2020年5月7日 更新

わかめ酒とは?わかめ酒の正しい飲み方や注意点!現在でも飲める?

わかめ酒と聞くと、卵酒のようにわかめの入ったお酒かな?と思うかもしれません。しかし、わかめ酒はいわゆる「下ネタ」ですから、知らないと恥をかくこともあります。下品ながらも風流な「わかめ酒」の飲み方や注意点と併せて、「栗拾い」などの性的な隠語もご紹介しましょう。

わかめ酒とは?

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新婚当時、お酒が好きな旦那がある日の夜
夫が「ワカメ酒いいよなぁ。飲んだことないし」と言っていた。
その時はスルーしてたけど、翌日こっそり買ってきて驚かせようと計画。 気の利く良妻を演じたかった。
まず、近所の酒屋に出向き「ワカメ酒置いてますか?」と元気よく尋ねるも酒屋の若い男性店員に「・・・置いてないんですけどぉ」と言われる。
足を伸ばしてスーパーに隣接する大きめの酒屋で再度探してみたけどどこにもなくて そこの店員にも「置いてません」とキッパリ言われた。 他にもいくつかまわってみたけど結果は同じ。
家に戻り新聞広告にあった新しく開店したリカーショップに電話。女性店員に「うちでは扱ってません!」と半ギレで応対された。
仕方なくもしかしたらネットでお取り寄せできるかもと検索してみた。
そして真実を知った。
・・・ 引っ越したいです。
via 2chコピペより
2chコピペより
2chコピペで有名なこの文章を読んで、笑える方はオトナです。「どういうこと?」と首をかしげている方は、もしかしたら同じ目にあってしまうかもしれません。

せっかくですから、この「わかめ酒」というのはどういうものなのか、どうすれば飲めるのかをご紹介していきましょう。

わかめ酒の語源

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「わかめ酒」はわかめの入ったお酒ではありません。裸の女性の股間にお酒を流し込み、飲むという遊びの一つです。元々は好事家が遊郭の芸者などに、お正月などのおめでたい席でお祝いとしてさせていました。

女性の股間は足をぴったり閉じると「Y」の字で表せられるように逆三角形になります。そこをおちょこに見立て、お酒を注いで飲むのです。その際、陰毛がわかめのようにゆらゆらと揺れることから「わかめ酒」という名前がつけられました。また、別の説として「磯臭いから」というのがありますが、こちらは違うようです。

わかめ酒で飲むお酒の種類

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わかめ酒は遊郭から始まったことから分かるように、主には日本酒を注ぎます。日本酒のほとんどは無色透明ですから、女性の白い肌と黒い陰毛がはっきり見え、時には月明りなども差し込んだりして、とても風流に見えたことでしょう。

しかし、わかめ酒に使うのは日本酒でないといけない、という決まりはありませんから、ビールやワインでも構わないでしょう。しかし、ビールはおしっこ、ワインは経血のように見えて、食欲も性欲も失われてしまう恐れがあります。中には、逆に興奮するという男性もいるかもしれませんが。

わかめ酒の歴史

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このいやらしくも風流な「わかめ酒」は、一体いつ生まれたのでしょうか。また、わかめ酒を好んでいた意外な人物もご紹介しましょう。

江戸時代からあるお座敷芸

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わかめ酒は江戸時代からある花街の遊びで、江戸時代の文献にも多く登場します。しかし、基本的にはお得意さんとなった客と遊女との一対一の遊びで、お座敷でワイワイ騒ぎながらするものではなく、ある程度遊女と逢瀬を繰り返し、特別な関係にならなかったらできない「秘め事」であったようです。

手軽にできる上にいやらしくも風流で、お酒を飲むのと女性と遊ぶのと一度で二重に楽しめるわかめ酒は時代を超えて受け継がれ、1959年には長野県松本市のキャバレーで「わかめ酒」のサービスがおこなわれています。

伊藤博文が好んでいた

出典:Wikipedia (612251)

日本初の内閣総理大臣となり、1000円札に肖像画が描かれたことでも有名な伊藤博文も、このわかめ酒を好んでいたそうです。伊藤博文は「俺は蓄財や骨董、盆栽、茶道、謡曲などには毛頭興味がない。公務のあと、芸妓を相手にするのが何よりの楽しみだ」と公言し、豪快に芸者遊びを楽しんでいました。

わかめ酒はもちろんのこと、いったんマンコに入れた刺身を食べたという逸話もあり、なかなかの変態だったようです。ちなみに、1752年に書かれた遊女への性技指南書である「おさめかまいじょう」でも、遊女にマンコを広げさせ、愛液にワサビをつけてさしみを食べる好色者がいたことが記されています。

伊藤博文は性の先駆者

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誰彼の区別なく手あたり次第に女と関係する男性のことを「ほうき」と言いますが、これはそのまま伊藤博文の二つ名でもありました。毎夜の芸者遊びに興じるのはもちろんのこと、家にまで連れて帰って一夜を過ごしていました。妻、梅子はそれを怒らず、芸者にお土産を持たせるほか、服やお小遣いまで渡していたそうです。

高熱で寝込んでいたときも芸者をはべらせていた、イギリス留学中も女遊びが激しく留学資金を使い果たしたなど、伊藤博文の女遊びに関するエピソードは枚挙にいとまがありません。

総理官邸ができたのも、伊藤博文が首相時代に女遊びで借金がかさみ家を失いそうになったために公費で家が用意されたのが始まりだということですから驚きです。
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さらに、芸者だけではなく、教育者で歌人でもある下田歌子や、岩倉具視の三女で「鹿鳴館の華」と呼ばれた戸田氏共伯爵の夫人の極子にも関係を迫るなど、気に入ったら誰でも節操なく手を出そうとしていたそうです。

その好色さはついに明治天皇の耳にも入り、天皇直々に諫められましたが、「博文をとやかく申す者の中には、ひそかに囲い者など置いている者もいますが、博文は公許の芸人どもを公然と呼ぶだけです」と悪びれもせず答えました。

しかし、これほどのエネルギーを持つからこそ、日本初の総理大臣と言う大役を果たしえたのかもしれません。まさに、「英雄色を好む」という言葉にふさわしい豪快な人生だったと言えます。

日本人で初めてのカーセックス

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伊藤博文は日本初の内閣総理大臣ですが、「日本で初めてカーセックスをした男」とも言われています。いつも通り芸者遊びをして店を出た時、見送りに出てきた「おきん」という芸者を一目で気に入った伊藤博文は、彼女を馬車に乗せ、一晩中街中を走る馬車の中で何度もセックスを楽しんだそうです。おきんは後に、「馬車の中は狭くて苦しかった」とこぼしています。

しかし、実は伊藤博文の前にも、カーセックスに挑んだ強者がいます。それは在原業平です。千年も前に平安京で牛が引く「牛車」の中で在原業平がセックスをしていたことが『伊勢物語』に書かれています。
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