目次
- 耳年増の意味とは?
- 耳年増の意味
- そもそも年増の意味とは
- 耳年増の類語
- 半可通(はんかつう)
- 耳学問
- 聞きかじり、なまかじり
- 男の耳年増を表す言葉はある?
- 女の子はいつでも耳年増?
- 若い女性でも性に興味津々
- おニャン子クラブの歌の歌詞にも
- 耳年増の使い方例文
- 最近の子はネットでなんでも調べられるから、耳年増になってしまっているよね。
- そうやって知識ばかり増やしていたら、耳年増のまま本当の年増になっちゃうよ。
- 耳年増になる人の特徴
- 知ったかぶり
- 上から目線で話す
- 噂話が好き
- 好奇心旺盛
- 周りに流されやすい
- 臆病
- 自分の欠点を周りの人間や環境のせいにする
- 耳年増にならないための方法と脱出する方法
- 噂話ばかりで会話をしない
- 聞いた話を自分のことのように話さない
- 体験談をほどよく混ぜる
- 経験を積む
- 経験を積むことで耳年増は自然に卒業できる!
耳年増の意味とは?
via pixabay.com
「あの子は耳年増だから…」、「耳年増になってはいけないよ」、なんて言われたこと、言ったことはありますか。意味は分からなくても、あまり言われて嬉しい言葉ではないことは分かると思います。
まずは耳年増という言葉の意味についてみていきましょう。
まずは耳年増という言葉の意味についてみていきましょう。
耳年増の意味
via pixabay.com
耳年増とは、聞きかじりの知識ばかりが多い女性のことを言います。特に、性知識や恋愛について、経験がないのにさも自分が経験したかのように、得意そうに話す女性を批判する、からかう意味で使われることが多いようです。
この場合の「耳」というのは、「耳から入った」、つまり経験ではなく人から聞いて知識を得ることをさします。それに、年頃を過ぎたという意味の「年増」がつき、「知識だけ年がいっている」という意味になるのです。
この場合の「耳」というのは、「耳から入った」、つまり経験ではなく人から聞いて知識を得ることをさします。それに、年頃を過ぎたという意味の「年増」がつき、「知識だけ年がいっている」という意味になるのです。
そもそも年増の意味とは
via pixabay.com
この「年増」という言葉は、今では主に女性に使われていますが、この言葉が生まれた江戸時代の頃には、男女問わず使われていたようです。
年増とは年頃(結婚適齢期)を過ぎた年齢をさし、男性は主に40歳前後、女性は20歳~40歳前後をさします。
特に女性の場合は、20歳で年増、25歳で大年増、30歳で姥桜(うばざくら)と呼ばれていたそうです。
姥桜というと、現在では「盛りを過ぎた魅力のない女性」という良くない意味で使われることが多いです。桜は花が咲くときには葉がないことから、「歯のないおばあさん」に例えられているのです。
年増とは年頃(結婚適齢期)を過ぎた年齢をさし、男性は主に40歳前後、女性は20歳~40歳前後をさします。
特に女性の場合は、20歳で年増、25歳で大年増、30歳で姥桜(うばざくら)と呼ばれていたそうです。
姥桜というと、現在では「盛りを過ぎた魅力のない女性」という良くない意味で使われることが多いです。桜は花が咲くときには葉がないことから、「歯のないおばあさん」に例えられているのです。
しかし、本来は「盛りを過ぎても美しい女性」のことをさします。また、深川の言葉では姉さん株の芸娼妓を「年増」と言っていたそうです。
「年増」や「姥桜」は可憐ではあっても頼りなげな若い娘の時代を過ぎ、堂々とした力強い美しさを持つ成熟した女性を賛美した言葉とも言えるでしょう。
今では「美魔女」という言葉がある通り、女性は年を重ねるごとに輝いていくものです。もしセクハラ上司などに「年増」や「姥桜」などと言われたら、本当の意味を教えてあげましょう。
「年増」や「姥桜」は可憐ではあっても頼りなげな若い娘の時代を過ぎ、堂々とした力強い美しさを持つ成熟した女性を賛美した言葉とも言えるでしょう。
今では「美魔女」という言葉がある通り、女性は年を重ねるごとに輝いていくものです。もしセクハラ上司などに「年増」や「姥桜」などと言われたら、本当の意味を教えてあげましょう。
耳年増の類語
via pixabay.com
「年増」は決して悪い意味ではありませんが、それに「耳」がついた「耳年増」「耳(から入った知識)だけ年増になってしまった」ということで、あまりいい意味ではありません。
しかし、経験なく知識だけ持っている、というのは良くあること。そのため似た言葉も多くあります。「耳年増」に似た言葉を集めてみました。
しかし、経験なく知識だけ持っている、というのは良くあること。そのため似た言葉も多くあります。「耳年増」に似た言葉を集めてみました。
