目次
- 大阪エキスポランドで起ってしまった悲しい事故
- 大阪エキスポランド事故の全貌
- 大阪エキスポランド事故の概要
- 被害者
- 当時の事故の状況
- 真下にいた人たちの証言
- 19歳女性が死亡
- 大阪エキスポランドが引き起こしてしまったトラウマ
- 大阪エキスポランドとは
- かつては日本万博も執り行われていた
- アトラクション
- 風神雷神Ⅱ
- 事故が起きた原因
- 車両の構造の問題
- 車輪のブロックの構造
- 車軸の構造
- 部品の金属疲労の問題
- ナットの締結が不十分
- 事故が起きる前に前兆があった
- 2時間前に、挙動が大きくなっていた
- 事故が起きた後のエキスポランド
- コンピュータートラブルや予期せぬ二週目
- その後閉園
- エキスポランドの跡地のその後
- 農業体験型公園ファームエキスポ
- エキスポマルシェ
- 三井不動産が跡地を利用
- エキスポシティとは
- 国内最大級「大型複合施設」
- 開業1年で2400万人の脅威の集客
- 英語教育施設などさまざまな施設
- フードコートなども充実
- 来場者の感想
- エキスポランド事故の裁判
- 元幹部らに有罪判決
- 4年の執行猶予
- 管理を徹底していればこんな事件は起きなかった
「風神雷神II」の脱線事故の被害にあい亡くなった方は滋賀県東近江市の当時19歳の女性です。高校卒業後、同市にある玩具メーカーに勤務していて事件当日は同僚5人とレンタカーを借りてエキスポランドへ遊びに来ていました。
「風神雷神II」はエキスポランドで大変人気のアトラクションであったため行列ができていました。亡くなった女性と同僚も同じく順番待ちをしていました。そこへ「風神雷神II」が戻ってきたので先頭車両へ乗り込もうとしました。
「風神雷神II」はエキスポランドで大変人気のアトラクションであったため行列ができていました。亡くなった女性と同僚も同じく順番待ちをしていました。そこへ「風神雷神II」が戻ってきたので先頭車両へ乗り込もうとしました。
しかし、自分たちの後ろに家族連れが並んでいることに気づきました。「風神雷神II」は1両4人乗りの6両編成です。自分たちが先頭車両に乗ると親子連れが2つの車両に分かれて乗ることになり、他の同僚4人が親子連れの後ろに並んでいたこともありこの親子連れに順番を譲りました。
こうして、被害にあい亡くなった女性は「風神雷神II」の2両目の左側に乗りました。そして、「風神雷神II」は出発し3分後に事故が発生し女性は亡くなりました。
こうして、被害にあい亡くなった女性は「風神雷神II」の2両目の左側に乗りました。そして、「風神雷神II」は出発し3分後に事故が発生し女性は亡くなりました。
被害にあい亡くなった女性のお父様は女性が2歳の時に事故で亡くなっています。以降お母様が女手一つで4人の子どもを育てられました。その様な事もあってか、亡くなられた女性は明るくて優しく後輩の面倒見もよい女性だったといいます。
大阪エキスポランドが引き起こしてしまったトラウマ
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「風神雷神Ⅱ」の脱線事故で亡くなられた女性は、鉄の柵に首を挟まれて亡くならてれいます。しかし、実際にはもっと悲惨な状態でした。亡くなられた女性は「風神雷神Ⅱ」が脱線した時に備え付けられている鉄の策に頭部が挟まりました。「風神雷神Ⅱ」はしばらく走行していたので頭部の左半分が粉砕された状態だったといいます。
乗り合わせていた他の19名、特に2両目以降に乗り合わせていた人は亡くなられた女性のご遺体を目にしていますし、「風神雷神II」の近くにいて脱線事故に居合わせた人や脱線事故を聞きつけて集まってきた人たちもご遺体や上から落ちてくる血や肉片を目にしています。
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目撃者の中には、気分が悪くなり吐く人やその場から動くことができなくなる人など心身共に辛い状態になった方がたくさんいます。「もう、ジェットコースターには乗ることができない」とトラウマを抱えたり、「風神雷神Ⅱ」の脱線事故を思い出すだけで心身に不調が現れPTSDを訴える人もいました。
PTSDとは心的外傷後ストレス障害といいます。ショックな体験をすることにより精神的に強いストレスを抱えやがてそれが心のダメージとなっていきます。心のダメージは時間が経過しても忘れることができず、突然その時の様子がフラッシュバックしてきて強い恐怖やストレスを感じるものです。 主に震災や火事、事故、暴力や犯罪被害などがPTSDの原因になるといわれています。
