2019年10月21日 更新

陰間とは?春画で描かれた陰間茶屋での売春の歴史を紹介!

浮世絵や春画でも残されている陰間は、江戸時代に一世風靡し、瞬く間に多くの男性を虜にしました。茶屋を利用し陰間と遊び、気に入れば高額な身請け金を支払い手に入れます。そんな陰間の生涯は、浮世絵や春画で描かれているような、華やかで優雅なものではなかったのです。

当時の僧侶たちは、性行為が禁止されていたわけではなく、女性との接触が禁止されていました。つまり、陰間と性行為することは公に許されていたのです。そのため、僧侶たちは女性を避け、陰間と遊ぶことを選択します。

陰間に女装させ、性行為を楽しんだり、気に入れば多額の身請け金を支払い、購入することもありました。

大奥の女中も客だった

Japan Umbrella Red - Free photo on Pixabay (718101)

陰間の客は、僧侶だけではありませんでした。大奥に仕える女中も、陰間の客として有名です。女中たちは、普段男性に接する機会がありません。そのため、性欲を解消することも難しく、月に数回ある芝居見学が楽しみの1つだったと言われています。

芝居見学に訪れた女中は、気に入った役者を見つけると茶屋へ連れ込んだり、陰間茶屋で性行為してから城へ戻りました。金銭を払えば、どんな美しい男性も相手をしてくれるとあって、陰間茶屋を愛用する女中は多かったようです。

さらに、夫に先立たれた未亡人の後家なども、陰間茶屋に頻繁に通いました。陰間を求める女性の性欲は凄まじく、そういった女性を相手にしていた陰間の心情を謳った川柳も残されています。

武士の出世でも陰間が活用された

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陰間を重宝したのは、禁欲を強いられていた僧侶や女中だけではありませんでした。激しい戦を繰り広げていた戦国武将たちも、陰間を活用します。当時、戦場に女を連れ立っていくことは禁止されていました。

しかし、命のやり取りをする戦場、長期化することもあった戦場での性処理は、武将たちにとって重要な課題であり、それらを補うために陰間を活用します。また、いつ誰に命を狙われるとも知れなかった武士は、陰間と精神的な繋がりも求めるようになっていきました。

武士と陰間との間で、契約書を取り交わし一心同体であることを記したり、寵愛する陰間を側近として出世させることもありました。戦場という死線をくぐりぬけた事から、お互いに恋愛感情が芽生えたこともあります。
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有名な戦国武将であった「武田信玄」「上杉謙信」「伊達政宗」などは、陰間に強い愛情を感じ、熱烈な恋文を送りました。男色に興味がなかったのは、「豊臣秀吉」だけだとも言われています。

戦国時代、上記の理由から武将と陰間の恋愛や性行為は高貴なものとして捉えられていたようです。生死を共有し、身体だけではなく精神的にも繋がる様は、異性間恋愛以上に尊いものとされました。しかし、陰間から武将を選べるわけではありません。

恋愛や性行為を、陰間から拒否することも許されませんでした。そのため、武将たちは陰間に思いを寄せることはあれど、陰間から武将に思いを寄せることはほとんどなかったようです。陰間たちは、出世のためと割り切り、関係を持っていたと言われています。

焼酎で洗浄

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陰間が盛んに行われた江戸時代、コンドームのような避妊具は存在しませんでした。そのため、遊女や陰間が感染症を発症し、死亡することも少なくなかったのです。感染症などを防ぐために用いられていた方法は、焼酎での洗浄でした。挿入前に男性器や女性器を焼酎で洗浄し、挿入します。

現代の科学で考えれば、焼酎での洗浄で、性感染症やその他の感染症を防ぐことは非常に難しく、気休め程度であったと言えるでしょう。焼酎での洗浄の他に、性行為直後精液をかき出す等も行われていましたが、こちらも感染症を防ぐ効果はないと言えます。

大人のおもちゃを売っている店があった

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江戸時代、コンドームのような避妊具はなかったものの、大人のおもちゃと呼ばれる商品は売り出されていました。大人のおもちゃ屋として有名だったのは、四ツ目屋と呼ばれる店です。四ツ目では、媚薬やバイブのような膣に挿入して楽しむ商品が売られていました。

