2019年3月12日 更新

綺麗事の意味や具体例は?日本人が綺麗事を好む心理と嫌われる理由

日本人は「きれいごと」を好むとよくいわれます、理念や理想と現実にギャップがあることを「きれいごと」と言いますね? それでは「きれいごと」を「きれいごと」にしてしまわないためにはどうしたらいいのか?一緒に見ていきましょう。

目次

口先だけで行動が伴わず無責任だから

Spring Tree Flowers - Free photo on Pixabay (94862)

口先だけは立派なことを言いながら、行動が全く伴わない人はいますよね。
他人にお説教をするのは好きだけど、自分は何もしない人って、結構多いのです。

行動の伴わない理想主義者によくいますね。

何の解決にもならないから

Perfect Stamp Banner - Free image on Pixabay (94904)

結局、理想だけでは現実の解決にはまったくならないのです。
いくら平和を願っても、あるいは、自分だけが平和に満たされていても、世界は全く変わらないのです。

誰かの受け売りを自分の考えのように言うから

Lotus Natural Water - Free photo on Pixabay (94912)

また、理想主義者は、美辞麗句を口に出すことが好きですが、そういった美辞麗句というものは、たいがい誰かの受け売りだったりするのです。

偽善者に感じてしまうから

Beautiful Bird Blue - Free photo on Pixabay (94917)

口先だけ立派で、行動が伴わなかったり、あるいは自分を善良な、まともな人間と思ってうぬぼれている人は偽善者として嫌われてしまうことが多いのです。

また、偽善者というのは、他人のあら捜しにも熱心だったりするのです。

なぜ?日本人が綺麗事を好む背景とは

Chrysanthemum The Bamboo Curtain - Free photo on Pixabay (94934)

それでは次に、日本人はなぜ「きれいごと」を好むのか、その背景に迫ってみましょう。

本音と建前は別という文化がある

Architecture Japan Kyoto - Free photo on Pixabay (94946)

京都人の「ぶぶづけどうどす?」は有名ですが、心にもないサービスやお世辞を口に出してしまう文化というものがあります。
リップサービスが人間関係の円滑油となっているのです。

もちろん、こうしたリップサービスを人間関係の円滑油とするのは、日本に限ったことではありません、どこの国にもおそらくみられることでしょう。

ただ、そうしたリップサービスと本音の乖離が激しいのも日本人の特徴かもしれません。
日本人が本音を吐き出すと、いきなりすごい暴言を吐いたりするのも、あられもないような欲望をむき出しにするのも、建前と本音のギャップが激しいせいかもしれませんね。

真実であっても失礼なことを言うのはタブーとされている

Pans Copper Old Baking - Free photo on Pixabay (94997)

たとえば、女性に年齢を聞くとか、容姿についてあれこれ言うとか、そういったことは日本に限らずマナーとして言わないことはありますね?
また、食事にお呼ばれして、あまりおいしくなくても、それを正直に言ってしまうとか、日本に限らず、どこの国でも失礼にあたることってありますね?

ところが、意見を求められても、率直に言わないところが日本人に見られる特徴でしょう。
率直に意見を述べることが、空気を壊してしまうような気がするのかもしれません。

はっきりと自分の意見を言わないので、誤解を招くようなこともあるでしょう。
何を考えているのかよくわからない、腹黒い人間のように思われてしまうこともあるかもしれません。

衝突を嫌うため過激な意見を言わない傾向がある

Indian Boys Children - Free photo on Pixabay (95188)

「空気」を大切にする日本人は、その場で自分だけ違う意見を言わないようにする傾向が強いのです。全体に自分を合わせてしまうのです。

あるいは、相手に合わせた意見を言うとか、当たり障りのないことを言うとか、自分の意見よりも場の空気を尊重してしまうのです。

自分の意見をはっきり述べるのがいいとされている国や文化では、そういった日本人の態度は、つつましいと好意的に受け取られるより、何も考えのないバカな人のように思われてしまうかもしれません。

共感力や協調性が重要視されている

Team Motivation Teamwork - Free photo on Pixabay (95243)

共感力や、協調性の高さは、日本人のとても優れた点でもあります。
ところがそういった能力が高すぎると、集団同調に流されやすくなるのです。

マスコミの流すニュースをいちいち真に受ける、軽薄に流行に乗ってしまうなど、下手するとデマに流されやすい国民性を持っています。
個人というものが希薄である反面、自分の判断やスタンダードをしっかり持てない人が多くなるのです。

それは日本人の倫理観が、個人の内省によって培われるようなものではなく、和を乱さない、あるいは他人に迷惑をかけないといった、常に集団を優先させるルールが日本人の道徳として根付いている歴史があるからでしょう。

そうすると、率直である、誠実であるといった個人の徳よりも、全体にあわせてことを荒立てないほうが美徳のようになってしまうのです。自分が正直であるかということより、周囲の人からどう思われるかの方が優先されてしまうのです。

明治期に日本には民主主義が輸入されて、おそらく一番とまどったのが、民主主義の基本である、個人の倫理が日本人にはなかったということです。
個人というものが、そもそもなかったのです。

おおかたの日本人にとって道徳とは、おそらく社会の中に空気のように存在していたものだったのです。他人にあわせてはずれないようにしていれば間違いないといったような風潮が強かったのかもしれません。

そういった全体を重んじる文化では、個人の率直さとかそういった美徳は二の次のものとして考えられていたのかもしれません。
もちろん、日本人の共感能力の高さ、協調性は素晴らしい特質でもあるのですが、マイナス面でもあるのです。

なぜ綺麗事を言ってしまう?綺麗事を言う心理

Japanese Tatami Effect - Free photo on Pixabay (95276)

それでは、なぜ日本人は「きれいごと」を言ってしまうのでしょうか?いろいろな例を挙げてご紹介していきましょう。

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