2019年7月14日 更新

マークチャップマンとは?生い立ちとジョンレノン殺害事件のその後

マーク・デイヴィッド・チャップマンは、アメリカの殺人犯です。あのビートルズで有名なジョン・レノンを殺害した殺害犯として知られている男です。一体どんな人でなぜこんな事件を起こしたのか、性格や生い立ちなどを詳しく見ていきます。

目次

そんな幼少期を過ごしたマーク・デイヴィッド・チャップマンが成長し、高校に進学しました。14歳になったマーク・デイヴィッド・チャップマンは、ジョージア州のコロンビア高校に入りました。高校に進学した14歳のころから、親に反抗的になり、夜遊びを始めました。ついにはドラッグに手を出し、警察の世話になることもありました。

そんな14歳の反抗期真っ只中のマーク・デイヴィッド・チャップマンが変わったのはあるきっかけがあったのです。

16歳で伝道師の説教会をきっかけに真面目になる

Indian Child People - Free photo on Pixabay (442883)

反抗期真っ只中のマーク・デイヴィッド・チャップマンが変わったのは、16歳のときに長老派の伝道師に出会ったからです。長老派の伝道師の説教会に行ったのをきっかけに人が変わったように真面目になり、積極的に聖書のリーフレットを配り歩いたり、学業も向上したのです。

当時のチャップマンは、YMCAのサマーキャンプで指導員を務めていました。YMCAとは、キリスト教の精神に基づき、主に青年の生活指導・教育・福祉などを行う公益団体で子供から絶大な人気を得て優秀指導員の賞を受けるほどでした。ジョン・レノン殺害後読んでいたとされる「ライ麦畑でつかまえて」を友人から薦められたのもこの頃です。

高校卒業後は婚約者であった恋人と同じ大学に進学するも成績が振るわず

Pencil Sharpener Notebook - Free photo on Pixabay (442889)

その後、無事高校を卒業したチャップマンはシカゴへと移り、ものまね芸をする友人と一緒に教会やクリスチャン向けのナイトスポットに出演しました。

イベントではギターを担当していましたが、そこそこで故郷に戻ってきています。学生時代指導員を務めていたYMCAで働くためにコミュニティカレッジに通い始めます。YMCAの仕事では、アーカンソー州のベトナム難民再定住施設で働き、ここでも子供から人気を集めていました。

別の女性を愛してしまい罪悪感

Sad Depressed Depression - Free photo on Pixabay (442892)

YMCAのアーカンソー州のベトナム難民再定住施設で働いていたマーク・デイヴィッド・チャップマンは、その後、結婚を約束した恋人ができます。その恋人とテネシー州に移り、二人で長老派系の大学へ通いました。

ここまではごく普通な順風満帆な人生に見えますが、その後人生の転機を迎えます。なんとチャップリンは結婚を約束した恋人の他に、好きな人ができてしまします。チャップリンは別の女性を愛してしまった自分に罪悪感を感じ、ここから人生が大きく変わっていってしまうのです。

この頃から自殺願望が芽生える

Depression Sadness Man I Feel - Free photo on Pixabay (442896)

マーク・デイヴィッド・チャップリンは別の女性を愛してしまった自分に罪悪感を感じ、このころから自殺願望が芽生えてしまいます。その事から結婚を誓い合った二人で通っていた、長老派系の大学退学してしまいます。また婚約者とも別れてしまいます。

その後は一人故郷に戻ったマーク・デイヴィッド・チャップリンは、再びYMCAのサマーキャンプ指導員になりましたが今までのようにはうまくいかず、警備員として働き始める事にしました。

ハワイで何度か自殺を試みるが全て失敗に終わる

Syringe Pill Capsule - Free image on Pixabay (442916)

1977年には自殺するためハワイへ向かいます。しかし、ハワイという楽園で過ごすうちに生きる希望が生まれ、一度は故郷に戻っています。

故郷に戻ると両親と喧嘩してしまい、再び自殺をするためにハワイへやってきました。ハワイの浜辺で排ガス自殺を図っりましたが、日系人の猟師に見つかり一命を取り留めます。

この時、神に救われたと感じたチャップマンは、病院でリハビリを受け、回復後は近くのガソリンスタンドで働きながら、病院のボランティアとして老人の介護や雑用を手伝いました。

その後結婚し仕事を始めるが、神経過敏を再発しクビになり、夜警になる

Marriage Flower Purple Flowers - Free photo on Pixabay (442918)

その後、世界一周旅行の手配を通じて旅行代理店に勤めていた、日系アメリカ人のグロリア・ヒロコ・アベと知り合います。チャップリンは、極東から東南アジア、ヨーロッパを回ってアトランタまで旅し、ハワイに戻って1979年にグロリアにプロポーズをしました。

グロリアはプロポーズを受け、チャップリンのために仏教からキリスト教に改宗しています。6月に結婚し、病院の印刷係として勤め始めましたが、チャップリンは再び神経過敏になってしまいます。それが原因で周囲とうまくいかず、病院をクビになってしまいます。その後は夜間に警備を行う夜警になっています。

さまざまな衝動的で暴力的な異常行動が続くようになる

Background Blood Stain - Free image on Pixabay (442948)

チャップリンが再び神経過敏になり、病院をクビになってからは特に症状が悪化してきました。病気の症状が強く出ると強迫観念から過度な飲酒と異常な浪費が始まり、その後は一転して節約に夢中になったり、その行動は異常なほど極端でした。

さまざまな衝動的で暴力的な異常行動が続く中、ついには子供の頃、父親に怯える生活の中でいつしか「自分は寝室の壁の中に住む小人たちを支配する王である」という空想に浸るようになったという、想像上の小人も再び現れるようになりました。チャップマンは精神的にどんどん追い詰められていきます。

ジョンレノンの伝記を読み、その金満生活に怒り狂い殺害を目論む

Glasses Spectacles Vision - Free photo on Pixabay (442925)

さまざまな衝動的で暴力的な異常行動が続く中、チャップリンはたまたまジョン・レノンの伝記を読みます。ジョン・レノンの伝記であるGeoffrey Giuliano著「Lennon In America」は、1971年から1980年にかけてニューヨークを中心に生活していた時期のジョン・レノンを描いたもので、内容がかなり赤裸々に綴られています。

その金満生活に怒り狂ったチャップリンは、ジョン・レノンを殺害する事を計画します。そしてそのジョン・レノン殺害計画を空想上の小人たちに話したのです。今で言えば「サイコパス」的な考えと行動ですね。

10月23日に夜警をやめる

Police Security Safety - Free photo on Pixabay (442922)

ジョン・レノンの伝記を読んだマーク・ディビット・チャップマンは、ジョン・レノンの金満生活に怒り狂います。かなり赤裸々な内容の伝記だったので、ジョン・レノンのありのままが描かれていたのでしょう。

怒り狂ったマーク・ディビット・チャップマンが行動を起こしたのは10月23日です。なんと10月23日に夜警の仕事を辞めてしまいます。そこから犯行に及んだ12月8日まではかなり期間がありますが、様々な心の葛藤があったのでしょう。

10月27日に銃を買う

Attack Blackmailing Crime - Free photo on Pixabay (442934)

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