目次
- 許嫁とは
- 子供の親同士が結婚の約束をする
- ほとんどが父親同士で決定された
- 現代は当人同士の結婚の約束についても許嫁と呼ぶ
- 許嫁の語源
- 許嫁の歴史
- 発祥は平安時代
- 政略のため支配者層で行われた
- 江戸時代には大名間や武士同士でも見られた
- 明治時代には庶民にも広まる
- 許嫁制度への疑問
- 絶対に結婚しなければならなかったの?
- 他に好きな人がいた場合は?
- 男性側と女性側、どちらが強かったの?
- 親同士が決めた相手と結婚して幸せになれるの?
- 許嫁制度があった理由
- 良家には良家という価値観
- 双方の家の絆・関係を強めるため
- 許嫁は現代でも行われているの?
- 日本国憲法第24条で禁止されている
- 民法でも許嫁が効力を持たないと謳っている
- 冗談で親同士が言い合うこともある
- 旧家や名家では現代でも行われているという噂も
- 許嫁が減った理由
- 個人の権利が尊重されるようになった
- 女性の人権が認められるようになった
- 父親の存在感が薄くなった
- 家柄等の価値観が廃れた
- 結婚に対する価値観が変化した
- 日本・世界の許嫁関連事情
- インドは現在も親同士が結婚相手を決める
- 隣国中国でも親同士が決める場合が少なくない
- ナイジェリアでは14歳少女が35歳男性と結婚させられた
- 日本でも「代理婚活」と呼ばれる婚活がある
- 日本では毒親が交際相手・結婚相手に口出しすることも
- 日本での許嫁は減ったが世界を見渡せば許嫁制度はいまだに存在する!
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明治時代になると、許嫁制度は庶民の間にも広まりました。明治以前は、家父長制的な価値観は主に支配者層のものであり、庶民の家族観は比較的自由なものでした。
しかし、明治になると家を重視する法律制度が整えられ、人は個人である前に家の一員であるという考えが広く国民の間に浸透していきました。結婚も家制度の元で行われるようになり、当人の意志よりも家の統率者である父親の意志が重視されるようになりました。
一方で、西洋的な価値観が流入して自由恋愛という概念が生まれたのもこの時代です。許嫁のような旧態依然とした価値観と自由恋愛のような進歩的な価値観がせめぎ合っていた時代と言えます。
しかし、明治になると家を重視する法律制度が整えられ、人は個人である前に家の一員であるという考えが広く国民の間に浸透していきました。結婚も家制度の元で行われるようになり、当人の意志よりも家の統率者である父親の意志が重視されるようになりました。
一方で、西洋的な価値観が流入して自由恋愛という概念が生まれたのもこの時代です。許嫁のような旧態依然とした価値観と自由恋愛のような進歩的な価値観がせめぎ合っていた時代と言えます。
許嫁制度への疑問
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許嫁制度は現代の結婚制度とは大きく異なる点が多くあります。以下で主に明治時代に確立された許嫁制度に対する疑問点を見ていきましょう。
絶対に結婚しなければならなかったの?
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かつての許嫁制度では、親同士が決めた許嫁との結婚は絶対であり、当人に拒否権はありませんでした。先に解説した通り、結婚は個人の問題である以前に個人が所属する家の問題でした。家の支配者である家長(ほとんどは父親)の意志が家の意志であり、家の意志に逆らうことはできなかったのです。
戦後になると、日本にも個人主義がある程度浸透し、徐々に父親の権力が弱まっていきました。同時に許嫁制度も廃れていき、当人の意志に関係なく結婚させられるということは少なくなりました。
しかし、家の意志を重視するという保守的な価値観は、現在も日本社会に根強く残っています。
戦後になると、日本にも個人主義がある程度浸透し、徐々に父親の権力が弱まっていきました。同時に許嫁制度も廃れていき、当人の意志に関係なく結婚させられるということは少なくなりました。
しかし、家の意志を重視するという保守的な価値観は、現在も日本社会に根強く残っています。
他に好きな人がいた場合は?
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他に好きな人がいたとしても親が決めた許嫁がいれば、許嫁との結婚が優先されました。現代では、結婚は恋愛の延長線上にあるという考え方が一般的ですが、当時は恋愛結婚は非常に珍しいものでした。
そもそも恋愛という概念自体が、庶民にとってなじみのあるものではありませんでした。現代のような恋愛は、近代になって西洋文化の影響を受けて徐々に構築されていったものです。
そもそも恋愛という概念自体が、庶民にとってなじみのあるものではありませんでした。現代のような恋愛は、近代になって西洋文化の影響を受けて徐々に構築されていったものです。
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近代的な恋愛の始まりは、家父長制が強化された明治時代に詩人の北村透谷が恋愛至上主義を唱えたことから始まったと言われています。
しかし、家制度を重視する国の政策との矛盾に苦しんだ透谷は、後に自殺しています。恋愛は庶民の間には十分に広がらず、許嫁制度は存続しました。
しかし、家制度を重視する国の政策との矛盾に苦しんだ透谷は、後に自殺しています。恋愛は庶民の間には十分に広がらず、許嫁制度は存続しました。
男性側と女性側、どちらが強かったの?
