2019年9月25日 更新

アステカの祭壇は本当にやばい?霊能者の声や噂の真相とは!

あるテレビ番組の心霊写真特集で放送された「アステカの祭壇」という写真をご存知でしょうか?見ると呪われるとも言われているアステカの祭壇という写真ですが、今回はアステカの祭壇が放送事故だと言われた理由や、嘘や真相などについて詳しくご紹介します。

目次

アステカ文明の太陽信仰

Dawn Sun Mountain - Free photo on Pixabay (658858)

アステカでは、人身御供の神事が行われていました。人身御供は世界各地で行われていましたが、アステカの儀式は他と比べて特異であったといわれています。

アテスカの文明では、太陽信仰と呼ばれる信仰がありました。この太陽信仰とは太陽はいずれ消滅してしまうという終末信仰で、アテスカの人々はいずれ太陽が滅びてしまうと信じていました。

しかし、人間の心臓を生贄にすることで、太陽の消滅を先延ばしに出来るということも同時に信じられていました。そのため、人々は、日常的に人身御供を行い生贄になったものの心臓を神にささげていたのです。

捕虜や奴隷が生贄に

Chains Feet Sand - Free photo on Pixabay (658905)

心臓を神にささげるため以外にも、神々に雨乞いや豊作を祈願する際にも、人身御供の儀式を行っていたといわれています。そのためアステカでは多くの生贄を必要としていました。

そのためアステカでは生贄を多く確保するために戦争をする事もあったといわれています。また、生贄には通常戦争捕虜や、買い取られた奴隷の中から、見た目が高潔で健康な者が生贄に選ばれていました。

そして生贄に選ばれたものは人身御供の日まで丁寧に扱われたといわれています。

生き血の壺

Faucet Metal Bucket Zinc - Free photo on Pixabay (658960)

人身御供の神事の際に用いられていたものとしてあげられているのが「生き血の壺」と呼ばれるツボです。これはその名前の通り生贄になったものの血を溜めるために作られた壺の事です。

アステカの祭壇という言葉が有名になったきっかけの心霊写真にはこの、生き血の壺だと思われる壺のようなものが赤く映り込んでいた写真もあると言われています。

壺の形の詳細は分かっていませんが、とても恐ろしいものだと想像がつく方も多いかと思います。

アステカの祭壇とは?

Faq Questions Often - Free photo on Pixabay (658984)

アステカの人身御供では生き血の壺の他にも、生贄を殺すために縛った台なども置かれていました。これらの生贄に使う道具が赤く映ったものをアステカの祭壇と呼ぶようになりました。

なぜ赤色に映るのかというと心霊写真で赤色は悪しき霊を表現しているからだと言われています。なのでアステカの祭壇に関する写真は全て赤色で映っているのです。

そして、アステカの祭壇の写真をみると必ず不幸なことが起こると言われたり、アステカの祭壇が映ると、その写真に映ったものは亡くなってしまうといったうわさが流れて恐怖を呼びました。

生贄にされることは名誉だった

Soldiers Military Attention - Free photo on Pixabay (658999)

胸を切り裂いて動いている心臓を取り出すアステカの人身御供は残酷な儀式そのものですが、当時は生贄に選ばれるのは名誉なことだと考えられていました。

というのも太陽信仰が信仰されていた時代なので、自分が生贄になることで太陽の消滅を遅らせる事ができる、また多くの人から感謝されるので、気持ちがコントロールされていったのかもしれません。

とにかく、こんなに残酷な儀式にも関わらず、生贄になることは名誉なことだと言われていました。

アステカの恐ろしい儀式

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アステカで行われている太陽の信仰に基づいた新鮮な心臓を捧げる人身御供についてご紹介してきましたがいかがでしたでしょうか?この儀式だけでも恐ろしいですが、これ以外にもアステカでは様々な残酷な儀式が行われてきたといわれています。

なのでここでは、アステカで行われてきた恐ろしい儀式の数々をご紹介していきます。アステカでどのような儀式が行われてきたのか知りたい方や興味のある方は、ぜひ参考にしていただけたら嬉しいです。

それではさっそく「アステカで行われてきた恐ろしい儀式」についてご紹介していきます。

巨大ピラミッド開場の祭り

Pyramids Egypt Egyptian - Free photo on Pixabay (659202)

アステカの人々は、時に大虐殺を行ってきたといわれています。それが「巨大ピラミッド開場の祭り」です。アステカ帝国の首都テノチティトランに巨大ピラミッドを数年かけて完成させた後、それは起こりました。

アステカ人は巨大ピラミッドを開場する大規模なお祭りを行うと、4日間で約8万人以上もの人々を殺しました。子の出来事は、アステカ帝国史上最大の虐殺激に発展したといわれています。

ちなみに、アステカ帝国がメキシコ全土を統治していたころには、年間で25万人もの人々を虐殺していたと推定されています。

穀物の神への生贄

Wheat Grain Cornfield - Free photo on Pixabay (659246)

毎年春になると、豊作になることを祈って行われていたのが「穀物の神への生贄」です。この人身御供の儀式は「人の皮を剥ぐ祭典」という恐ろしい名前もありました。


祭典では、戦争の捕虜たちが生きたまま全身の皮を剥ぎ取られて絶命します。祭典の40日前に、犠牲者はシぺ・トテックを模した服装になります。赤色の羽や金色に輝く宝石を身につけるとも言われています。

そして祭典までの40日間は神として振る舞われます。祭典当日になるとピラミッド状の神殿の頂上に運ばれて、皮を剥がされます。はがされた皮は司祭に与えられて、司祭はその皮を20日ほど着るそうです。

テスカリトポカの祭り

Eclipse Twilight Moon - Free image on Pixabay (659283)

テスカリトポカの祭りは、太陽に命を捧げるお祭りだと言われています。トシュカトルと呼ばれるアステカ太陽暦の5番目のつきに、神テスカリトポカに似ている男性が一人選ばれます。(髪が長く、背の高いもの)その男性は翌年神のように扱われます。

そして選ばれた男性は肌を黒く塗られると、花冠や貝殻の胸当て、そして宝石類を身につけます。そして4人の美女が妻になります。選ばれた男性は笛を吹きながらアステカの町を周って人々から尊敬の念を集めます。

神のように扱われて一年たち、再びトシュカトルの月に入ると、その男性は大きなピラミッド状の神殿に入ります。そして司祭が、彼の心臓を抉って太陽に捧げるのです。その行為が終わるとまた翌年の犠牲者が選ばれます。

カニバリズムの風習

Pasta Fettuccine Food - Free photo on Pixabay (659322)

カニバリズムとは人食いのことで、こうした儀式が行われた後、その犠牲者の肉はトウモロコシなどと一緒に炒められて、貴族や司祭たちに食べられる風習がありました。

また、硬くて食べることができない骨は楽器や武器などに利用されていたといわれています。当時の儀式料理は「ポゾール」と呼ばれる料理で、今でもメキシコでは豚肉やにんにく玉ねぎキャベツなどの具材を使って作られています。

しかしアステカでは犠牲者の切り刻んだ肉を使っていたのです。

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