目次
- 長岡京殺人事件の概要
- 1979年5月ワラビ採りに行った女性2人が行方不明となる
- 長岡京市内のスーパーでパートをしていた主婦2名
- 行方不明から2日後山頂付近で遺体を発見
- 死亡時刻は正午過ぎ~2時半
- 被害者の1人は絞殺
- 被害者の一人は刺殺
- 1994年5月時効が成立
- 長岡京殺人事件の残忍な犯行内容
- 犯行場所はレイプ事件も発生する薄暗い竹林
- 絞殺された主婦の身体には30か所以上の殴打の痕
- 肋骨が折れ肝臓が破裂していた
- 体内からは犯人の体液が検出される
- 刺殺された主婦の身体には50か所以上の殴打の痕
- 発見当時は包丁が身体に突き刺さったまま
- 下着やストッキングが裂かれていたが体液は検出されず
- 被害者2名のアキレス腱が切られていた
- 被害者の行動
- スーパーの仕事を終え弁当を持ちワラビ採りに向かう
- 持参した弁当を食べ正午ごろ子供の迎えに向かう予定
- 保育園に迎えに来ないことを不審に思った家族が通報
- 長岡京殺人事件の情報
- ワラビ採りに出かけた主婦は3人
- 財布が残っており強盗目的ではない
- 絞殺された主婦のポケットからメモ書きが発見される
- メモ書きに使用した鉛筆が見つからない
- 刺殺に使用された包丁からは指紋も販売ルートも判明せず
- 犯人として挙げられた人物
- 2人組の不良少年
- 25~30歳前後の男性
- 40代の作業服を着た男性
- 絞殺された女性の夫
- タケノコ窃盗の犯人
- 長岡京殺人事件の憶測
- タケノコ窃盗を咎められたため殺害された
- ナンパに失敗した逆恨み
- 以前からの恨み
- 山菜採りの縄張りをめぐっての争い
- 色恋沙汰や売春抗争
- メモは犯人が作ったもので犯人は女性
- 長岡京殺人事件ともう一つの事件
- 長岡京殺人事件の5年後主婦が殺害される
- 首や背中をめった刺しにされ布団に包まれて燃やされる
- 5年前に殺害された主婦2名と一緒にワラビ採りにいった人物との噂
- 長岡京殺人事件と同様に未解決事件
- 長岡京殺人事件後の変化
- 関連ドラマが作成される
- 防犯カメラの設置
- 未解決事件は他にもたくさんある
長岡京殺人事件の概要
via pixabay.com
長岡京殺人事件は、今から39年前の1979年5月23日に京都府長岡京市で発生しました。2人の主婦が数十回にわたって殴る蹴るの暴行を受けた末に絞殺、刺殺された衝撃的な事件です。
また、被害者の主婦が書いたとされる謎のメモ書きや5年後に発生した殺人放火事件との関係性など未解決事件となったことで未だに様々な憶測が飛び交っている事件です
ヒンターカイフェック事件の詳細と真相!犯人の手がかりと不可解な点 - POUCHS(ポーチス)
第一次世界大戦後にドイツで起きた大事件、ヒンターカイフェック事件はミステリーな点が多く、現在も犯行の真相は分からず、闇の中にあります。では、ヒンターカイフェック事件とはどのような事件だったのでしょうか。事件の内容、警察の動きなど詳しく紹介します。
1979年5月ワラビ採りに行った女性2人が行方不明となる
via pixabay.com
長岡京殺人事件は、今から39年前の1979年5月23日に発生しました。この日の正午前に2人の主婦が、地元の人々からは野山と呼ばれている奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の竹林に一緒にワラビを採りに向かいました。しかし、そのまま2人の主婦は戻ってこず行方不明となりました。
行方不明になってから2日が経過した1979年5月25日奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の竹林の山頂付近で2人の主婦の遺体が発見されました。2人の主婦がワラビ採りへ行き殺害されて事から「ワラビ採り事件」とも呼ばれています。
行方不明になってから2日が経過した1979年5月25日奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の竹林の山頂付近で2人の主婦の遺体が発見されました。2人の主婦がワラビ採りへ行き殺害されて事から「ワラビ採り事件」とも呼ばれています。
長岡京市内のスーパーでパートをしていた主婦2名
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殺害された2人の主婦はともに京都府長岡京市の阪急長岡天神駅前にあるいずみや(現在はイズミヤ)というスーパーに勤務していましたこの日は2人とも早番での勤務でした。
勤務が終わると2人の主婦は自転車に乗り勤務先のスーパーいずみやからほど近い地元の人々からは野山と呼ばれる奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の竹林へワラビ採りへ向かいました。
奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山付近で勤務していたガードマンや奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の入り口付近で作業をしていた近所の夫婦によると2人の主婦が奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山へ入山した時刻は午前11時頃だったと証言しています。
勤務が終わると2人の主婦は自転車に乗り勤務先のスーパーいずみやからほど近い地元の人々からは野山と呼ばれる奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の竹林へワラビ採りへ向かいました。
奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山付近で勤務していたガードマンや奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の入り口付近で作業をしていた近所の夫婦によると2人の主婦が奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山へ入山した時刻は午前11時頃だったと証言しています。
行方不明から2日後山頂付近で遺体を発見