半可通(はんかつう)
via pixabay.com
「半可通」は、江戸時代に生まれたもので、未熟なのに流行や洒落、遊郭の習慣など、様々なことを知っているかのようにふるまうことを軽蔑した言葉です。耳年増と違い、男性に対して用いられることが多いようです。
また、「通」を略した「半可」に、「生意気」や「生煮え」に使われている未熟なもの、不十分なものを表す「生」をつけて「生半可」という言葉もできました。これは十分でないこと、中途半端であることをさす言葉です。
また、「通」を略した「半可」に、「生意気」や「生煮え」に使われている未熟なもの、不十分なものを表す「生」をつけて「生半可」という言葉もできました。これは十分でないこと、中途半端であることをさす言葉です。
耳学問
via pixabay.com
自分で調べて得た知識ではなく、人が言っていることを聞いて得た知識のことを「耳学問」といいます。耳学、口耳の学、口耳四寸(こうじしすん)の学ともいいます。
耳年増と違い、謙遜の言葉として使われることもあります。例えば、「〇〇さん、▲▲に詳しいから講師をお願いしたら、『私の知識は耳学問で表面的なものだから、とてもとても人に教えられるものではないよ』と謙遜されたよ」というようにです。
また、「耳学問」の意味をそのままとらえると、学校の授業などはほとんど耳学問です。現在、何かを学ぶときには、まず人から聞いて知識を得ることから始まることが多いです。そう考えると、耳学問が悪い、とは言えないかもしれません。
耳年増と違い、謙遜の言葉として使われることもあります。例えば、「〇〇さん、▲▲に詳しいから講師をお願いしたら、『私の知識は耳学問で表面的なものだから、とてもとても人に教えられるものではないよ』と謙遜されたよ」というようにです。
また、「耳学問」の意味をそのままとらえると、学校の授業などはほとんど耳学問です。現在、何かを学ぶときには、まず人から聞いて知識を得ることから始まることが多いです。そう考えると、耳学問が悪い、とは言えないかもしれません。
聞きかじり、なまかじり
via pixabay.com
人からちょっと聞いただけの知識を、まるでとても詳しいかのように知ったかぶりすることをいいます。「聞きっかじり」というように小さな「っ」が入ることもあります。
聞きかじりによって得た知識を「耳学問」ということもあります。先ほど耳学問が悪いとは言えないとご紹介しましたが、人から聞いた知識の上っ面だけ撫でて得意そうにひけらかすか、その知識をもとに自分で調べ学んでいくかによって、耳学問の価値も全く違ってきます。
聞きかじりによって得た知識を「耳学問」ということもあります。先ほど耳学問が悪いとは言えないとご紹介しましたが、人から聞いた知識の上っ面だけ撫でて得意そうにひけらかすか、その知識をもとに自分で調べ学んでいくかによって、耳学問の価値も全く違ってきます。
via pixabay.com
似た言葉に「なまかじり」がありますが、こちらは「表面的な知識があるだけで、物の本質を理解していないこと」という意味で、聞きかじりとは違って、人から聞いた知識というニュアンスは含まれていないようです。
結局、人から聞いても、自分で調べても、ものごとの上辺しか知らないのでは本当に理解したことにはならないということを、この2つの言葉は表していると言えるでしょう。
結局、人から聞いても、自分で調べても、ものごとの上辺しか知らないのでは本当に理解したことにはならないということを、この2つの言葉は表していると言えるでしょう。
男の耳年増を表す言葉はある?
via pixabay.com
耳年増は主に女性に使われる言葉ですが、では耳年増の男性バージョンはと考えると、先ほど類語でご紹介した「半可通」が一番近いかもしれません。
女遊びに慣れていないのに、さも慣れているかのような通人としてふるまう様子は滑稽で、江戸時代の洒落本(吉原での遊興をテーマにした今でいうコメディ本)では嘲笑の対象とされていました。
男性の相手をする遊女は、「知らないふり」を技のうちとし、そんな男性たちの虚栄心を満足させていたようです。男性は見栄っ張りなもの。男性にも「耳年増」という言葉がぴったりくる人は多いです。
女遊びに慣れていないのに、さも慣れているかのような通人としてふるまう様子は滑稽で、江戸時代の洒落本(吉原での遊興をテーマにした今でいうコメディ本)では嘲笑の対象とされていました。
男性の相手をする遊女は、「知らないふり」を技のうちとし、そんな男性たちの虚栄心を満足させていたようです。男性は見栄っ張りなもの。男性にも「耳年増」という言葉がぴったりくる人は多いです。
女の子はいつでも耳年増?
via pixabay.com
1 / 4