大阪エキスポランドとは
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「風神雷神Ⅱ」の脱線事故が発生したエキスポランドとはどのような場所だったのでしょうか。ここではかつては大阪の人気スポットだったエキスポランドについてご紹介します。
かつては日本万博も執り行われていた
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今から約50年前の1970年3月15日~9月13日まで開催されました大阪万博のアミューズメントゾーンとしてエキスポランドは作られました。「芸術は爆発だ」のフレーズでおなじみの岡本太郎さんによる太陽の塔は大阪万博のシンボル的存在でした。たくさんの人々が世界各国から大阪万博に足を運び当時はとてもにぎわい連日話題になりました。
大阪万博の閉幕後、エキスポランドは1972年3月15日に遊園地として再開します。エキスポランドはとても広い遊園地で敷地面積は20ヘクタール(東京ドーム4個分)にも及びます。大阪吹田市の万博記念公園に隣接されていたこともありエキスポランドは関西を代表する遊園地となりました。
エキスポランド、ひらかたパーク、神戸ポートピアアイランドと関西3大遊園地の一角とされ近隣住民や遠足などでも利用され来場者も多く、関西の人々に楽しいひと時を与えてくれる遊園地でした。しかし、2007年5月5日に発生した「風神雷神Ⅱ」の脱線事故が引き金となり2009年2月にエキスポランドは閉園しました。
アトラクション
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エキスポランドは園内が広く友達、恋人、家族と様々なシチュエーションで楽しむことができる遊園地でした。遊園地内にはバランスよく様々なアトラクションが配置されていて色々なタイプのアトラクションで遊ぶことができる事も人気の1つでした。
なかでもエキスポランドはジェットコースターなどの絶叫系アトラクションの種類が豊富にありました。乗車スタイルも当時では珍しい立ち乗りスタイルや中吊りスタイルなどがあり、絶叫系アトラクションが好きな人にはこれを目当てにエキスポランドへ訪れる人もいました。
・宙づり式ジェットコースター「OROCHI(オロチ)」
・乗車時間7分当時世界最長のジェットコースター「ダイダラザウルス」
・立ち乗り式ジェットコースター「風神雷神Ⅱ」
当時そしては珍しい絶叫系アトラクションが豊富にあり、またエキスポランドのシンボルのようにそびえたつ大きな観覧車「テクイノスター」など様々な年代の人が楽しめるラインナップでした。
・乗車時間7分当時世界最長のジェットコースター「ダイダラザウルス」
・立ち乗り式ジェットコースター「風神雷神Ⅱ」
当時そしては珍しい絶叫系アトラクションが豊富にあり、またエキスポランドのシンボルのようにそびえたつ大きな観覧車「テクイノスター」など様々な年代の人が楽しめるラインナップでした。
風神雷神Ⅱ
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脱線事故が発生した「風神雷神Ⅱ」のモデルとなっているのは大阪府大阪市鶴見区で1990年に開催された国際花と緑の博覧会で運行していた立ち乗り式コースター「風神雷神」(その後、熊本県の三井グリーンランドへ移築)です。
「風神雷神」が国際花と緑の博覧会で運行していた時は、2本の走行路があり青を基調とした「風神」と赤を基調とした「雷神」が同時に走行することもありましたが、「風神雷神Ⅱ」がエキスポランドで運行していた時は、1本の走行路で「風神」か「雷神」のいずれかの運行で、乗客が多いときは片方が走行中にもう片方を準備中にして「風神」と「雷神」を交互に走行させていました。
事故が起きた原因
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楽しいはずの遊園地で発生したジェットコースター「風神雷神Ⅱ」の脱線事故。いったなぜこのような事故が発生したのでしょうか。「風神雷神Ⅱ」の脱線事故が発生した原因をまとめました。
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