2019年8月12日 更新

幽霊船は実在する?実際にあった目撃情報や幽霊船の正体とは

昔から存在するとささやかれてきた幽霊船。多くの目撃情報とは裏腹に、その姿は未だ捉えられていません。怪談としても有名な幽霊船は実在するのでしょうか?幽霊船にまつわる実話、そして日本で幽霊船と言われる船のことまで、幽霊船にまつわることを丸ごと紹介します!

メアリー・セレスト号には誰もいませんでした。人気はないのにも関わらず、洗面所は直前に使用していたと思われる跡、湯気の立ったコーヒー、食事の用意がされたテーブルなど、ついさっきまで人がいたことを確信させるような痕跡があらゆる場所に残っていました。

掛け時計は動いておらず、羅針盤は壊れ、手すりには傷があり、救命ボートは無い状態でした。ところが6ヶ月分の食料はそのまま、積み荷のアルコール樽もそのままといいう状態から船員は船を放棄したと推測されました。

またデッキは多少浸水しており、船の倉庫も1.1メートル程浸水していました。しかしどの被害も航行不能となるほどのものではなかったため、船に乗っていた全員が船を放棄した謎が深まりました。

1873年に漂着した救命ボート

Rescue Lifeboat Water - Free photo on Pixabay (543499)

無人のメアリー・セレスト号はその後、ディ・グラチア号によってジブラルタルまで牽引され、修復されました。また、メアリー・セレスト号には航海日誌が残されていて、そこにはモアハウス船長に発見される前日、1872年12月3日にブリッグズが書いたと思われる「妻のマリーが・・・」という走り書きがあったとされています。

船員は全員行方不明、理由も不明、何もわからないまま時間ばかりが経過しました。そんななか1873年の初め、スペインの沿岸に救命ボートが2隻漂着しました。漂着した1隻には1つの遺体とアメリカの国旗、もう一つには5つの遺体が載っていました。

メアリー・セレスト号とこれら救命ボートの関連が囁かれましたが、結局関連性は調査されることはありませんでした。

メアリー・セレスト号の最大の謎

Question Mark Important Sign - Free image on Pixabay (543500)

乗っていた人が全員いなくなっていたメアリー・セレスト号。発見直前まで人がいたと思われる状態、そのままだった食料と積荷、無くなっていた救命ボート。そして何より乗っていた人たちはみんなどこへ行ってしまったのか・・・。

竜巻説、乗組員による暴動説、食中毒説など、様々な可能性が推測されましたが、そのどれも確信的なものとはなり得ませんでした。また、この海上失踪事件で一番の謎とされていることは、船がまだ航行可能な状態にも関わらず放棄されていたということでした。

メアリー・セレスト号の真相

Pier Wooden Lake - Free photo on Pixabay (543503)

数々の謎を残したメアリー・セレスト号ですが、結論から言うと「海上でパニックに陥った乗員が退船した」という説が濃厚です。しかし乗員のいないメアリー・セレスト号が、船長同士親しくしていたディ・グラチア号の前に現れたことは依然として謎とされています。

また海上パニック説は濃厚ですが、確かめる術もないため確実に真実とすることは出来ません。実際他にもメアリー・セレスト号の真相とされる諸説は多数存在します。ここではそのうち有名なものを3つ紹介します。

海賊の襲撃説

Pirates Telescope Treasure Map - Free photo on Pixabay (543504)

まず1つ目に挙げられるのが、海賊の襲撃説です。漂流している船がある時、真っ先に疑われるのは海賊による襲撃で、メアリー・セレスト号も襲撃されたのではないかという説が当初は濃厚とされていました。しかし海賊に襲われたのならば食料から積荷から、まだ航行可能な船まで残されていた点で違和感があります。

積荷であった工業用アルコールは、当時総額8万ドルの価値があったのです。また、船員の誘拐による身代金の要求もなかったことから、海賊の襲撃説は全否定されることとなります。

