2019年9月5日 更新

クマ牧場やクマによる事件や事故まとめ!日本のクマによる死亡事故

日本には登別や奥飛騨を始め、7か所の熊牧場があります。本来熊はとても臆病な存在で、山奥に入る人以外、熊牧場などでしか熊を見たことが無い人の方が多いでしょう。しかし熊は時として、人を襲う脅威の存在になるのです。今回は、そんな熊による事件や事故を紹介していきます。

奥飛騨クマ牧場の魅力は、何と言っても子グマとの記念撮影でしょう。時間帯は決まっていますが、ぬいぐるみのような子グマを抱っこしての撮影は、本物の子グマの質感や体感を味わうことが出来ます。

更にツキノワグマメインのクマ牧場はここだけなので、何処を見てもツキノワグマだらけのクマ舎は意外と圧巻です。ヒグマは立ち上がると3m~4m程と巨大ですが、ツキノワグマは立ち上がって180cm~190cm程度なので、上から見下ろしていると小さく見えます。

その為、人が入っているのでは無いか?というフォルムで、手を上げたり、立ち上がってヨチヨチ2足歩行してくる姿は、とても愛嬌があります。奥飛騨クマ牧場はかなりこじんまりとした場所なので、平日や休日の時間帯によっても空いている時があり、のんびり過ごしたい方にはおススメと言えるでしょう。

安全対策

Woman Engineer Work - Free vector graphic on Pixabay (606183)

2019年(令和元年)8月で開園43年を迎えた奥飛騨クマ牧場は、今まで1度もクマによる事故を起こしたことが無いと言われています。

奥飛騨は山に囲まれている場所なので冬は雪も降りますが、除雪をマメにしたり、クマ舎の壁を高くするだけではなく、周りにも深さ6~8m程の溝を掘って、クマが壁に直接近づけないような工夫をしているのです。

また、先程紹介した子グマとの記念撮影も、口を大きく開けられないようにしたり、餌を上げながら抱っこするなど、安全性に配慮しています。

ヒグマの多頭飼育に成功したのぼりべつクマ牧場

Bear Brown Bears Nature - Free photo on Pixabay (606187)

「の・ぼ・り・べ・つ!と言えばく・ま・ぼ・く・じょうっ!」というフレーズは、道民以外でも知っている人が多いほど、クマ牧場と言えば「のぼりべつクマ牧場」と答える人は多いでしょう。

先程紹介した奥飛騨と同じく、このクマ牧場も北海道の有名な温泉地である登別市にあり、周辺には伊達時代村やマリンパークニクスなどのテーマパークや、地獄谷、鬼の花火など子連れでも楽しめる人気観光地となっています。

北海道にはその他にも、昭和新山、北の森ガーデン、ベア・マウンテンという3つのクマ牧場があり、それぞれに魅力はあるのですが、のぼりべつクマ牧場は日本で初めて誕生したクマ牧場なのです。ここではそんな、元祖クマ牧場であるのぼりべつクマ牧場を紹介します。

のぼりべつクマ牧場の魅力

Brown Bear Cub Playing - Free photo on Pixabay (606196)

1958年(昭和33年)7月17日(木)に日本で初めて開園した、のぼりべつクマ牧場は、当初8頭のヒグマ放牧からスタートしましたが、現在は112頭のエゾヒグマとアヒルやリスなどが暮らしています。

このクマ牧場は、ロープウェイやゴンドラでの入園という変わった入り方も楽しく、冬にはロープウェイに鮭を吊るして干し、クマ餌用の鮭トバを作っているところも見られます。また、クマ達の大好物であるドングリをたくさん集めて持っていくと、入場料割引もあってお得です。

何かとうるさい世の中で、オープン当初から現在までクマのショーを観ることが出来るのは、登別と阿蘇カドリー・ドミニオンの2ヶ所だけとなりました。ちなみに奥飛騨にもショーがありましたが、2017年に終了したようです。その他にも登別だけの楽しみとしては、毎年メスグマの1位を決める、AKBならぬNKB人気投票や、クマから覗かれる迫力を味わえる人間の檻など、本州にはいないヒグマをたくさん楽しめる牧場です。

世界で初めて多頭飼育に成功

Teddy Bear Stuffed - Free photo on Pixabay (606201)

