2019年9月6日 更新

やっとかめは名古屋弁?名古屋弁の特徴や歴史についても!

「やっとかめ」と聞いて、すぐに理解できる日本人は少ないのではないでしょうか?ここ最近「地方が熱い!」と言われて何年か経ちますが、それとともに、今まで知らなかった『方言』を誇りにして、日本人を笑顔にしてしまうことが流行っているようなんです。

日本には様々な方言がある

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言語と方言の違いは曖昧であるそうです。言語と方言を区別する明確な基準はなく、隣接する地域同士では意思疎通が可能でも、他の地域では全く意思疎通ができなくなる場合もあります。そのために「世界にいくつの言語が存在するか」に対する明確な答もないそうです。

方言は「友好国同士か?敵対国同士か?」を区別するためにつくられたとも言われています。「言語」と「方言」を区別する方法として「言語とは、陸軍と海軍を持つ方言のことである」というものがあります。

自分たちが話す言葉が「方言」か「言語」であるかの認識では「その言葉を使う共同体が独立国家を持つか?否か?」という政治的・軍事的要因に左右されるそうです。

「やっとかめ」とは

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やっとかめとは、愛知県名古屋の上方の方言=上方の名古屋弁ですが、お隣の岐阜県の方言でもあり「やっとかめじゃなも」=「久し振りですね」のような使い方で、東美濃・奥美濃では「やっとめ」、郡上東・飛驒東では「やっとこめ」とも使われています。

旧遠江国で、現在の静岡県西部地区で使用される日本語の方言『遠州弁』にも、同じ意味の「やっとかぶり」があり「やっとぶり」とも言われますが「やっとかめ」はご老人しか使わない言葉になりました。この「やっと」は共通の日本語で「ようやく、とうとう、ついに」という意味で使われている言葉です。

遠州地方では「長い間、ずっと」という意味も加わり「やあっとかけて出来たでね」などと言われるのですが、その「やっと」=「やっとかめ」のやっとです。江戸で「久しぶり」が、遠州で「やっとかぶり」になり、尾張で「やっとかめ」になったそうです。

名古屋弁である

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名古屋弁には『上町(うわまち)言葉』と『下町(したまち)言葉』があります。上町言葉は、上品で綺麗な言葉で、下町言葉は、粗野で下品な言葉とされます。しかし、名古屋弁が地区によって2種類あるのではなく「敬語と丁寧語を話せる人か?」が重要視されるものなので、下町でも『上町言葉』を話す人はいます。

名古屋弁は『あいまい母音』と共に、相手により『目下に対する言葉』『同僚に対する言葉』『目上に対する言葉』か『目下に対する言葉』『少し目下に対する言葉』『少し目上に対する言葉』『目上に対する言葉』で方言を使い分けるのが名古屋弁の最大の特徴です。

ただし『少し目上に対する言葉』と『少し目下に対する言葉』は、話す内容により言葉が逆転することがあります。女性は『目下に対する言葉』『少し目下に対する言葉』『少し目上に対する言葉』を使うことが多いので、完璧な『目下に対する言葉』=『女性言葉』と取られることもあります。

漢字表記

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ネットで検索すると「名古屋弁の『やっとかめ』は漢字で『八十日目』と書きます」とされていることが多いですが「やっとかめ」の「やっと」は「長い間」という意味で80日目論は俗説だそうです。久しぶりという意味で使いたいのなら「八十日目」とは書かないのです。

「八十日目」=「やっとかめ」の単なる当て字で、ヤンキーの「夜露死苦」「愛羅武勇」のように「こう読むもの」と言われなければ読めないキラキラネームの走りだったようです。

昔から「人の噂も75日」と言われ、さらに5日足した80日目では「もう噂も聞かないほど会っていない」ということになるので「やっとかめ」が「八十日目」と書かれるとも言われています。

例文

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「久しぶりですね」は「やっとかめだなも」「やっとかめだわなー」と使われるように、使い方は簡単です。

