2019年10月11日 更新

川崎国とは?川崎の事件の概要や川崎の治安・事件現場のその後

川崎国という言葉を知っていますか?川崎市中1男子生徒殺害事件と聞くとピンとくる人もいるかもしれません。今回は世間に衝撃を与えたこの事件現場の詳細や、その事件が発生した川崎市の治安、川崎国と呼ばれるようになった理由について紹介します。

目次

被害者少年が殺害されたのは2015年2月20日です。島根県から川崎市へ引っ越してきてから、わずか1年半のことでした。この間に、少年を取り巻く環境は一気に変わったと考えられます。

2015年冬休み明けから学校へ登校しなくなった被害者少年が、担任の先生へ通学の意思を表明した矢先に事件は起きました。2月19日母親と会話をしながら夕食を囲んだあと、外出しそのまま帰らぬ人となってしまったのです。

後に母親は、力づくでも外出するのを止めれば良かったと話しています。

死因は出血性ショック

Blood Cells Red - Free image on Pixabay (700843)

被害者少年は、手足を縛られてから暴行され、複数の切り傷をつけられた状態で冷たい冬の川を泳がされました。あまりにも残酷なこの行いは、どれが命を落とすきっかけとなってもおかしくはありません。

どれも命に関わる出来事ですが、死因は出血性ショック死でした。カッターにより切りつけられた傷は全身に渡り43ヶ所もあったそうです。そのうち31ヶ所は、首に集中していたと言われています。

カッターで切りつけては泳がせるという、人とは思えない行為を繰り返していたようです。

1人は途中で現場から離れたが呼び戻される

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この悲惨な事件の実行犯は少年3人。主犯格となる加害者とその友人2人により起こりました。その友人のうちの1人は、一度現場を離れましたが主犯格から「戻ってこい」と、携帯電話で呼び出されたと言います。

呼び出された後にカッターを手渡されて、被害者少年を切りつけるように命令されたそうです。被害者少年は事件が起きる前に友人たちにSOSを出していましたが、事件回避に結びつきませんでした。きっと、友人たちも心に深い傷を負ったことでしょう。

そして3人もいながら、誰一人として暴行を止める人がいなかったのかと思うと悔やまれるばかりです。

公衆トイレから火災

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何度もナイフで体を切りつけられ、川を及ぶように命令された被害者少年は下半身を川の水につけた状態で放置されました。加害者少年たちは、暴行後その場を離れたと言われています。

加害者少年たちがその後、どのような行動に出たかと言うと証拠隠滅に翻弄していました。被害者少年が死亡した1時間後、近くにある川崎市内のある公衆トイレから、火災が発生。

その火災現場からは、被害者少年が履いていた同じメーカーの靴や焦げた衣類が発見されました。その衣類は母親が今でも大切に保管しているそうです。

加害者の少年は雑誌にて実名報道された

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誰もが知っているように、どんなに残忍な事件を起こしていても犯人が未成年であれば、匿名での報道が日本では義務づけられています。

被害者少年の名前、写真、生活環境はどんどん暴かれるにも関わらず加害者のプライバシーは守られるのです。しかし、ある週刊誌において、この事件の主犯格である少年の実名や顔写真が報じられました。

インターネット上では真偽が定かではない加害者と思われる少年たちの個人情報が拡散されています。週刊誌が未成年加害者の実名や写真を公開したのは、世間に衝撃を与えました。

加害者少年らを逮捕

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主犯格である少年を恐れていたにも関わらず、なぜ被害者少年は夜中にその加害者少年グループに会いに行ったのでしょうか?その夜、その場所へ行かなければ命を落とすことは無かったのかもしれないと考えた人もいるでしょう。

被害者少年を呼び出したのは、加害者少年の1人。主犯格と一緒に居ることは知らせずに、LINEのやり取りの中でその現場へ呼び出したそうです。

被害者少年は事件当日、自分に起きることを予測することも無いまま外出しました。

2月19日の夜に被害者少年を呼び出すLINE

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加害者少年たち3人は、事件から約1週間後の2015年2月27日に逮捕された。主犯格である少年が、母親・弁護士と共に捜査本部が置かれている川崎署へと出頭したのです。

共犯である少年たちも、数時間後には自宅・署内それぞれで逮捕する運びとなりました。彼らの証言や裁判内容については、後ほど詳しく説明していきます。

現場にはいくつもの痕跡が残っていたこと、事件現場の近隣にある防犯カメラには加害者の少年たちが自転車に乗って逃走しているのが映っていたことを考えると、出頭しなくても早期解決には至っていたことでしょう。

加害者3人の関係性

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加害者少年の3人は元々顔見知りでした。1人は主犯格であった少年と同じ中学校出身の同級生、もう1人は1学年下で別の中学校出身だとか。

凶器となったカッターナイフを渡した少年は、被害者少年とあまり面識が無かったようです。また被害者少年を呼び出した少年は主犯格の少年と親友で、対等な立場だったという情報も流れています。

加害者少年たちの家庭環境は、確かに恵まれてるとは言えません。しかし心にどのような傷や闇を背負っていても、被害者少年に対して刃を向けて良い理由は少しも無いのです。

地元の知り合い

Nature Landscape Mountain - Free photo on Pixabay (700939)

加害者の少年たちは、地元での知り合い同士でした。この3人が引き寄せられた原因は家庭環境にありそうです。主犯格である少年は、日本人とフィリピン人のハーフということから学校でいじめを受けていました。また家庭ではしつけと称して、両親から暴行を受けていたようです。家でも学校でも居場所を無くしていたことは、想像できます。

実行犯の1人も主犯格の少年と同じように、母親がフィリピン人。日本語を話せない母親は、育児放棄気味になっていたとか。少年は母親に代わり妹の面倒をみていたそうです。この似たような家庭環境から主犯格の少年との距離は縮まりました。

もう1人の少年は両親はどちらも日本人です。家庭環境に大きな問題は無さそうですが、本人の我が強く学校での喧嘩は絶えなかったそうです。居場所を求めるように集まったのが、この3人でした。

加害者は飲酒すると暴力的になる

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加害者少年たちは、未成年にも関わらず日常的に飲酒を繰り返していたそうです。それぞれの両親は深夜の外出や飲酒を注意しましたが、止めるまでには至らなかったようです。

主犯格の少年は、地元でも色々な意味で有名な存在でした。彼がお酒を飲んで暴れだすと、誰も手をつけられないという話は事件前からあったそうです。

仕事で使うことを理由に、バッグとズボンのポケットには常にナイフを入れていると地元の友人たちに自慢気に話していたという情報も後に出ています。

加害者の主犯格は年下には威圧的

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