先程も少し触れていますが、今現在も家の近くにヒグマが現れると、恐怖心から早く殺処分を!と騒ぐ人が多いです。勿論、人間を恐れないクマは危険と隣り合わせなので、その感情は否定出来ません。

明治から始まった開拓でも、三毛別や沼田のようにヒグマによる実害があったことから、ヒグマは北海道で長い間駆除の対象となっていました。そのような中で、ヒグマの生態を調べたり、研究もしつつ何とかヒグマを保護対象に出来ないか?という目的から、のぼりべつクマ牧場は誕生したのです。

しかし、当初8頭のヒグマから始まった牧場では、やはり飼育が上手くいかず、初代のボスグマ「タロウ」や2代目ボス「イシマツ」なども含め、ヒグマ達は5年程しか生かすことが出来ませんでした。
Bear Brown Predator - Free photo on Pixabay (607631)

ヒグマやクマを飼育するという概念もあまり無かった時代、研究や観察・調査を続けたのぼりべつクマ牧場では、世界で初めてヒグマの多頭飼育に成功したのです。その成功の陰には、1975年(昭和50年)に入社してきた飼育員、前田菜穂子さんの活躍があったからかもしれません。

彼女は北大のクマ研と呼ばれるサークルに所属しており、ヒグマの調査や生態観察などを研究していました。前田さんは、害獣扱いされていたヒグマを森を作る益獣と考え、保護や共存を唱えてきた人です。彼女は自分の育児中にも、子グマに付き添い自分の乳まで与えてしまうほど、ヒグマに人生を掛けてきました。

また、母とはぐれてしまった子グマを人工保育で育て、森へ返還することが出来るかという研究では、母から教えて貰うことも出来ない野生での生き方や、冬ごもりを教える為、一緒に雪山の穴に入るなど常にヒグマ達と寄り添う飼育員生活を続けていたのです。のぼりべつクマ牧場には、そんな調査や研究結果をまとめた、世界で唯一の「ヒグマ博物館」が併設されており、ヒグマの生態を詳しく知ることが出来るでしょう。

日本とクマは切っても切れない仲

Baby Teddy Bear Play - Free photo on Pixabay (607729)

クマが暮らせる森があるということは、豊かな山や森があるということです。餌になる山菜やドングリ、ブナやミズナラなど落葉広葉樹が多い場所にクマはいるのですが、広葉樹は根から土に水を吸収してくれる為、土砂崩れなどを防ぐ効果もあるのです。

現在は、戦後に植えられたスギやヒノキなどの針葉樹で出来た人工林だらけな上、林業に従事する人材不足や資金難などで山が荒れ始め、大雨の際に土砂崩れが増えてきています。針葉樹は根を地中深くに張ることは無く、土の表面上に広がって張る為、保水することは出来ないことも原因なのです。

元々クマ達が暮らしていた場所に、どんどん侵入してしまったのは人間の方でした。それでもクマは滅多なことでその姿を見せることはありません。山菜採り、登山などでクマ達の餌を奪い、森にゴミなどを棄てて味を覚えさせ、ひっそり暮らしているところへ我が物顔で入りこんでくる人間達が、森の環境を破壊し、クマを街へと近づける原因です。
Sunset Bear Nature - Free photo on Pixabay (607810)

高度成長期や文明、科学の発展などで確かに人々の暮らしは便利になりました。しかし、針葉樹以外にも、高速道路や新幹線、水力ダム、最近では再生可能エネルギーなどとのたまいながら、圧倒的自然破壊を増長させている、太陽光発電と風力発電など、クマだけではなく野生動物が暮らす場所が今も尚減り続けています。

アイヌの言う「ウェンカムイ(悪いクマ)」を作っているのは、人間のせいと言えます。森や自然は人にとっても、クマにとっても大切なものです。人間を恐れず里に降りてくるクマは、もしかすると人間に対する何かの警鐘の為にやってくるのかもしれません。

本来臆病で、人前に姿を見せないクマと人間は、上手く共存していける関係だと考えられます。しかし、今回紹介したような事故ケースの原因は、人間の無知と自然に対する畏怖の念の弱まり、そして若いクマの無知や好奇心などが重なった時、互いにとって不幸な結末を迎えてしまうと言えるでしょう。互いに悲しい結果にならないようにするには、人間もクマについて学ぶことが大切なのかもしれません。

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