2019年9月5日 更新

昭和最後の日は何が起きた?昭和最後の一週間を振り返る

1989年1月7日昭和天皇崩御により、64年間続いた昭和という時代の幕が閉じました。昭和最後の年である昭和64年は、たった1週間しかありませんでした。この1週間に間に起きた出来事や昭和が終わりを迎える頃の、日本の様子を振り返ってみましょう。

昭和天皇崩御と共に政府より伝えられたのが、国民・企業は「哀悼の意」を表することでした。証券取引所や大相撲などは中止。一般企業も休むところも出てきました。

休まずに営業をしたところでも店内のBGMを消したり、営業時間を短縮したりと哀悼の意を示したと言われています。いつもよりも静かで明るさの消えた街並みを見て、昭和が終わることへの実感を噛み締めた人も多いでしょう。

平成天皇の生前退位は、これらの自粛ムードを目の当たりにし、社会を停滞してはならないという考えから生まれたものとも言われています。

国民全体が楽しいムードを避けた

The Traffic Light Pedestrian - Free photo on Pixabay (591158)

昭和天皇が大量吐血という重体を伝えられてからは、国民全体が楽しいムードを避けるようになりました。最初に変化が現れるようになったのが、テレビ番組です。

CM冒頭で流れる「お元気ですか?」というセリフの音声だけを消したり、長者番組だった「笑っていいとも!」のオープニングを変えたりと誰が見ても明らかでした。

バラエティ番組そのものが自粛され、芸人による興行も中止されるなど笑うことを避けるかのような世の中になってしまいました。この流れは全国各地に広まり、経済的影響も大きかったと思われます。

具体的な自粛エピソード

Film Photo Slides - Free image on Pixabay (591174)

昭和最後の日に限らず、昭和63年9月からは国中が自粛ムードに包まれていました。これは平成23年(2011年)3月11日に起きた東日本大震災後の日本に通ずるところもあるでしょう。

この自粛ムードには賛否両論あったのは事実です。昭和天皇に対する気遣い、歴史が変わるという不安に包まれた人も多かったでしょう。

昭和が終わる数ヶ月前から、次のような自粛エピソードが各地で聞かれていました。活力がどんどん失われていく日本を見て、不安は膨らむばかりだったはずです。

各地でお祭りが中止される

Japan Osaka Night - Free photo on Pixabay (591179)

昭和天皇に対する自粛エピソードの1つが、各地で祭りの中止が相次いだことです。毎年恒例の秋祭りの中止が相次ぎ、伝統行事だった東京神保町の古本まつりも中止となりました。

プロ野球日本シリーズにて優勝すると、そのチームの祝賀としてセールが開催されるのが恒例。しかし昭和63年に西武が優勝した際は、自粛ムード一色だったため優勝祝賀セールも中止となりました。

楽しむこと・祝うことに関係する行事に関しては、中止することが多かったようです。

クリスマスケーキの生産量2割減

Cookies Bake Christmas - Free photo on Pixabay (591181)

1年において最大のイベントのひとつと言えるクリスマスも、自粛ムードの影響を受けました。クリスマスソングは控えめに、大手企業ではクリスマスケーキの生産量が2割減になったと言われています。

昭和63年12月といえば、昭和天皇の重体報道がされてから約3ヶ月。月日はかなり経ちましたが、自粛モードは収まるどころか加速する一方でした。

朝日新聞では加速する自粛ムードに過剰すぎるのではないかと、特集が組まれたほどです。

年賀状に賀正を使わない

New Year Greeting 2018 Year'S - Free image on Pixabay (591182)

喪中はがきが別に販売されているのは一般的ですが、年賀状自体に「賀正」「寿」などが記載されていない年賀状が発売されました。

元気・おめでとう・誕生などお祝いごとに関する単語を使わないということが、昭和64年元旦の暗黙の了解とされていたようです。それは決して強制されたものではなく、前年から続く数ヶ月間の自粛ムードが国民をそうさせたのかもしれません。

国民が静かな正月を迎えているころ、昭和天皇の容態は悪化を迎える一方でした。

結婚披露宴が中止や延期に

Wedding Reception Family Lighting - Free photo on Pixabay (591183)

もちろん全ての新郎新婦がということではありませんが、結婚披露宴の中止や延期も相次ぎました。さまざまな年代や思考の持ち主が集まることからの配慮と言えるでしょう。

延期ができるならダメージは少ないですが、一生に一度の晴れ姿とも言える披露宴をやむなく中止してしまった新郎新婦は一体どのような気持ちだったのでしょうか?

結婚披露宴に限らず、創立記念などの祝賀会もこの年は中止する企業・学校が多かったようです。

昭和天皇はどのような人物だったのか

Man Rain Snow - Free photo on Pixabay (593137)

激動の時代の中心人物にいた昭和天皇は一体どのような人物だったのでしょうか?インターネットも普及していないこの頃は、新聞やテレビ、ラジオでの情報でしか知りえません。

64年間、日本国民の象徴となっていた昭和天皇の一生について紹介します。調べてみると歴史の教科書で知り得る情報だけではなく、あまり知られていなかった顔を見ることができました。

昭和天皇の一生は、まさに昭和そのものを映し出す鏡のようです。

1901年4月29日生まれ

Baby Birth Child - Free photo on Pixabay (591188)

明治34年(1901年)4月29日、港区赤坂にて後の昭和天皇は誕生しました。大正天皇・貞明皇后の間に産まれた4人兄弟の長男である昭和天皇の出生時体重は3,000gです。

本名は裕仁(ひろひと)と名付けられました。第一皇子だったため、大正天皇即位と同時に皇太子となっています。皇太子となったのが、明治45年・大正元年(1912年)昭和天皇がわずか11歳の時です。

大正5年(1916年)に陸海軍大佐に昇任し、この後に正式に皇太子となりました。昭和天皇が15歳の時です。

1924年1月26日に結婚

Heart Wedding Marriage - Free photo on Pixabay (591190)

大正7年(1918年)に後の香淳皇后が妃として内定されました。その翌年大正8年(1919年)に昭和天皇は満18歳を迎え、成年式が執り行われています。

結婚への話を進めている時に起きたのが、関東大震災です。大正12年(1923年)に起きたこの惨劇を目の当たりにし、結婚は延長されました。

翌年大正13年(1924年)1月26日に、妃として内定されていた香淳皇后と結婚。後に2男5女の皇子女を授かっています。

1926年12月25日天皇に即位

Crown Kings Bavaria - Free photo on Pixabay (593142)

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