2019年9月29日 更新

メスメリズムは医学的なものではない?オカルトの一種?

あなたは催眠術をご存知でしょうか?実は催眠術のルーツをたどると、最後に行きつくのは18世紀に登場したメスメリズムと言われています。今回は、医学とスピリチュアルが混在する18世紀のウィーンやフランスで、多くの人を癒し魅了したメスメリズムについてご紹介します。

目次

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委員会のメンバー達は、メスメルが提唱する動物磁気に関して繰り返し対照実験を行いました。しかし、彼らの関心はメスメルの治療がどのように行われていたのかではなく、メスメルが生命エネルギーの源と考えている新しい物理的な「流体」を、本当に発見したのかどうかにありました。

委員会のメンバー達は、対照実験の結果「そのような『流体』の存在する証拠はどこにもない」との結論に至り、治療によって患者の状態が良くなることがあったとしても、それは「想像力」のおかげだと主張し、メスメリズムは単なる想像力と結論付けられました。

1815年メスメルは亡くなる

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一時は、ブルボン家ルイ2世やラファイエット侯爵、ブルボン侯爵といった一流の貴族を虜にしたメスメリズムでしたがその栄華は長くは続かず、後にメスメリズムは「怪しげな治療法だ」とまで言われるようになりました。

そして、メスメルは1785年フランスのパリを後にし、1790年にはウィ―ンに戻って亡き妻の屋敷で暮らしました。しかし、何を思い立ったのか亡き妻マリア・アンナの屋敷を売却し、1801年には再びパリに戻ります。

メスメルの最後の20年間の行動についてはほとんど知られていないようですが、晩年はスイスの片田舎でひっそりと暮らしたとも言われています。そして、1815年ドイツ連邦共和国の都市メーアスブルクで亡くなりました。

メスメルの弟子がメスメリズムの催眠に気づく

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メスメルには彼の事をバカにして笑う人間と、彼のメスメリズムに賛同する信奉者がいました。メスメルの弟子の中で最も有名なのが、アルトワ伯の侍医シャルル・デスロン、リヨン出身の法律家二コラ・ベルガス、侯爵ピュイゼギュールと言われています。

シャルル・デスロンは、メスメルが「動物磁気の発見に関する覚え書」という論文を書いた際彼を支え、公式の場で動物磁気に関する調査を望んだ一人でもありました。また、法律家の二コラ・ベルガスの提案によってメスメリズムの学校であり病院や学会の役割も果たす調和協会が設立されます。

この調和協会はフランス全土に創られるようになり、次第に無視できない勢力を発揮するようになりました。それに加えて、多数のオカルト団体の出現も見られるようになったことから、これを問題視したルイ16世がメスメリズムの調査を行わせたのです。それでは、メスメルの催眠に気づいた弟子ピュイゼギュールについて見て行きましょう。

メスメルの弟子はピュイゼギュール

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ピュイゼギュール侯爵アマン=マリー=ジャック・ド・シャストネは、フランスの貴族であり軍人で、メスメリズムを科学的に解き明かした最初期の人物の一人です。ピュイゼギュールは、メスメルの弟子であった弟のシャストネ伯爵から動物磁気について学びました。

ピュイゼギュールは当初メスメリズムに懐疑的だったようですが、自身の居城に物理実験室を持つなど、探求精神が旺盛だったこともあり、次第にメスメリズムに感化されていったようです。

治療時に患者が磁気催眠に入ることを発見

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ピュイゼギュールの最も有名な患者の一人に、ピュイゼギュール家に代々仕えていた農民のヴィクトル・ラースという人物がいました。

ラースは、ピュイゼギュールの動物磁気治療により、容易に「磁気化」したそうですが、メスメルが治療を行った際に起こった患者の反応(劇的な痙攣や錯乱を伴う様子)とは異なり、まるで睡眠状態のような奇妙な反応が見られたのだそうです。

このことからピュイゼギュールは、治療時に患者は磁気による睡眠状態(磁気睡眠)に入ることを発見しました。

磁気催眠により患者の苦痛を緩和できることを発見

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ピュイゼギュールは、患者に動物磁気(メスメリズム)による治療を行った際に、睡眠に似た状態になることを「人工夢遊病」と名付けました。

この状態になった患者は、通常の覚醒状態よりもさらに意識が明晰であるにもかかわらず、メスメリズムを行う術者と信頼関係を持ち命じられるまま行動し、術後には記憶を失くすという奇妙な睡眠状態に入ります。

これは現代で言うところの「催眠」「トランス状態」と呼ばれているものですが、ピュイゼギュールはこの磁気催眠により、患者の苦痛を緩和できることを発見したのです。

その後ジェイムズ・ブレイドにより動物磁気ではないと言われる

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ジェイムズ・ブレイドはイギリス・スコットランドの外科医であり、催眠療法と近代催眠の父と見なされている人物でもあります。

1841年にマンチェスターでシャルル・ラフォンティーヌによる動物磁気(メスメリズム)の興行を見たことで強い衝撃を受け、この現象がトリックでも動物磁気によるものでもなく、人間の心理や生理に関する現象であることを確信しました。

実際にブレイドは、動物磁気を用いないで患者を催眠状態にする公開実験に成功しています。

メスメリズムは神経催眠という言葉を産んだ

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ジェイムズ・ブレイドは1842年にリバプールの牧師ヒュー・ムニエルと催眠という治療について論争していますが、悪魔的・迷信的なものではないことを冷静かつ科学的に説明しています、そしてブレイドは、メスメリズムという言葉の代わり「神経催眠」という言葉を産みだしました。

「神経催眠」(Neuro-Hypnotism)は後に短縮され、Hypnotism=「催眠」となりました。Hypnoはギリシャ語で眠りを意味し、メスメリズムの持つオカルト的・非科学的な意味合いを払拭するものとなりました。

ブレイドの用いた催眠術は凝視法と呼ばれ、現在でも用いられる古典的催眠手法の一つです、彼はこの方法で、磁気を用いなくてもメスメルやピュイゼギュールが起こしたのと同じ現象を、出現させることに成功したのです。

メスメリズムはオカルトの一種とも言われている

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ここまで、催眠術の始まりとも言われるメスメリズムについてお話ししてきました。メスメルの治療方法は当時としてはかなり奇妙なやり方でしたが、それでも多くの庶民の病気が治ったり症状が和らいだことから、メスメリズムに感化されたオカルト集団が登場するほど人気がありました。

メスメル自身は、まさか自分の行っている治療が催眠療法であるとはつゆ知らず、動物磁気という科学的な物質が作用したと信じきっていたのですが、一般の庶民からすればメスメルの人気というのはオカルト的な要素が強く、メスメリズムがオカルトの一種と言われてしまうのも無理もないことです。

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