目次
- 真相は闇の中!プチエンジェル事件
- プチエンジェル事件の経緯とは
- 少女を勧誘
- 犯行前にフェラーリ2台を売却
- 拘束用品・練炭等を購入
- 「部屋の掃除」を依頼し監禁
- 少女行方不明が報道される
- 犯人が練炭自殺
- 少女の1人が脱出
- 顧客名簿が押収される
- デマ?顧客名簿には皇族の名前が?
- 顧客リストに徳仁皇太子の名前
- 大物政治家・実業家・医者の名前も
- 秋篠宮陛下に事件関与疑惑?
- ヤフオク事件について
- プチエンジェル事件の犯人「吉里弘太郎」
- 生い立ち
- 行方不明報道後の不可解な行動
- 自殺ではなく他殺の可能性も?
- 吉里弘太郎の家族は「全員自殺」
- 被害者少女たちのその後
- 一般人に紛れて生活している説
- 殺されている説
- 芸能界へ進出説
- デートクラブ「プチエンジェル」について
- 女子高生を雇ってチラシ配布
- 年間会費が60万円
- システム料金
- 秘密を共有して絆を深めていた
- プチエンジェル事件の謎
- アイマスクの謎
- 行われない司法解剖
- 被害者少女、証言の「食い違い」
- 保護した花屋の店員の証言の変化
- 事件現現場を誤報道
- 顧客リストは「偽名」と報道
- 捜査・報道の打ち切り
- 少女を監禁したマンションの正体
- プチエンジェル事件を追っていたフリーライター「染谷悟」
- 生い立ち
- 空き巣・盗難被害!危険を感じていた
- 2003年に東京湾で遺体となって発見される
- 犯人は「桜井(木原)景三」他2人の男性
- 殺害理由は?プチエンジェル事件との関連は?
- 大物の名前が書かれた顧客名簿は今どこに
逃げ出した少女が助けを求めに行った花屋の店員の証言も「少女が窓から助けをもとめてきた」から「少女が駆け下りてきて助けを求めてきた」と変わっています。窓からと駆け下りてくるのは全く意味合いが違いますし何故証言が変わったのでしょうか。
事件現現場を誤報道
事件現場は赤坂にあるインターナショナルプラザ赤坂No.1です。しかし、マスコミは渋谷で発生した事件だと報道しました。赤坂は永田町に近いですからプチエンジェル事件に政治家の関与が疑われる要因となっています。
顧客リストは「偽名」と報道
顧客リストは偽名だと捜査当局が発表していますが、身元確認にも使われる顧客リストが偽名ということは考えにくいですし、あくまでも噂や憶測で記載されていたのではないかと騒がれているだけでわざわざ偽名だと発表するのも何か裏があるのかと勘繰りたくなりますね。
捜査・報道の打ち切り
顧客リストが偽名だと発表されてからすぐに捜査は打ち切られました。それを受けてマスコミ各社もぱったりと報道をしなくなりました。プチエンジェル事件は終結を迎えました。
少女を監禁したマンションの正体
プチエンジェル事件の現場となった「インターナショナルプラザ赤坂No.1」の土地および建物は事件当時、小沢一郎の政治団体「陸山会」の所有物でした。入居者は男女問わず夜の世界の関係者や外国人などが多くあまり近づきたくない場所だったようです。偶然なのか必然なのかここでも大物政治家が絡んできますね。現在はホテルマイステイズ赤坂になっており、当時の面影はありません。
カタギの意味と語源とは?ヤクザやシノギとの違いも - POUCHS
暴力団等の反社会的勢力を指す『ヤクザ』という言葉の反対の意味として『カタギ』という言葉が使われることがあります。では『カタギ』とはどんな意味を持つのでしょうか。語源やヤクザとの関係性、更に『シノギ』等普通の生活では使わないようなヤクザ用語まで紹介していきます。
プチエンジェル事件を追っていたフリーライター「染谷悟」
マスコミ報道が収束してもなお事件を追っていた記者がいます。フリーライターの染谷悟です。ここでは、染谷悟についてご紹介していきます。
生い立ち
染谷悟は1991年よりフリーライターとして活動します。1995年からは「柏原蔵書(かしわばらくらがき)」というペンネームで執筆活動をしていました。家族の情報や妻、子どもの有無については不明となっていて詳しい経歴なども公表されていません。
どんな危険な取材でも自ら取材していたという染谷悟はアングラ(アンダーグラウンド)と呼ばれる裏社会に関する記事を専門に「裏ブブカ」という雑誌を中心に執筆していました。特に薬物や暴力団、風俗や人身売買などに関する記事が多く、危険を顧みずに自分の手で取材を行っていたので記事には臨場感があり大変読み応えがと評判でした。
染谷悟の代表作は、2003年7月に発売された「歌舞伎町アンダーグラウンド」という歌舞伎町の裏社会を描いた小説になります。犯罪件数や捜索願が多い日本一のネオン街歌舞伎町の闇が詳細に描かれていました。そしてちょうどこの小説が出版された月に、プチエンジェル事件が発生しました。数々の裏社会を取材してきた染谷悟にとってプチエンジェル事件は大変興味深くフリーライターの血が騒いだに違いありません。
空き巣・盗難被害!危険を感じていた
染谷悟は親しい知人に「中国のマフィアに狙われている」「殺されるかもしれない」というような事を漏らしていたことがわかっています。染谷悟は元々かなり危険な取材を行っていましたのでいくつかのトラブルを抱えていましたので、この発言がプチエンジェル事件を追っていたからなのかは不明です。しかし、プチエンジェルでは中国マフィアと日本の暴力団との間で人身売買が行われていた疑いもあるため、この発言はプチエンジェル事件に関わっていてもおかしくはありません。
実際に自宅の窓ガラスが割られていたり、ベランダの柵が壊されていたことが何度かあり「逃げてもダメだ」というメモが落ちていたこもあったといいます。さらに空き巣や盗難の被害にもあい2002年9月には自宅からパソコンやカメラなど合わせて77点もの私物が盗まれた事件もありました。かなり危険な状況の中で取材をしていた事がわかります。
2003年に東京湾で遺体となって発見される
染谷悟は2003年9月5日午後仕事で雑誌の編集者と電話で会話をしてから行方が分からなくなりました。翌日6日には路上に落ちていたカメラが警察に届けられ、知人によって染谷悟のカメラだと判明しました。そして、7日には雑誌編集者の携帯電話に「旅に出る」というメールが届きました。名前は染谷悟でしたが、使われていたメールアドレスは今までのものとは違っていました。犯人が偽装工作で送ったのでしょう。
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