「やっとかめ」以外で興味深い使われ方の名古屋弁があります。「とても疲れた」は、愛知県名古屋では「でら疲れた」 と言い、偽愛知県民と呼ばれる岐阜県民などは「でーれ疲れた」 と言います。 「どら○○」「でら○○」と使う人は愛知県民で、「でれ○○」は岐阜県民と認識されるわけです。

同じ東海地方の愛知県と岐阜県は、文化的にもっとも近い存在ですが、同じ愛知県でも、県西部『旧尾張国』と東部『旧三河国』ではアイデンティティが異なり、尾張と三河はまるで別物なのだそうです。

歌にもなっている「名古屋はええよ!やっとかめ」

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1985年6月21日、B面は「エビふりゃーでゃースキ」でシングルでリリース。 つボイ自身のシングル曲として1978年11年以来、6年半ぶりとなった。1996年にリリースされたアルバム『あっ超~!×つボイノリオ』の11曲目にも収録されている。

イントロは、山本が作詞・作曲したことで有名な中日ドラゴンズの応援歌「燃えよドラゴンズ!」のサビに酷似し、タイトルに!が付かない、キーと一部歌詞が異なり、山本 正之(やまもと まさゆき)が歌うカバーバージョンの「名古屋はええよやっとかめ」もあります。

この曲は、1996年まで中日ドラゴンズで活躍した『山崎武司』の応援歌の原曲であり、東北楽天ゴールデンイーグルス退団後、2012年、中日に再入団した際に再び応援歌として使用されていました。高尾のパチンコ機『CRくるくるポン萌2』では、大当たり中にこの曲が流れました。

つボイノリオのシングル曲

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「名古屋はええよ!やっとかめ」は「実際に会うと、とてつもなく腰が低くいい人だが、いざ歌となると狂気の世界に突入する」という、1949年4月18日、愛知県出身の日本のラジオパーソナリティ、シンガーソングライター、有限会社坪井令夫商店代表取締役『つボイノリオ』さんのシングル曲です。

愛知大学卒業後、在学中に深夜ラジオ『CBCヤングリクエスト』へ出演したつぼイノリオさんは、自作の曲「本願寺ぶるーす」を歌ったことがきっかけで芸能界入りし1970年レコードデビュー。東海地方のメインDJから、バンドを結成したり、東京や京都の番組も数々持ち、名古屋のメインDJに帰りました。

1985年、坪井令夫商店を設立し、PCが8ビット主流時代にフォントなどを発売し、インターネットラジオにも進出し、ミュージシャン活動も再開しています。2018年、日本記念日協会が6月9日を「つボイノリオ記念日」として認定しました。

歌詞について

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この曲は、愛知県出身の『つボイノリオ』さんが、同じく愛知県出身の『山本 正之(やまもと まさゆき)』さんにプロデュース・作詞・作曲・編曲を依頼して製作されました。タイトルは「大名古屋行進曲」でしたが「名古屋弁を入れたい」とのつボイ氏の要望で「名古屋はええよ!やっとかめ」になりました。

1980年代前半、タモリの「エビフリャー」など名古屋を揶揄する「名古屋いじり」が流行り、名古屋オリンピック誘致失敗し、1985年の円高ショックで自動車や繊維関連産業の「名古屋圏の経済」崩壊し「もう高望みや派手な話も控えよう」と言う空気が広がっていました。

そんな名古屋の状況に、つボイ氏は「名古屋人に自信を失うなと言いたかった」と、1番・2番の歌い出しで東京と大阪を挑発し「これからは名古屋だ!」と宣言し、名古屋にまつわる様々な事物・現象を織り込んだ歌詞が特徴です。インターネットの普及と発展で「名古屋を代表する歌」になりました。

B面は「エビふりゃーでゃースキ」

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名古屋の名所・名物が数多く登場している「エビふりゃーでゃースキ」の方が和風カントリーぽいと好む人もいるようです。

山本正之さんがセルフカバーしましたが、ナゴヤ球場はナゴヤドームに取って代わられ、名古屋人なら知っている「モグラのチカちゃん」は懐かしい存在になり、レインボースタジオも大名古屋ビルヂングも無くなったのに、歌詞も微妙で、つボイノリオ氏の歌うオリジナルよりパワー不足に思えるという声もあります。

名古屋弁について

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