船長の陰謀説

Eye Wall Horror - Free image on Pixabay (543510)

次に挙げられるのが船長の陰謀説です。これはメアリー・セレスト号を発見したディ・グラチア号の船長モアハウスとメアリー・セレスト号の船長ブリッグズが友達だったことと、漂流中のメアリー・セレスト号がディ・グラチア号の前に現れたことから派生した説です。

モアハウス船長は本来メアリー・セレスト号を発見したことで海難救助料をもらえるはずでした。ところが船長同士が友達だったことで2人による海難事故詐欺を疑われ、モアハウス船長は海難審判にかけらてしまいます。

この説は否定されることとなりますが、その要因はブリッグズ船長の日頃からの人柄や人望の厚さでした。

アルコール気化説

Structure Splash Wave Water - Free photo on Pixabay (543515)

3つ目にアルコール気化説が挙げられます。船長ブリッグズは出航前から積荷である工業用アルコールに対して不安を抱えていたと言われています。工業用アルコールを危険物だと認識していたのです。そのことを踏まえ歴史家コンラッド・バイヤーはこんな仮説を立てました。

航海中に船の倉庫を開けたブリッグズはアルコールの気化によって倉庫内にアルコール臭と霧が噴き出しているのを発見し、爆発するのではないかと危惧した。一刻も早く脱出する必要があると感じた船長ブリッグズは、全員を乗せて救命ボートで退散したが慌てていたためロープと救命ボートを繋ぐのに失敗し、そのまま全員が行方不明となった。

というものです。このアルコール気化説は有力でしたが、工業用アルコールとされるメタノールの燃焼温度は比較的低いことから、逃げ出すほどの状態にはなり得ないとして否定されました。

実際に船を放棄した過去の例

Stranded Ships Wrecks - Free photo on Pixabay (543516)

航海中に思わぬ事態に遭遇することは多々あります。その時船長は適切な選択をして事態を悪化させないように最善を尽くすのですが、船長以下乗員全員が船を放棄するという事態は珍しいことなのです。

極めて稀とされる、乗組員が船を放棄した実例を紹介します。

メデューズ号の座礁

Ship Wreck Old - Free photo on Pixabay (543517)

船を放棄した実例として、メデューズ号の座礁が挙げられます。1816年フランスのロシュフォールからセネガルのサンルイ港に出航したフランス船、ブリゲード艦メデューズ号は160人の乗組員と240人の乗客を乗せたまま、1816年7月2日に座礁しました。

4隻の艦隊船の先頭を航海していたメデューズ号は、船長ド・ショマレーの能力不足から浅い海域に入ってしまい、座礁したのでした。船員は脱出を試みるものの、船に備え付けの救命ボートに船員全員が乗ることは出来なかったため、乗れなかった人たちは急ごしらえの筏を作りました。

救命ボートは乗れなかった船員を見捨てて逃亡しました。

筏に残された人々

Crowd Human Silhouettes - Free image on Pixabay (543520)

座礁し破損したメデューズ号の廃材を利用し即席で作られた筏は、ロープで繋いだ簡単な構造でしたが、大きさは長さ20メートル、幅7メートルもありました。筏は満員で一部浸水していたものの、乾パン1袋、水2樽など少しの食料を載せて出航しました。

その後13日にわたり漂流した筏は、1816年7月17日に救助船によって発見されました。13日間の漂流中に乗員は殺し合いや衰弱、自殺などで次々と命を落としました。救助された時に生き残っていたのは男性15人だけでした。

当時のフランスのロマン主義派の画家テオドール・ジェリコーは、この不幸な海難事件を題材に作品を作りました。その名も「メデューズ号の筏」という油彩画は、現在でもフランスのルーブル美術館で見ることが出来ます。

実在する世界の幽霊船にまつわる実話

Sea Ocean Waves - Free photo on Pixabay (543525)

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