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許嫁制度に限らず当時の結婚は、女性が男性の家に入るという形がほとんどであり、女性は男性と比べて弱い存在でした。家父長制では父親、すなわち男性が家の権力者であるため、女性は男性に付き従うものであるという価値観に支配されていたのです。
許嫁制度にはこのような男尊女卑的な価値観があり、女性は男性以上に個人として認められていない存在でした。ただし、当時から女性の権利向上を求める運動はありました。
大正時代には、女性差別の解消を目指す思想であるフェミニズムが生まれていますが、男性がはるかに強い存在であったことは間違いありません。
許嫁制度にはこのような男尊女卑的な価値観があり、女性は男性以上に個人として認められていない存在でした。ただし、当時から女性の権利向上を求める運動はありました。
大正時代には、女性差別の解消を目指す思想であるフェミニズムが生まれていますが、男性がはるかに強い存在であったことは間違いありません。
親同士が決めた相手と結婚して幸せになれるの?
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親同士が結婚を決める許嫁制度は、現代から見ると異様で幸せとは程遠そうですが、当時の社会制度ではむしろ自分の意志で結婚することの方が珍しく、ある意味異様でした。
家が何よりも重視される社会制度になっているため、結婚においても個人より家柄が重要でした。特に女性にとっては裕福な家に嫁ぐことがステータスであり、親同士が決めた結婚であっても家柄が良ければ幸せになれると考えられていたのです。
現在では、このような考えは通用しなくなっていますが、家柄や財産を重視する考えは、恋愛結婚が当たり前になった現在でも根強く残っています。
家が何よりも重視される社会制度になっているため、結婚においても個人より家柄が重要でした。特に女性にとっては裕福な家に嫁ぐことがステータスであり、親同士が決めた結婚であっても家柄が良ければ幸せになれると考えられていたのです。
現在では、このような考えは通用しなくなっていますが、家柄や財産を重視する考えは、恋愛結婚が当たり前になった現在でも根強く残っています。
許嫁制度があった理由
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許嫁制度が近代まで存続していたことには、さまざまな理由があります。以下で許嫁制度があった理由について詳しく解説します。
良家には良家という価値観
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許嫁制度は良家と良家が関係を持つべきという価値観に支えられていた側面があります。許嫁制度が一般的になった明治時代は、天皇の元で全ての民は平等であるとする一君万民思想が社会の基本にあり、表向き身分制度は撤廃されました。
しかし、現実には明治以降の日本もれっきとした身分社会でした。大日本帝国憲法によって法の元の平等が定められましが、その効力は限定的なものでした。かつての特権階級だった大名や公家は、華族と名前を変えて特権階級として扱われていたのです。
しかし、現実には明治以降の日本もれっきとした身分社会でした。大日本帝国憲法によって法の元の平等が定められましが、その効力は限定的なものでした。かつての特権階級だった大名や公家は、華族と名前を変えて特権階級として扱われていたのです。
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このような身分社会において結婚を個人の意志に任せてしまうと、身分の違う者同士が交流を深めて結婚に至る可能性があります。身分が高い良家の人間は、身分が低い家の人間と関係を持つことを良しとしませんでした。
許嫁制度であらかじめ同じ身分同士で結婚するようにしておけば、身分を固定することができるので、自分たちの既得権益を守ることができたのです。
許嫁制度であらかじめ同じ身分同士で結婚するようにしておけば、身分を固定することができるので、自分たちの既得権益を守ることができたのです。
双方の家の絆・関係を強めるため
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許嫁制度は双方の家の絆・関係を強めるためにも行われていました。明治以前の許嫁制度による結婚は、主に政略のために支配者層で行われていました。明治になって制度が一般化してもそのような面が残っており、家同士の関係が重視されていたのです。
特に身分が低い家の場合は、自分たちの家よりも身分が高い家と関係を持つことができれば自分の家の身分を高めることができるため、許嫁制度を利用して身分が高い家と関係を持とうとしました。
ただし、大多数の一般庶民のようにもともと身分が低い家が身分が高い家と関係を持つことは、非常に難しいのが現実でした。あくまである程度の身分である家が、さらに高い身分の家と関係を持つために許嫁制度が行われていたと考えられます。
特に身分が低い家の場合は、自分たちの家よりも身分が高い家と関係を持つことができれば自分の家の身分を高めることができるため、許嫁制度を利用して身分が高い家と関係を持とうとしました。
ただし、大多数の一般庶民のようにもともと身分が低い家が身分が高い家と関係を持つことは、非常に難しいのが現実でした。あくまである程度の身分である家が、さらに高い身分の家と関係を持つために許嫁制度が行われていたと考えられます。
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