2019年7月13日 更新

平安時代の美人の条件とは?現代の平安美人や再現する方法も

おしろいを塗った真っ白な顔に長い黒髪、十二単…もしも平安美人が再現できたら、どのように見えるでしょうか。美の基準は国や時代で大きく違いますが、平安美人の条件やその理由の中には現代にも通じる美の姿があります。永久不変の美の本質を、平安美人に教えてもらいましょう。

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平安美人を表す言葉に「引目、鉤鼻」という言葉があります。引目は先ほどご紹介したとおり、切れ長の目のこと、そして鉤鼻はすっと鼻筋が通った小さな上品な鼻を指します。もちろん外国人のような高い鼻ではないにしろ、つぶれたようなぺちゃ鼻ではなかったでしょう。

「源氏物語」には、抜きんでて醜い鼻を持つ末摘花という女性が登場します。彼女の鼻は「普賢菩薩が乗る象のように長く、先が少し垂れて赤い」と描写され、源氏はなんで見てしまうんだろうと思いつつ凝視してしまいます。美しさの点では、そのような大きく赤くみっともない鼻よりは、まだ存在感のないぺちゃ鼻の方がましだったでしょう。

しかし、源氏は末摘花を「これだけブスなら、自分以外に世話してくれる人はいないだろう」と憐れみ、最終的には妻の一人として御殿に住まわせます。印象の薄いブスより、インパクトブスの方が男性の心を動かすものなのかもしれません。

平安美人と現代の美人との容姿は違わない

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平安美人は平らなおかめ顔、と思いきや、決してそうではないことが分かりました。もちろん現代の美人と違うところもありますが、共通していることも多くあります。現代にも通じる平安美人の要素についてご紹介しましょう。

鼻筋が通っている

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先ほどご紹介したとおり、平安時代ではぺちゃ鼻ではなく、鼻筋の通った小さめの鼻が好まれていました。これは現代にも通じるものがあります。鼻筋がすっと通り、鼻自体は上品に小さいのが無難で美しく、目や唇と言った他のパーツが大きくても小さくても調和します。

目や唇と違い、鼻はなかなかメイクで印象を変えるのが難しいもの。天性の美しさが出る部分かもしれません。顔の中心にありながらもあまり目のいかないパーツですが、色々な人の鼻をじっくり見てみると、印象が違って見えるのではないでしょうか。

目がキリっとしている

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平安時代では、引目といって一重で切れ長の目が美しいとされていました。「お椀のような丸い目」は気味が悪いとして好まれなかったようです。現代では二重の大きな瞳が人気ですが、涼やかで知的な切れ長の一重もまた別の魅力があります。

一重や細い目に悩んでいる女性も多いですが、無理に二重に見せよう、目を大きく見せようとするよりは、自分の魅力を最大限に生かすメイクをしましょう。自分の美しさを知っている女性は、人からも美しく見られます。

口がおょぼぐちで可愛い

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平安時代の美人はおちょぼ口であったとも言われています。顔を厚いおしろいで塗りたくった彼女たちは、大きな口を開けて笑うと、おしろいがはげ落ちてしまう恐れがありました。そのため、面白いものを見て大笑いしないよう扇を持ち歩き、顔を隠していたようです。

そう考えると、口はほんの少し微笑みを浮かべるだけの上品なおちょぼ口が美しく見えた、と推測しても不自然ではないでしょう。引目、鉤鼻とも、大きなぽってりした唇より小さな可憐な唇の方がバランスが取れます。
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現代ではそれなりに厚みも大きさもあるセクシーな唇が良いとされる傾向にありますが、おちょぼ口も少女らしい初々しさがあって可愛いものです。

京の舞妓さんは、1年未満の新人時代は「おぼこさ」を出すために下唇にしか紅を引かず、ベテランになると「色っぽさ」を出すため、唇の上下に大きめに紅を入れます。同じ唇でも口紅の塗り方でイメージは変わります。時には可愛いおちょぼ口で、平安美人を演出するのも良いかもしれません。

おしろいをつけていて肌が白くてキレイ

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先ほどご紹介したとおり、肌の色が白いことは平安美人にとって欠くことのできない必須条件です。しかも白いだけではなく、つややかできめ細かいことが求められます。

平安朝の女性たちは白粉を厚く塗っていましたから、肌荒れに悩んでいたことでしょう。また、当時は天然痘や疱瘡が定期的に流行り、命を落とす人も多くおり、貴族ももちろん例外ではありませんでした。例え病気を乗り越えられたとしてもその痕が顔に残り、美しさが損なわれたことに悩み苦しむ女性もいたことでしょう。

色白でキレイな肌からは、地肌そのものの美しさと手入れの丁寧さが見て取れ、その女性が健康であること、若いこと、女性らしいまめまめしさがあることの証明となっていたのかもしれません。

額が広く上品

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目鼻立ちのような分かりやすい部分ではありませんが、額の美しさも平安美人に欠かせない大事な条件でした。額が広いと上品とされ、狭いと目鼻立ちが整っていても気品が足りないといわれていたのです。

当時、貴族の女性は扇で顔を隠していることが多かったので、その扇から出ている額の美しさが重要でした。そのことは紫式部も日記に記し、「こういう中(扇で顔を隠したたくさんの女性たちがいて、額だけがずらっと並んで見えている状態)にあって優れていると目につく人こそ、最上の美人なのでありましょう」と評しています。目鼻より目につく機会が多い額に、その女性が持つ真の美しさが表れるのです。

現代では目鼻立ちに注意が行きがちですが、だからこそキレイな額をしていると、他の人から一歩抜きんでた洗練した女性と見られ、一目置かれることでしょう。

中肉中背でバランスの取れたスタイル

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先ほどご紹介したとおり、平安時代ではやせ過ぎよりはややふっくらしている女性が好まれていたようで、肉づきの良い女性は「つぶつぶと(むっちりと)している」と賞嘆されています。

しかし、もちろん肥り過ぎも良くありません。また、美人で理想的な体型をしていても、背が高過ぎると美人の基準からは外れてしまっていたようです。
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逆に小柄な女性は好まれていましたが、源氏物語で源氏が最も愛した、理想的な女性とも言える紫の上が「身長もちょうどよく、スタイルも理想的」と描写されているところから見ると、やはり最も美しいのは中肉中背のバランスのとれた体型であると考えられます。

ちなみに、この頃の「中背」は、150センチ前後と考えられています。また、「中肉」はスリムな女性が美しいとされる現代よりはややぽっちゃりしていたかもしれません。

平安美人は顔だけじゃない

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