2019年9月5日 更新

昭和最後の日は何が起きた?昭和最後の一週間を振り返る

1989年1月7日昭和天皇崩御により、64年間続いた昭和という時代の幕が閉じました。昭和最後の年である昭和64年は、たった1週間しかありませんでした。この1週間に間に起きた出来事や昭和が終わりを迎える頃の、日本の様子を振り返ってみましょう。

大正15年・昭和元年(1926年)12月25日に昭和天皇は第124代目の天皇として即位されました。昭和天皇は当時25歳。歴史天皇の中でも、最も長い在位期間を誇ります。

この頃、立憲政治体勢が色濃く昭和天皇の意が汲まれないことは少なくありませんでした。表面上では天皇大権とされていましたが、実際には立憲政治を守りたいという昭和天皇の意思もあったようです。

内閣や軍が次第に主導権を握るようになり、昭和天皇へは虚偽の報告もありました。世界孤立のきっかけとなった満州事変も、昭和天皇に対しては事後報告だったと言われています。

1945年8月14日終戦の聖断

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約6年間もの間、辛く長い戦争から国民を救い出したのは昭和20年(1945年)8月15日に流れた「玉音放送」でした。

相手国である連合国軍からポツダム宣言を受諾したことが、終戦の聖断と言われています。この宣言を受けた際に御前会議が開かれ、受諾するかどうかの話し合いが行われました。受諾派と徹底抗戦派は3対3に分かれ、最後の結論を昭和天皇に仰ぎました。

国土を占領されるのは耐え難いこと、しかしそれ以上に国民の命をこれ以上失いたくないこと、苦しい思いをさせたくないことなどを涙を流しながら述べ、受託したと言われています。8月14日に受託し、翌日15日に国民へ伝えられました。

戦争時の言動については賛否両論

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基本的には反戦争派の考えの持ち主だったのが昭和天皇です。戦時中も疎開をせずに皇居にて公務を執り続けています。

終戦の聖断を行ったことはもちろん、東京大空襲の被災地を視察した際には特別消防隊へのねぎらいの言葉をかけています。終戦後には戦争で両親を亡くした子の話を聞き、涙を流すなど国民に寄り添った思考の持ち主という印象を持つ人も少なくありません。

その一方、靖国神社や伊勢神宮への戦勝祈願なども欠かさず行ったり、軍の作戦にも積極的に意見を出していたりと、戦時中・戦後の昭和天皇の行動には賛否が分かれます。

生物学者でもあった

Analysis Biochemistry Biologist - Free photo on Pixabay (591197)

昭和天皇は生物学者としての一面も持っています。幼少期から生物に対して強い関心を持っていましたが、本格的な研究をスタートしたのが昭和4年です。この時に始めたのがヒドロ研究で、新種も発見しました。研究結果をまとめた著書は9冊にものぼります。

都会の中心にありながら大自然に囲まれた皇居は、昭和天皇の意向により残されたと言われています。生物に限らず自然全てを愛した昭和天皇は「雑草という植物はない」という名言を残しました。

昭和最後の一週間に起きた出来事

Day Planner Calendar Organizer - Free photo on Pixabay (591198)

昭和最後の年は1週間しかありませんでしたが、その間にも記憶に残る出来事が存在しています。これは昭和に限らず平成、令和においても語り継がれる出来事と言ってもよいでしょう。

歴史上最悪の事件のひとつと言われる「女子高生コンクリート詰め殺人事件」や、人気アイドル歌手・高橋良明さんのバイク事故など衝撃的な事件・事故があったのもこの年です。

また昭和天皇の崩御に伴い第68回全国ラグビー大会の決勝が中止になったのも、印象に残る出来事のひとつです。

女子高生コンクリート詰め殺人事件

Killer Horror Jimmy - Free photo on Pixabay (591203)

歴史上においても残忍な事件として語り継がれているのが、女子高生コンクリート詰め殺人事件です。昭和63年11月から昭和64年1月に渡り監禁され、集団リンチ・暴行の末に被害者は死亡しました。

遺体はコンクリートに詰められ東京湾埋立地に遺棄。人間とは思えない残虐非道な行いはもちろん、監禁先である家の家族が事件を把握できなかったことなど、国民の憤りや疑問はかなりのものでした。

事件の概要を知れば知るほど、胸が締め付けられる思いです。

高橋良明のバイク事故

Biker Motorcycle Ride - Free photo on Pixabay (591208)

高橋良明さんがバイク事故を起こしたのは昭和64年1月5日でした。事故当時レンタルビデオを借りに行くと外出した帰り道に、女子中学生をはねて自身は意識不明の重体。高橋さんは無免許運転だったと言われています。

女子中学生は全治2ヶ月、高橋さんも意識を取り戻し全治3ヶ月とそれぞれ診断されました。しかし高橋さんは同年1月23日に死去。医療ミスにより命を落としたのではないかという話もありました。

真実は定かではありませんが、才能ある人間が16歳という若さで亡くなったということに世間の注目を集めました。

第68回全国ラグビー大会決勝の中止

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昭和天皇が崩御した1月7日、第68回全国高等学校ラグビー大会の決勝が行われる日でした。決勝当日の朝、天皇崩御のニュースが流れたことによる措置でしたが、延期することもできず中止という決断に至ったと言われています。

決勝に残った茗溪学園と大阪工大高の両校優勝とし、開会式・優勝記念撮影のみが行われました。

この決勝戦は2015年4月26日に、当時の選手が集まり「幻の決勝戦」として試合が実現されました。

昭和最後の一週間に生まれた人物

Baby Couple Wedding Rings - Free photo on Pixabay (591218)

もちろん昭和最後の年である1週間の間には、胸が痛む出来事だけではありません。記憶に残る素晴らしい活躍をした人たちも、このわずか1週間の間に誕生しています。

たった1週間しかなかったということもあり、昭和64年生まれの有名人が少ないのは事実です。希少な昭和64年生まれの有名人の中でも、次の3名をピックアップして紹介します。

次の3名はエンタメ界でもスポーツ界で注目され、盛り上げてくれている人たちばかりです。

内村航平

Rings Athlete Gymnastics - Free photo on Pixabay (593149)

オリンピック個人総合において2連覇を果たし、国内だけではなく世界から注目されているプロ体操選手・内村航平さんも昭和64年1月3日生まれです。オリンピックに限らず世界選手権では、世界最多である6連覇という偉業を果たした選手としても知られています。

生まれは福岡県北九州市ですが、間もなく長崎県諫早市に移り3歳から体操を始めました。喫煙者でもあり偏食家でもあるスポーツ選手としては珍しい生活スタイルを送っていることは、世間の注目を集めました。現在では食生活なども徐々に改善されているようです。

個人総合の記録からも分かるように、全ての種目に置いて高いレベルで演技できる選手です。

梅田彩佳

Audio Microphone Bokeh - Free photo on Pixabay (591242)

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