2019年9月5日 更新

昭和最後の日は何が起きた?昭和最後の一週間を振り返る

1989年1月7日昭和天皇崩御により、64年間続いた昭和という時代の幕が閉じました。昭和最後の年である昭和64年は、たった1週間しかありませんでした。この1週間に間に起きた出来事や昭和が終わりを迎える頃の、日本の様子を振り返ってみましょう。

7日間しかなかった昭和64年を振り返る

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第二次世界大戦やオイルショック、バブル景気など数ある元号の中でも激動の時代と言えるのが「昭和」です。昭和元年(1926年)12月25日に始まり、昭和64年(1989年)1月7日に終止符を打ちました。

昭和天皇の突然の崩御により、1989年1月8日より新元号「平成」が誕生しました。歴史の転換期ともなるさまざまな出来事があった昭和について振り返ってみましょう。

最後の年である昭和64年はたった1週間しかありませんでしたが、その短い間にもセンセーショナルな出来事がありました。

昭和に起きた主な出来事

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約64年間あった昭和は、時代に大きな爪痕を残す大きな事件が数多くありました。それは人々の生活に潤いをもたらすものもあれば、数多くの命を犠牲にしてしまうものまでさまざまです。

次に紹介する出来事は歴史の教科書でも、目にしたことがある大きな事件や出来事ばかりです。昭和、平成、令和の時代を経て、今の生活があるのはこの時代に生きた人たちの犠牲・努力があった上でということを忘れてはいけません。

昭和に起きた大きな出来事を振り返ってみましょう。

満州事変

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満州事変は昭和6年~7年にかけて起きた出来事です。満州鉄道で起きた爆破事件を中国軍が仕掛けたものとしてでっちあげたのが始まりと言われています。

この事件を引き起こした理由は色々と言われていますが、満州利権を得るために旧日本帝国・関東軍の独断行動により仕組まれたとされています。関東軍の陰謀により引き起こされた大日本帝国と中華民国の間に起きた紛争だと分かると、世界中から避難され国際的にも孤立するようになりました。

国内においての政府と軍だけではなく日本と世界でのバランスが崩れるようになったのも、この事件がきっかけと言えそうです。

第二次世界大戦

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昭和14年9月1日~昭和20年9月2日に起きたのが第二次世界大戦です。49カ国が加わった歴史上最大の戦争と言われています。

日本・ドイツ・イタリアなどの枢軸国vsアメリカ・中国・フランスなどの連合軍による戦争は、昭和天皇の降伏文書への調印により終止符が打たれました。

世界中を巻き込んだ第二次世界大戦はナチスドイツがポーランドへの侵攻開始をしたのがきっかけです。侵攻されたポーランドを同盟を結んでいたイギリス・フランスと結託し、ドイツへ宣戦布告をしたことにより戦争の火花は切られました。

長崎と広島に原子爆弾が投下される

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第二次世界大戦は歴史上の戦争の中で、最も一般人を犠牲にしたと言われています。中でも忘れてはならないのが、アメリカ軍による日本への原子爆弾投下です。

昭和20年8月6日には広島へ、同年8月9日には長崎市へ投下されました。核兵器が実際に人に使われたのは過去にも今までも、広島・長崎への原爆投下だけです。

広島では14万人、長崎では7万人以上もの人々が犠牲となりました。現在でも被爆したことによる後遺症を抱えている人がいます。

高度経済成長

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昭和20年に第二次世界大戦により、日本は全てのものを失いました。世界からの信頼はもちろんのこと、多くの人々の命を失いマイナスからのスタートとなったと言っても良いでしょう。

終戦後の日本の成長は、とても著しいものがありました。原爆投下や大空襲により、一面焼き野原となってしまった日本は、わずか10年たらずで急成長をとげています。

高度経済成長期は、昭和29年12月から昭和48年11月までの19年間のことを指します。白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫を指す「三種の神器」が誕生したのもこの時期です。

昭和最後の日は自粛ムード

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平成30(2019)年4月30日に天皇陛下が退位し、同年5月1日に皇太子が即位され「令和」が始まった時は、国中が新しい時代に始まりに祝賀ムード一色。新しい時代の変化に盛り上がりを見せたのも、記憶に新しいでしょう。

しかし昭和最後の日となった昭和64年1月7日は、自粛ムード一色となりました。この自粛ムードは崩御当日だけではなく、前年から続いていたと言われています。

昭和天皇崩御が国民に伝えられた日、日本では何が起きていたのでしょうか?

1989年1月7日に昭和天皇が崩御

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昭和64年1月7日午前6時55分に昭和天皇が崩御されました。その約1時間20分後には国民に伝えられ、日本は悲しみに包まれました。哀悼の意を表すようにテレビは特別番組に変更し、休みになる学校・会社も出てきたほどです。

国民が自粛ムードに包まれたのは、実は前年より続いていました。昭和63年9月19日に大量に吐血され「重体」と報じられてから、国中が暗い雰囲気に包まれていたのです。

数ヶ月もの間、自粛一色に包まれた日本はまさに異様。詳しい自粛エピソードは後ほど詳しく紹介します。

TVは通常番組を休止し特別番組を編成

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昭和天皇崩御が伝えられてからは、通常番組を休止して特別番組に切り替える局がほとんどでした。崩御報道のあとに、特に注目されたのは、新元号についてです。

臨時閣議が開始されたこと、有識者によって新元号の決定が大詰めになっていることなどほど細かく元号報道はされました。朝8時ころにされた元号報道から、約6時間30分後の午後2時35分ころに小渕官房長官より「平成」が発表されました。

令和元号が発表されたのは平成30年4月1日。元号が変わる1ヶ月前から国民に周知されていたことを考えると、いかに慌ただしい1日になったのかは容易に想像できます。

会社や学校は休み

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