目次
- メスメリズムについて
- メスメリズムとは?
- フランツ・アントン・メスメル/フランツ・アントン・メスマーが提唱
- 動物磁気のこと
- 提唱者以外がメスメリズムと呼ぶ
- メスメリズムは催眠術を開発した
- 提唱者メスメルについて
- ドイツで生まれた
- イエズス会の大学に行く
- 1759年ウィーンの大学で医学を学ぶ
- 1766年「人体への惑星の影響について」の論文を発表
- 1768年に結婚し医者として開業する
- メスメリズムの誕生
- 1774年女性患者に調合剤を飲ませる
- 患者の体に磁石をつける
- 体内に液体の流れを感じ病状から解放される
- 動物磁気による力だとメスメルは思った
- 1775年悪魔祓いについて問われ動物磁気が原因とした
- 個別療法と集団療法があった
- メスメリズムでメスメル追放
- 1777年盲目の音楽家の治療をした
- グラス・ハーモニカを使用した治療だった
- グラス・ハーモニカは呪われていた
- グラス・ハーモニカに使用禁止令が出た
- メスメルは使用禁止令を無視してウィーン追放
- メスメルはパリに行き「動物磁気の発見に関する覚え書」を書いた
- メスメリズムは調査された
- ルイ16世が調査を行わせた
- 有名な科学者や医者の集まりで調査した
- メスメリズムは想像力とされた
- 1815年メスメルは亡くなる
- メスメルの弟子がメスメリズムの催眠に気づく
- メスメルの弟子はピュイゼギュール
- 治療時に患者が磁気催眠に入ることを発見
- 磁気催眠により患者の苦痛を緩和できることを発見
- その後ジェイムズ・ブレイドにより動物磁気ではないと言われる
- メスメリズムは神経催眠という言葉を産んだ
- メスメリズムはオカルトの一種とも言われている
via pixabay.com
動物磁気の提唱により一躍時の人となったメスメルでしたが、その栄華は決して長くは続かず、1777年盲目の音楽家の治療をきっかけに暗雲が立ち込めるようになります。
それに加えて、メスメルが当時治療に利用していた楽器そのものに良くない噂が立つようになり、その楽器には使用禁止命令が出されてしまいました。しかし、自分の意思を決して曲げることなく使用禁止令を無視して治療に専念したメスメルは、盲目の音楽家の視力の回復に貢献しました。
ですが皮肉なことに、このことがメスメルをウィーン追放へ追いやる原因となってしまったのです。
それに加えて、メスメルが当時治療に利用していた楽器そのものに良くない噂が立つようになり、その楽器には使用禁止命令が出されてしまいました。しかし、自分の意思を決して曲げることなく使用禁止令を無視して治療に専念したメスメルは、盲目の音楽家の視力の回復に貢献しました。
ですが皮肉なことに、このことがメスメルをウィーン追放へ追いやる原因となってしまったのです。
1777年盲目の音楽家の治療をした
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1777年、メスメルは盲目の音楽家マリア・テレジア・フォン・パラディスの治療を行いました。マリアは、2歳の頃から徐々に視力を失い、18歳で全盲になった盲目のピアニストでした。しかし、彼女のピアニストとしての超絶技巧は素晴らしく、社交界を賑わせていたと言います。
そんなマリアに、ある時一つの転機が訪れます。それは、メスメルの動物磁気治療との出会いでした。マリアは、1876年の末から数か月ほど、メスメルと一対一のセッションを行い、数回に渡り動物磁気治療を受けています。
治療は成功し、一時的にマリアの視力は回復したのですが、目が見えることに動揺してしまったマリアはピアノが思うように弾けなくなり、メスメルの治療を途中で打ち切ったのだそうです。
そんなマリアに、ある時一つの転機が訪れます。それは、メスメルの動物磁気治療との出会いでした。マリアは、1876年の末から数か月ほど、メスメルと一対一のセッションを行い、数回に渡り動物磁気治療を受けています。
治療は成功し、一時的にマリアの視力は回復したのですが、目が見えることに動揺してしまったマリアはピアノが思うように弾けなくなり、メスメルの治療を途中で打ち切ったのだそうです。
グラス・ハーモニカを使用した治療だった
