2019年7月14日 更新

マークチャップマンとは?生い立ちとジョンレノン殺害事件のその後

マーク・デイヴィッド・チャップマンは、アメリカの殺人犯です。あのビートルズで有名なジョン・レノンを殺害した殺害犯として知られている男です。一体どんな人でなぜこんな事件を起こしたのか、性格や生い立ちなどを詳しく見ていきます。

目次

ジョン・レノンの妻は日本人のオノ・ヨーコさんです。その為、妻であるオノ・ヨーコさんと頻繁に日本を訪れていたり、歌舞伎に興味があったということもよく知られています。

ジョン・レノンと日本の関係を詳しく見ていきましょう。

妻オノ・ヨーコと頻繁に訪日していた

John And Yoko Lennon The - Free image on Pixabay (450772)

ジョン・レノンはビートルズとして、初めて日本へ来日した以降も、妻であるオノ・ヨーコと頻繁に日本を訪れていました。妻が日本時ということだけでなく、ジョン・レノンは日本が気に入っていたのでしょう。

アルバム「ジョンの魂」を発表した直後の1971年1月13日から21日に日本を訪れた際には、同作品への俳句の影響を受けたことを認め、日本語で「しぶいアルバム」と表現したこともありました。

妻であるオノ・ヨーコさんに日本語を習っていたのでしょうか?

二人で歌舞伎隅田川を観劇し感涙

Kabuki Theater Theatre Japan - Free photo on Pixabay (450788)

日本に頻繁に来日するジョン・レノンが特に気に入っていたのは歌舞伎です。妻のオノ・ヨーコと2人で歌舞伎隅田川を観劇し、感涙したといいます。木村東介という古美術商が、店を訪れたジョン・レノンとオノ・ヨーコさん夫妻を歌舞伎座に招待したのが歌舞伎を見るきっかけになったとのことです。

ジョン・レノンが感涙したと言われる歌舞伎の演目は、ちょうど歌右衛門の「隅田川」が終幕にさしかかり、人買いにさらわれた息子を捜す女が、隅田川のほとりで息子の死を知らされ、涙にむせぶシーンにさしかかります。そんな内容を知るはずもないジョン・レノンは、退屈しているどころか、たくさんの涙を流していました。

それをみて感激した木村はジョン・レノンを楽屋に連れて行き、歌右衛門に「英国のビートルズの首領、ジョン・レノンが、あなたの演技に感極まりました」と紹介したのです。

1975年に行われた歌右衛門の英国公演を支援

Japan Theatre Kimono - Free photo on Pixabay (450790)

楽屋ではどのような話をしたのでしょうか。ジョン・レノンが歌舞伎に心動かされたということを伝えたのでしょうか?先ほどご紹介したように歌舞伎役者中村歌右衛門の楽屋を訪れたことが縁となり、ジョン・レノンは1975年に行われた歌右衛門の英国公演を支援しています。

ジョン。レノンの支援によってより歌舞伎が世界に広まるきっかけとなったことでしょう。このことからジョン・レノンは日本の歌舞伎に深く関わった人物と言えるでしょう。

軽井沢で夏を過ごした際に宿泊したホテル内の記念館にジョンのサインや、欲しがったといわれるピアノなどが収められている

John Lennon White Piano Guitar - Free photo on Pixabay (442976)

ジョン・レノンは1977年から1979年には、妻のオノ・ヨーコ、息子のショーンと毎年日本を訪れていました。東京や京都だけに収まらず、妻のオノ・ヨーコの別荘がある軽井沢で夏を過ごしたこともありました。なんとその期間は合計約9か月にもわたります。

軽井沢では、妻のオノ・ヨーコの別荘だけではなく、万平ホテルの旧館2階にも宿泊しています。万平ホテル内の記念館にはジョン・レノンのサインを始め、欲しがったといわれるピアノなどが収められています。

来日時には妻と靖国神社を訪れ参拝していた

Sunset Shrine Sea - Free photo on Pixabay (450801)

来日時には妻のオノ・ヨーコと靖国神社を訪れ参拝しています。これだけ日本に頻繁に訪れているジョン・レノンは、日本での友人も多かったとされています。

日本人の友人としては、ビートルズとして初めて来日した際にインタビューを受けた加山雄三や、ニューヨークのジョン・レノン夫妻のもとで過ごした時期のある横尾忠則、訪日時に食事をともにした内田裕也・樹木希林夫妻など日本のビックネームが友人だなんてすごいですね。

マークチャップマンが起こした事件は多くのファンを傷つけた

Girl Sitting Jetty - Free photo on Pixabay (450806)

ここまでご覧いただいて、いかにジョン・レノンという人間が世界中から愛された人であったか分かったと思います。同時に犯人であるマーク・ディビット・チャップマンが殺害してしまった人は、本当に多くの人を悲しみや憎しみで満たしたことでしょう。

自分が有名になりたいから、自分が主人公になりたいからといって、簡単に人を殺害してしまったマーク・ディビット・チャップマンはサイコパスで恐るべき存在です。そしてこの事件から40年近く経過していますがマーク・ディビット・チャップマンは10回目の仮釈放申請しています。

本当に反省していていても釈放されてしまうと新たな事件が起きそうな予感がします。そのくらいジョン・レノンの多くのファンは傷ついたことでしょう。犯人であるマーク・ディビット・チャップマンは十分に自分の犯してしまった罪の重さを理解する必要があります。

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