2019年7月13日 更新

平安時代の美人の条件とは?現代の平安美人や再現する方法も

おしろいを塗った真っ白な顔に長い黒髪、十二単…もしも平安美人が再現できたら、どのように見えるでしょうか。美の基準は国や時代で大きく違いますが、平安美人の条件やその理由の中には現代にも通じる美の姿があります。永久不変の美の本質を、平安美人に教えてもらいましょう。

女性がモテる条件は顔やスタイルだけではありません。料理がうまい、気配りができる、良く分からないけどキレイっぽく見える、など、決して美人ではなくても、様々な魅力で男性を惹きつける女性はいつの時代も存在していました。

平安時代のモテ女には、一体どのような条件があったのかご紹介します。現代と似通った点も多くあって、きっと驚くことでしょう。

声がキレイ

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平安時代の姫は御簾の向こうに隠れ、その姿を見せることはなかなかありませんでした。そのため、男性は御簾の向こうの声から、その姿形を想像していたこともあったでしょう。

しかし、どちらかというと美しい声は男性側に必要な魅力だったようで、「源氏物語」にて「声が美しい」と評されているのは、主人公光源氏をはじめとした男性たちであり、女性の声の美醜についての描写はほとんどありません。男性は夜、心を寄せる女性の元に訪れますから、暗闇でも分かる女性の心をとろかせるようなきれいな声は、イイ男の条件だったのでしょう。

「源氏物語」で声について描写されている数少ない女性として挙げられるのが近江の君ですが、彼女は早口で頓狂な声であり、その点で美しさが損なわれていると評価されています。なよやかな声でゆっくり話すのが、美人の条件だったのかもしれません。

文字がキレイ

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平安文化はかな文字の文化とも言えます。平安時代も初期は漢文字が多く使われていましたが、九世紀頃には漢字を簡略化した「かな」が完成しました。かなを使うことにより、自分の言葉を日本語のままに表現できるようになり、日本文化はより発展したと言えます。

かなは簡単なだけではなく、その美しさは墨筆の芸術性を高めました。特に和歌をしたためるときは、料紙(和歌を書く紙)の選び方から始め、続けて書く曲線、線の太さ、細さの変化、余白の使い方など、かなをいかに芸術的に書くかが、したためられた和歌の美しさを完成させる技として尊ばれていました。

いくら和歌自体の出来が素晴らしくても、文字が美しくないと評価はされません。平安美人にとって、単に整っているだけではなく、芸術的にも美しい文字が書けるというのはとても大切なことだったのです。

教養がある

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平安時代の後宮では、教養があることが魅力ある女性の条件とされていました。その教養とは和歌、管弦、舞踏などに精通することで、美的生活を送るための感性を磨くことを大切にしていたことが分かります。

ただし、教養を誇示するのは下品とされていました。紫式部は「男だに才がある人はいかにぞや(男でさえ学問をひけらかす人はどうでしょうか)」と人が言うのを聞き、漢籍を読むのをやめ、「一」という漢字すら書かないように気をつけていたそうです。

教養は着物に焚きこめた香のように、目には見えなくても内側から匂い立つようなものであるべき、と考えられていたのかもしれません。

歌を詠むのがうまい

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平安時代の貴族の恋愛は噂と歌から始まります。噂で「どこどこの姫が美しい」と聞いた男性は、恋の歌を女性に贈ります。受け取った側は家族総出で大騒ぎ、相手の地位や評判、歌のうまさから返事を送るかどうかを判断します。

返事ももちろん歌ですが、この歌が下手だと男性は興ざめしてしまいます。女性が歌を詠むのが苦手な場合、家族やお付きの者が代わりに歌を考えることもあったようです。
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また、歌は早ければ早いほど良かったようです。紫式部日記では、起きがけに藤原道長から花を渡され、「これ、遅くては悪からむ(この花の歌が遅くなっては良くないだろうな)」と言われたと書かれています。

紫式部は寝起きの顔を見られた決まり悪さを感じつつ、すぐに歌を詠みます。すると道長は「あな、疾(おお、早いこと)」とにっこりしてすぐに返歌を詠みます。内容が優れているだけではなく、当意即妙に歌を作れることも称賛される条件だったのです。

性格がいい

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絵に描かれる平安時代の位の高い女性たちは、十二単を着て優雅に座っています。その様子は物静かでおしとやかで、性格も穏やかで非の打ちどころがないように見えます。

しかし、彼女たちも人間であり、今の私たちと変わらず欠点もたくさんあります。女性の性格の欠点としてまず多く挙げられるのが嫉妬深さです。「源氏物語」では、嫉妬のあまり相手の指を噛んだり、ライバルの女性のところに生霊となって現れたりと、嫉妬のあまり度を越した行動に出る女性たちが登場します。
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源氏物語の一節「雨夜の品定め」では、男性たちが恋愛歴や女性観を述べます。可憐で大人しくても自発的に色々できないのでは妻として駄目、ただ物質的に自分の世話をするだけでも駄目、教養があってもそれを振りかざすのは駄目と、なかなかうるさいことを言います。

そして最終的には、「もう階級も何も言いません。容貌もどうでもいいとします。片よった性質でさえなければ、まじめで素直な人を妻にすべきだと思います」という結論に達します。

美しさよりも位よりも性格が大切だと言う女性観は、今に通じるものがあります。しかし、そうは分かっていてもすべてが揃っている理想的な女性を追い求めるのも、時代を越えて変わらない男性のサガかもしれません。

父親の位が高くお金持ち

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身も蓋もない話ですが、平安貴族社会において「父親の位が高い」というのは欠かせないモテ条件でした。家の財産は女性が継ぎ、婿を取る時代であり、どのような女性を妻に迎えるかが出世や財産に影響します。そのため、「お金持ち」、「父親の位が高い」ことが重視されていたのです。

宇津保物語では、「近頃の男は女と結婚する時は、まず『両親はいるか、家土地はあるか』確かめる。美人でも、荒れたところに貧しく暮らす様子を見ると、あたりの土さえ踏もうとしない。一方、金持ちの妻や娘なら、猿のような姿形でも言い寄ってくる」というセリフがあります。何ともいやらしい話ですが、実力より家の位によって出世が決まっていた当時では、力のある家の女性を妻に迎えることが成功への道だったのでしょう。
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また、いくら家に財産があり、父親の位が高かったとしても、父親が亡くなっていると良い結婚はできません。入内(天皇に嫁ぐこと)が期待されるほど高貴な家に生まれた女性でも、結婚前に父親が亡くなってしまうと女房として位の高い女性に仕える道しかなくなってしまいます。「栄花物語」にはそんな悲劇の姫君が数多く登場します。

そう考えると、ブスで貧乏で身寄りがない末摘花が源氏の妻に慣れたのは本当に奇跡的です。現代では平凡なヒロインがなぜかイケメンにモテまくるというストーリーの漫画が数多くありますが、末摘花はそのはしりだったのかもしれません。

平安美人を再現する方法

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平安美人には派手な美しさはありませんが、可憐で知的で、何とも言えないたおやかな魅力があります。それを現代で再現しようと思ったら、一体どのようなことができるでしょうか。

もちろん十二単を着たり、髪を身長より伸ばしたり、お歯黒を塗ったりするのは不可能です。しかし、髪やお肌の手入れやメイクを工夫し、平安美人の良いところを取り入れることはできます。人とはちょっと違う個性的な美を求めている人はぜひ参考にしてください。

肌を白くする

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