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メスメルがマリアに行ったのは、グラス・ハーモニカを使用した治療だったと言われています。彼は楽器の演奏が出来ましたが、数ある楽器の中でもグラス・ハーモニカ(アルモニカ)を選んで治療に使用していました。
グラス・ハーモニカ(アルモニカ)は、ベンジャミン・フランクリンが1761年に発明した楽器で、共鳴するガラスの音で奏でるその音色は「天上的な声色」「天使の声」と称されるほど魅惑的だと言われています。
しかしその一方で、グラス・ハーモニカには呪われていると言う噂もありました。
グラス・ハーモニカ(アルモニカ)は、ベンジャミン・フランクリンが1761年に発明した楽器で、共鳴するガラスの音で奏でるその音色は「天上的な声色」「天使の声」と称されるほど魅惑的だと言われています。
しかしその一方で、グラス・ハーモニカには呪われていると言う噂もありました。
グラス・ハーモニカは呪われていた
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グラス・ハーモニカは登場した当初からその魅力的な音色で多くの人を魅了し、熱狂的なファンの支持を受けていました。そのため、1700年代には4,000台から5,000台ものグラス・ハーモニカが欧州各地に出回ったと言われています。
しかし、次第にグラス・ハーモニカの練習や演奏に熱中していた人々の中から、グラス・ハーモニカのせいでうつ病やめまい、神経障害や筋肉のけいれん等を患ったという人たちが現れ始めたのです。
そのため、グラス・ハーモニカにはその魅力的な音色とは裏腹に、呪われた楽器だという噂が口コミで拡がり、人々はいつしかグラス・ハーモニカを恐れるようになって行きました。
しかし、次第にグラス・ハーモニカの練習や演奏に熱中していた人々の中から、グラス・ハーモニカのせいでうつ病やめまい、神経障害や筋肉のけいれん等を患ったという人たちが現れ始めたのです。
そのため、グラス・ハーモニカにはその魅力的な音色とは裏腹に、呪われた楽器だという噂が口コミで拡がり、人々はいつしかグラス・ハーモニカを恐れるようになって行きました。
グラス・ハーモニカに使用禁止令が出た
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グラス・ハーモニカに対する根拠のない恐怖が憶測を招き、人々は口々に「グラス・ハーモニカの甲高い響きが死者の魂を呼び寄せ、不思議な力を宿らせた」「聞いた人の頭をかき乱しておかしくした」などと噂するようになって行きました。
そして、グラス・ハーモニカの演奏会で子供が突然亡くなるという決定的な事件まで起こり、これをきっかけとしてドイツの地方各地では、警察当局が全面的にグラス・ハーモニカの演奏や使用禁止令を出すという事態に発展して行きました。
そして、グラス・ハーモニカの演奏会で子供が突然亡くなるという決定的な事件まで起こり、これをきっかけとしてドイツの地方各地では、警察当局が全面的にグラス・ハーモニカの演奏や使用禁止令を出すという事態に発展して行きました。
メスメルは使用禁止令を無視してウィーン追放
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その後も、家庭内の不和やペットの不調・早産など、ありとあらゆる不幸な出来事がグラス・ハーモニカのせいにされるようになりました。そしてついに、グラス・ハーモニカを演奏しただけで逮捕される状況にまでなって行ったのです。
しかし、メスメルは使用禁止令を無視して、マリア・テレジア・フォン・パラディスの治療にグラス・ハーモニカを使用し、彼女の視力を一時的に回復させることに成功しました。
それにもかかわらず、メスメルの治療はマリアの精神上の健康を害したとされ、メスメルはウイーンから追放されてしまったのです。
しかし、メスメルは使用禁止令を無視して、マリア・テレジア・フォン・パラディスの治療にグラス・ハーモニカを使用し、彼女の視力を一時的に回復させることに成功しました。
それにもかかわらず、メスメルの治療はマリアの精神上の健康を害したとされ、メスメルはウイーンから追放されてしまったのです。
