2019年7月14日 更新

マークチャップマンとは?生い立ちとジョンレノン殺害事件のその後

マーク・デイヴィッド・チャップマンは、アメリカの殺人犯です。あのビートルズで有名なジョン・レノンを殺害した殺害犯として知られている男です。一体どんな人でなぜこんな事件を起こしたのか、性格や生い立ちなどを詳しく見ていきます。

目次

ジョン・レノンの殺害事件の後、世界中に衝撃を与えた事件だったため多くの人々は驚き、悲しみました。事件から20年以上経っても、悲しみは色あせることなくこの事件を元に映画が作成されることとなりました。

2007年12月7日に公開された「ジョン・レノンを撃った男(The Killing of John Lennon)」は、監督はアンドリュー・ピディントンで、チャップマンをジョナス・ボールが演じています。

2008年3月28日「チャプター27」が公開

John Lennon Statue Mathew Street - Free photo on Pixabay (442975)

二つ目の映画として2008年3月28日「チャプター27」が公開されました。ジョン・レノン暗殺に至るマーク・チャップマンの3日間を映画化した内容が話題となっています。J・P・シェファー監督のデビュー映画で、ベルリン映画祭のサンダンス・フィルム・フェスティバルで初公開されました。

監督はジャレット・シェファーで、チャップマンをジャレッド・レトが演じています。ジョン役は、偶然にも殺人犯とファーストネーム、ラストネームが同一の俳優、マーク・リンゼイ・チャップマンが演じました。

マークチャップマンの妻のその後

Chainlink Fence Metal - Free photo on Pixabay (450755)

マーク・ディビット・チャップマンには妻がいます。ジョン・レノン殺害事件後も離婚せずに犯行から40年近く経った現在も服役中のチャップマンのもとを訪れています。

突然、殺人犯の妻となってしまったグロリア・ヒロコ・チャップマンのその後に迫ります。

グロリア・ヒロコ・チャップマン

Couple Together Holding Hands - Free photo on Pixabay (450752)

マーク・ディビット・チャップマンの妻は、ハワイ在住の日系アメリカ人でグロリア・ヒロコ・チャップマンといいます。マーク・ディビット・チャップマンとの出会いは世界一周旅行の手配を通じて、旅行代理店に勤めていたグロリア・ヒロコ・アベと知り合います。

チャップリンは、極東から東南アジア、ヨーロッパを回ってアトランタまで旅し、ハワイに戻って1979年にグロリアにプロポーズをしました。グロリアはプロポーズを受け、チャップリンのために仏教からキリスト教に改宗しています。

今でも服役中の夫に会いに訪れている

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (450754)

グロリア・ヒロコ・チャップマンは、ジョン・レノン殺害のニュースを見た時、夫による犯行だと確信したことを明かしています。その理由はなんと2ヶ月前にマーク・ディビット・チャップマンがニューヨークを訪れて、自分が有名になるためにジョン・レノンを殺害しようとしていたことをグロリア・ヒロコ・チャップマンに明かしていたからです。

しかし、その時はマーク・ディビット・チャップマンがグロリア・ヒロコ・チャップマンを思いだし、愛の力で思いとどまったということです。そんな夫に今でも会いに訪れている様子を見ると、本当に愛し合っているのでしょう。

「これまで以上に彼を愛している」

Couple Love Romance Sunset - Free photo on Pixabay (450751)

グロリア・ヒロコ・チャップマンとマーク・ディビット・チャップマンが愛し合っているのはよくわかりました。しかし結局は愛の力であっても、この事件を止めることはできなかったのです。

グロリア・ヒロコ・チャップマンとマーク・ディビット・チャップマンの夫婦はオノ・ヨーコに対して、許しを乞う手紙を書いていますが、もちろん返信はありません。またレノンとチャップマンは天国で再会すると信じており、ポール・マッカートニーも刑務所を訪ねて現在のチャップマンに会えばきっと好きになるだろうと語ったといいます。

一年に一度44時間、刑務所の敷地内にあるトレーラーハウスの中で一緒に過ごすことが許されている

Fence Freedom Prison - Free photo on Pixabay (450757)

ジョン・レノン殺害事件後も、離婚せずに犯行から40年近く経った現在も、服役中のチャップマンのもとを訪れているグロリア・ヒロコ・チャップマンですが、一年に一度だけ一緒に過ごすことが許されています。

2014年に妻のグロリア・ヒロコ・チャップマンに初インタビューしたイギリスの「デイリー・メール」誌によると、二人は年に一度44時間、刑務所内のキッチン付きトレーラーで過ごすことが許されているといいます。

マークチャップマンが殺した「ジョン・レノン」とは

John Lennon Beatles Peace - Free image on Pixabay (450765)

ジョン・レノンの名前を知らない人は少ないのではないか、と思うくらい世界的にも有名な人物です。名前は知っていても実際にどんなことをしていた人なのか知らない、という人もいるでしょう。そう言った方のために被害者であるジョン・レノンについて詳しく見ていきましょう。

ジョン・レノンの生い立ち

The Beatles John Lennon Paul - Free photo on Pixabay (450767)

ジョン・レノンは1940年10月9日リヴァプールで誕生しました。出生時、父親は商船の乗組員として航海中で不在。母は他の男性と同棲していたため、母親の姉で「ミミ伯母」と呼ばれた中流階級のメアリー夫婦に育てられます。

その後1946年、父親が航海から帰国し、父親に引き取られて数週間一緒に暮らしましたが、母親がジョンを連れ戻します。しかし、母と暮らすことはできずにふたたびミミ夫妻に育てられることになってしまい、父親は姿を消してしまいます。幼少期は少し悲しい時間を過ごしたようです。

ジョン・レノンがビートルズになるまで

Beatles Liverpool - Free photo on Pixabay (450769)

その後は実の両親に育てられなかったためか、少年時代は反抗的でけんか騒ぎを起こすことが多かったようです。そんな中エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」を聴き、ロックンロールの洗礼を受け、音楽にのめり込んでいきます。

級友たちとスキッフルバンド「クオリーメン」を結成したジョン・レノンは、様々な活動やイベントを通して後のビートルズメンバーである、ポール・マッカート、ニージョージ・ハリスンをバンドメンバーとして迎えます。

その後バンド名は「クオリーメン」から「ジョニー&ザ・ムーン・ドッグス」や「ザ・シルヴァー・ビートルズ」と名乗るようになり最終的には「ザ・ビートルズ」となりました。

ジョン・レノンと日本の関係

Mt Fuji Volcano Mount - Free photo on Pixabay (450783)

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