であると直感し、愛しているのに裏切られたという嫉妬と怒りから菊を殺害してしまったといわれています。
朝になって藤沢は友人宅を訪れて犯行を告白し、午後に自首するつもりであることを告げますが、その後自殺を図ります。後悔の念だったのか、警察から逃げたかったからなのか、菊の後を追うつもりだったのか…それは藤沢にしかわかりません。
常々菊の浮気を心配していた藤沢は、電話の相手が菊の浮気相手であると直感し、愛しているのに裏切られたという嫉妬と怒りから菊を殺害してしまったといわれています。
朝になって藤沢は友人宅を訪れて犯行を告白し、午後に自首するつもりであることを告げますが、その後自殺を図ります。後悔の念だったのか、警察から逃げたかったからなのか、菊の後を追うつもりだったのか…それは藤沢にしかわかりません。
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菊容子とは?
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1970年代に活躍し、婚約者の手によって人生の幕引きをさせられた菊容子。生前の彼女の写真や映像を拝見しましたが、キリッとした凛々しい美人で、裏表のない女性のようにも見えました。
しかし人は見た目の印象だけでは判断できません…婚約者をカッとさせるような言動が菊容子にあったのかもしれません。
菊容子とは一体どのような人なのでしょうか?ここからは菊容子の芸能人としての歩みと、彼女の性格や人柄についてご紹介していきます。
しかし人は見た目の印象だけでは判断できません…婚約者をカッとさせるような言動が菊容子にあったのかもしれません。
菊容子とは一体どのような人なのでしょうか?ここからは菊容子の芸能人としての歩みと、彼女の性格や人柄についてご紹介していきます。
プロフィール
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1950年9月26日生まれ、出身地は神奈川県横浜市。本名は菊池洋子。本名の池と洋の字に水の意味合いがある『さんずい』が並んでいることから「水に流れる」という意味があり縁起が悪いとされ、菊容子という芸名を与えられました。
この『菊容子』という芸名は漫画家である石ノ森章太郎から命名されたそうで、石ノ森は菊が子役時代から面識があり、菊のことを大変可愛がっていたのだといいます。
6歳から若柳流の舞踊を習い、15歳でその『名取』となっています。
この『菊容子』という芸名は漫画家である石ノ森章太郎から命名されたそうで、石ノ森は菊が子役時代から面識があり、菊のことを大変可愛がっていたのだといいます。
6歳から若柳流の舞踊を習い、15歳でその『名取』となっています。
子役時代
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2歳の時に富士フイルムのモデルを勤め、6歳の頃からは講談社が出版する少女雑誌『少女クラブ』の表紙モデルで華々しく芸能キャリアのスタートを切っています。
1959年、菊容子が9歳の時に、映画『城ヶ島の雨』で子役デビューします。その後モデルと子役を兼業しますが、中学校に進学したタイミングで芸能活動を一旦終始します。
そして中学3年生の時、NHK主催の新人オーディションで2位合格となり女優に転向。本格的に女優『菊容子』としてスタートを切ることになるのです。
1959年、菊容子が9歳の時に、映画『城ヶ島の雨』で子役デビューします。その後モデルと子役を兼業しますが、中学校に進学したタイミングで芸能活動を一旦終始します。
そして中学3年生の時、NHK主催の新人オーディションで2位合格となり女優に転向。本格的に女優『菊容子』としてスタートを切ることになるのです。
テレビドラマ「好き!すき!!魔女先生」でブレイク
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「好き!すき!!魔女先生」とは、1971年10月から1972年3月にかけて、TBS系列で毎週日曜18時から18時30分に放送されたテレビドラマです。
「ティーンルック」という少女向け週刊誌で連載された、石ノ森章太郎の少女向け劇画『千の目先生』を原作としているもので、超能力を持つ新任女性教師の主人公・月ひかる役を菊容子が演じた。
原作とは設定が大幅に変わりアクション色が強い作品になっており、原作ファンを女子をガッカリさせた一方で、男児には好評を得ており、この作品は菊の代表作となった。
「ティーンルック」という少女向け週刊誌で連載された、石ノ森章太郎の少女向け劇画『千の目先生』を原作としているもので、超能力を持つ新任女性教師の主人公・月ひかる役を菊容子が演じた。
原作とは設定が大幅に変わりアクション色が強い作品になっており、原作ファンを女子をガッカリさせた一方で、男児には好評を得ており、この作品は菊の代表作となった。
「連想ゲーム」のレギュラー
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連想ゲームは元々、1968年4月8日に始まったNHK番組『みんなの招待席』の1コーナーだったのですが、人気コーナーへと成長し、1969年4月9日から独立した番組として放送されることになります。
番組開始から22年続いた長寿番組ですが、ナイター中継や特別番組などで潰れるため番組の放送回数自体は少なく、22年も続いていながら放送回数は1000回にも満たなかったそうです。
菊容子は1972年4月 から1973年3月までの1年間という短い期間でしたが、レギュラーを勤めていました。
番組開始から22年続いた長寿番組ですが、ナイター中継や特別番組などで潰れるため番組の放送回数自体は少なく、22年も続いていながら放送回数は1000回にも満たなかったそうです。
菊容子は1972年4月 から1973年3月までの1年間という短い期間でしたが、レギュラーを勤めていました。
菊容子の性格や人柄
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