メスメルはパリに行き「動物磁気の発見に関する覚え書」を書いた
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グラス・ハーモニカによって人生最大の転機を迎えたメスメルは、パリに行き「動物磁気の発見に関する覚え書」という論文を書いて発表しました。メスメルはウィーン追放という苦い経験から、メスメリズムに関して学会の偉い人達の歓心を買う必要があると考えたのです。
しかし残念ながら、メスメルの発表した論文は学会の注目を集めることは出来ませんでした。ですが、メスメリズムに関する論文を目にしたパリの貴族や資産家・芸術家・医学以外の学者達が、こぞってメスメルの邸宅に患者として押し寄せ、メスメルはパリ社交界のサロンで名士となることに成功しました。
しかし残念ながら、メスメルの発表した論文は学会の注目を集めることは出来ませんでした。ですが、メスメリズムに関する論文を目にしたパリの貴族や資産家・芸術家・医学以外の学者達が、こぞってメスメルの邸宅に患者として押し寄せ、メスメルはパリ社交界のサロンで名士となることに成功しました。
メスメリズムは調査された
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一度はメスメリズムで成功したメスメルでしたが、パリで拡がりを見せるメスメリズムを問題視したルイ16世がついに調査を行わせました。しかもメスメルは、自分の信じた道を突き進む熱い性格で、自分の唱える理論が含んでいる矛盾には鈍感な人だったと言います。
人の言うことに聞く耳を持たないメスメルは、なんとルイ16世の妻マリー・アントワネットにまで手紙を出し、自分の主張の正しさを訴えていたようですが、メスメルの主張は受け入れられませんでした。それでは、メスメリズムの調査の流れとメスメルのその後について見て行きましょう。
人の言うことに聞く耳を持たないメスメルは、なんとルイ16世の妻マリー・アントワネットにまで手紙を出し、自分の主張の正しさを訴えていたようですが、メスメルの主張は受け入れられませんでした。それでは、メスメリズムの調査の流れとメスメルのその後について見て行きましょう。
ルイ16世が調査を行わせた
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1784年、ルイ16世はメスメルの唱えた動物磁気(メスメリズム)の調査をフランス科学アカデミーのメンバーに行わせました。当時、メスメルのそばには、「メスメルの弟子になりたい」という医師のシャルル・デスロンがいました。
メスメルの様子を近くで見ていたデスロンによれば、『メスメルは人間の健康というものを、体内の何千ものチャンネルにまたがる生命エネルギー(流体)の自由な流れと理解し、その流体の流れが阻害されることで、不健康になる』と考えていたと言います。
メスメルの様子を近くで見ていたデスロンによれば、『メスメルは人間の健康というものを、体内の何千ものチャンネルにまたがる生命エネルギー(流体)の自由な流れと理解し、その流体の流れが阻害されることで、不健康になる』と考えていたと言います。
有名な科学者や医者の集まりで調査した
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ルイ16世がフランス科学アカデミーから任命したメスメリズム調査委員会のメンバーは、有名な科学者や医者の集まりでした。委員達の中には、「近代化学の父」と称されるアントワーヌ・ラヴォアジェ(化学者)、フランスの死刑に機械的な装置の導入を提案したジョゼフ・ギヨタン(医者)
天文学者でフランス革命で活躍した政治家でもあるジャン=シルヴァン・バイイ、そしてフランスに派遣されたアメリカ合衆国の大使でグラス・ハーモニカの発明者でもあるベンジャミン・フランクリンなどがいました。
天文学者でフランス革命で活躍した政治家でもあるジャン=シルヴァン・バイイ、そしてフランスに派遣されたアメリカ合衆国の大使でグラス・ハーモニカの発明者でもあるベンジャミン・フランクリンなどがいました。
メスメリズムは想像力とされた
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