via pixabay.com
2人の主婦がワラビ採りに奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の竹林へ向かって行方不明になった翌日の1979年5月24日に家族から警察へ捜索願が提出されました。この日の捜索では2人の主婦が殺害された現場付近にて、2人の主婦が乗っていた自転車が発見されました。
翌日1979年5月25日には警察官のほかに警察犬も導入されました。地元消防団などの協力も得て総勢120名による捜索が午前9時から開始されました。捜索を開始してから約1時間半後の午後10時半頃、警察犬が奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の竹林の山頂付近で反応を示しました。
2人の主婦の1人Aさん(43歳)の遺体が発見されました。そして、Aさん(43歳)の遺体が発見された現場から約10mほど進んだところでもう1人の主婦Bさん(32歳)の遺体が発見されました。
翌日1979年5月25日には警察官のほかに警察犬も導入されました。地元消防団などの協力も得て総勢120名による捜索が午前9時から開始されました。捜索を開始してから約1時間半後の午後10時半頃、警察犬が奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の竹林の山頂付近で反応を示しました。
2人の主婦の1人Aさん(43歳)の遺体が発見されました。そして、Aさん(43歳)の遺体が発見された現場から約10mほど進んだところでもう1人の主婦Bさん(32歳)の遺体が発見されました。
死亡時刻は正午過ぎ~2時半
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殺害された主婦2人の死亡推定時刻は早番での勤務を終えてワラビ採りに奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の竹林へ向かった1979年5月23日の正午過ぎから午後2時半までの間と推定されています。
殺害された主婦2人が持っていた荷物からは食べ終えた後の空の弁当箱や採ったワラビなどが発見されました。また、2人の主婦の財布も発見されましたが、財布の中身は手付かずのままで現金などそのまま残っていたとされます。
殺害された主婦2人が持っていた荷物からは食べ終えた後の空の弁当箱や採ったワラビなどが発見されました。また、2人の主婦の財布も発見されましたが、財布の中身は手付かずのままで現金などそのまま残っていたとされます。
被害者の1人は絞殺
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殺害された主婦の1人Aさん(43歳)の死因は首を両手で絞められたことによる窒息死でした。Aさん(43歳)の全身には約30箇所の皮下出血がみられ、手拳や蹴り上げられたような跡がありました。左右合計9本の肋骨が折れており、肝臓も破裂していました。このことから、殴る蹴るの暴行を受けていたとみられています。
また、Aさん(43歳)が着用していたシャツに乱れはありましたが、ジーパンはきちんと履いていました。しかし、Aさん(43歳)の体内からは犯人のものと思われる体液が検出されました。
また、Aさん(43歳)が着用していたシャツに乱れはありましたが、ジーパンはきちんと履いていました。しかし、Aさん(43歳)の体内からは犯人のものと思われる体液が検出されました。
被害者の一人は刺殺
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殺害されたもう1人の主婦Bさん(32歳)の死因は包丁で刺されたことによる失血死でした。Bさん(32歳)の遺体には肋骨を切断し、心臓から肺にまで達する包丁が突き刺さったままでした。
Bさん(32歳)の体にも約50ヶ所の皮下出血があり、拳で殴られた跡や足で蹴り上げられたような跡がありました。このことから包丁で刺されて殺害されるまでの間に犯人によって激しい暴力を受けていたことがわかります。
Bさん(32歳)の遺体が発見されたとき、下半身の下着は引き裂かれており、ジーパンや靴が遺体近くに散乱していました。警察は性的暴行を受けた可能性も示唆していましたが、Bさん(32歳)の体内からは体液は検出されませんでしたが、0型の血液型される体毛が付着していました。
Bさん(32歳)の体にも約50ヶ所の皮下出血があり、拳で殴られた跡や足で蹴り上げられたような跡がありました。このことから包丁で刺されて殺害されるまでの間に犯人によって激しい暴力を受けていたことがわかります。
Bさん(32歳)の遺体が発見されたとき、下半身の下着は引き裂かれており、ジーパンや靴が遺体近くに散乱していました。警察は性的暴行を受けた可能性も示唆していましたが、Bさん(32歳)の体内からは体液は検出されませんでしたが、0型の血液型される体毛が付着していました。
1994年5月時効が成立
via pixabay.com
殺害現場に残され手掛かりとなり得る物証は主婦Bさん(32歳)の遺体に突き刺さったままにされていた包丁1本のみでした。しかし、この包丁からは指紋は検出されませんでした。
この包丁は岐阜県関市で作られた約7万本のうちの1本とみられていますが、販売ルートは解明されずじまいでした。そして、有力な手がかりも得られないまま、2人の主婦が殺害された長岡京殺人事件は1994年5月24日に時効が成立しました。
この包丁は岐阜県関市で作られた約7万本のうちの1本とみられていますが、販売ルートは解明されずじまいでした。そして、有力な手がかりも得られないまま、2人の主婦が殺害された長岡京殺人事件は1994年5月24日に時効が成立しました。
長岡京殺人事件の残忍な犯行内容
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2人の主婦がワラビ採りに奥海印寺(おくかいいんじ)の裏山の竹林へ向かい殺害された長岡京殺人事件ですが、その犯行内容はとても残忍なものでした。ここでは、長岡京殺人事件の犯行内容の詳細をまとめました。
犯行場所はレイプ事件も発生する薄暗い竹林
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