他には、男性器に塗り強制的に勃起させるバイアグラのような薬や、女性2人に挿入して楽しむディルドのようなものも売られていたということです。女性の年収が2両の時代、大人のおもちゃは1両程度で売られていました。つまり、一般市民が、簡単に手に入れられるものではなかったということです。

陰間の涙ぐましい努力

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陰間の多くは、家族や身内に売られ店に借金を抱えた少年たちです。そのため、多くの客をとり、借金を返す必要がありました。また、人気になれば、身請け話がもらえたため、少年たちは日々努力を重ねていきます。

ここからは、陰間として働いていた少年たちが実際に行っていた日々の努力についてご紹介していきましょう。近年、男性の方が美意識が高いと言われています。男性たちの美意識の高さは、陰間にも通ずるものがあるでしょう。

こまめに歯磨き

Toothpaste Toothbrush Brushing - Free photo on Pixabay (718091)

陰間たちの客は、女性も含まれていましたが、基本的に男性でした。性の対象として女性を見慣れている男性の要求は、男性である陰間相手であっても非常に高く、その要求に応えようと、陰間たちは涙ぐましい努力を続けます。

陰間は客とキスをしたり、オーラルセックスを行うこともありました。さらに、1日に複数人の男性を相手にすることもあります。そのため、頻繁に歯磨きを行っていました。江戸時代の歯磨きは、房楊枝と呼ばれるものを使用します。

木を叩き、繊維状にさせたものです。歯磨きに使用する歯ブラシは一般的に売られたものを使用していましたが、購入費用は陰間本人が持っていました。

人目がある時はトイレに行かない

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陰間は作法や身なりにも、非常にこだわっていました。近場へ外出する際も、振袖に羽織を羽織り、髪型を崩さないようにゆっくりと歩きます。女性らしく、魅力的に見せるためでした。他にも、人目がある時、トイレを使用しないなどの努力も行います。

トイレを使用しない理由は、男性たちの気分を削がないためでした。男性たちは、少年でありながらかけ離れた美しさを持つ陰間に惹かれます。男性用トイレを使用する姿を見られてしまえば、「綺麗でも男性」といった印象を持たれてしまうため、陰間はトイレの使用を避けていたと考えられるでしょう。

イモ類を食べない

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陰間は、体臭にも非常にこだわりました。体臭を極力なくすため、脇の下や性器周辺を入念に洗い、イモ類を一切食べない等の努力も行います。イモ類を食べなかった理由は、放屁を防ぐ狙いもありました。陰間は性行為の時、肛門を使用します。

イモ類を食べていなくても、腸が刺激され放屁をしてしまう事がありましたが、イモ類を食べた場合さらに放屁の可能性が高まるためです。儚げな美しさを売りにしていた陰間としては、現実的な放屁は避けたいものでした。そのため、食べ物にまで非常にこだわった生活をしていたのです。

食べ物に関して、他にも敬遠されていたものがあります。それは、納豆やとろろ、そばなどです。食べる際、音が出てしまうため下品とされました。焼き魚も禁止されていましたが、理由は食後のツバが男性器にしみるからのようです。科学的根拠は、わかっていません。

潤滑剤をトイレで塗る

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陰間の努力は、性行為前にも見られます。まず、陰間との性行為の流れについて、ご紹介していきましょう。陰間は、所属する陰間茶屋で性行為を行う場合もあれば、呼び出された場所で性行為を行うこともありました。呼び出された場合、使用する布団は持参だったようです。

陰間が訪れると、始めに宴が行われます。宴の後、陰間本人が床の準備を行いました。床の準備が終わっても、すぐに性行為を始めるわけではありません。こっそりとトイレに立ち、肛門に潤滑剤を塗ります。潤滑剤として使用されたのは、通和散と呼ばれるものと、自身のツバです。

現代のように優れたローションがなかったため、潤滑剤をたっぷりと肛門に塗りこみました。

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