2019年9月30日 更新

障害者の性の悩みとは?性処理の方法やホワイトハンズについても

障害者の「性」や「性欲」に関する話題はタブー視されてきた傾向があります。しかし障害の有無にかかわらず、一人の人間として愛する人と一緒にいたい、肌を重ねたいと願うのは当然のことです。表に見えにくい障碍者の性の悩み。ホワイトハンズの存在とも合わせてご紹介します。

人間というのは「ダメ」「出来ない」と言われるほど、それを欲してしまうものです。ましては「性欲」は人間が人間たる証である欲求のうちの一つなのですから、それを自分が望むときに満たしてあげられないというのは、相当のストレスになります。

身体障碍の人は、言い方に語弊があるかもしれませんが考えることや感覚は、私達となんの違いもありません。愛する人に抱かれたい、抱きたいというごく自然の愛情感覚を持ちます。それを、自分の意志で体を使えないという理由から満たすことが出来ないので、自身の中で窮屈感とストレスが多く溜まってしまいます。

また、知的障害の人は私達が日々自然と感情をコントロールしている倫理、道徳、ルールなどについての認知が十分ではありません。自分はこうしたい→なのになぜ止められる!、と感情的になり、ただ性欲を抑制できず押さえつけられるだけの不満が残ることが多いです。

体位の限界

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特に身体に障害者を持つ人にとってセックスは、体位によって苦痛になり得ることもあります。足に障害を持っている人であれば足を開くだけでも痛みが伴いますし、そのうえ動かしたり、相手の動きに合わせるということは至難の技に近いと言えます。

手に自由が利かない場合も同様です。相手の上位側になったら手で体を支えなければなりませんが、時間が長くかかると痛いだけでなく感覚がマヒしてくるので、危うくばパートナーの上にそのまま覆いかぶさってしまうなんてことも少なくありません。

手であれば足であれ、体を支える部分が思うように動かせないということは、セックスを行う上で必ず起こり得る場面ですし、それが途中で難しくなるかもと思うと相手に悪いという気持ちで、なかなかセックスに移れない…となってしまう人もいます。

世間の障害者の性事情に対しての認識の甘さ

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ここ最近までは、障害者は「性」と関わらなせない方が良い傾向が強く、障害者の性欲を認めて考える機会はほとんどありませんでした。ここには「障碍者」はまず日常生活で一般の人と同等の過ごしやすさを確保しなければ、という考えがあったせいかもしれません。

しかし著名人や政治家など、障害を抱えてきた人でも活き活きと社会に貢献する姿を見たり、本人の経験や胸に秘めた想いをメディアに発信する機会も増えてきました。障害者の生活環境や人権について考えたり、疑問をもつ人々も増え、社会進出へのサポートや生活へのサポートも充実し始めているところです。

そこで「気持ちの充実」を考えた時、やはり障碍者の人であっても、人間として自然に起こる三大欲求の存在を大切にしなければという動きが出てきました。

女性障害者は性的被害に悩まされている

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女性障害者は「障害者への差別」だけではなく、「女性への差別」としても二重の苦痛を受けいることが多いと言われています。力の面でも男性寄り「弱い」というイメージが強いせいか、性的な被害や虐待を受けやすいという実情があります。

女性障害者の生きにくさは、「障害者」であることに加え「女性」であることが加わり、被害の受けやすさやその深刻さは何乗にもなって蓄積されてしまいます。

介護をする側からのセクハラ

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日本国内で強制わいせつを受けたことのある女性の割合は11%ほどだと言われています。中でも、女性障害者で「Yes」と答える人の割合は、視覚障害者の女性が6割近く、次いで肢体不自由の女性で2割と言われています。目が見えなかったり、声が出せなかったり、十分に体を動かせなかったりと「抵抗できな」ところを狙われ被害に遭うケースが多いです。

中でも身体的な介助をされることが多い女性障害者は、そのサポートを体力面で頼りになる男性介助者に頼ることが多く、この場合に胸を触られたり、無理に性行為をさせられるなどと言った性的被害やセクハラを受けることが多いと言われています。

トイレやお風呂の介助

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日本にいては、身体接触をともなう「異性介助」は問題視される声がありながらも、人手不足から暗黙の了解で黙認せざる負えない状況が続いています。人手が足りていない、時間の割りあてが合わない、その障害者にあった体力の人がいない…など施設側や運営上の問題で、異性介助をまだまだ払拭しきれいないのが現状です。

「施設で入浴の際、男性職員に体を洗われた」「知的障害の同級生のトイレ介助を独身の男性教諭がしていた」など、自身の経験でも知り合いの経験としても、その実態は今では珍しくはないことが伺えます。

障害者の性処理の方法

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不都合があろうと、困難があろうと、人間である以上は当然、人いは「性欲」が起こります。体に障害の部分があろうと、知的にまだ理解しえもらうのに十分でないのにせよ、沸き起こる性欲を何かしらの形で満たす術を探して、処理出来るようにしてあげなければなりません。

パートナーの協力

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一番望ましいのが、この「パートナーの協力」です。身体障碍の人は足を広げるにも、手を使うにも日常と同様に他者からのサポートが必要です。苦楽をともにすることを誓ったパートナーであれば、相手が何を求めているのか、どんなところに気まずさを感じているのかも理解しつくいているはずです。

身体障碍に限らず、このパートナーの力が大きくかかわってくるのが「精神障害者」の場合です。精神障害の人は脅迫観念だったり疑心暗鬼を拭い去れないなど、心のどこかしあに「恐れ」お抱いています。それでも性欲は状況を読むことなく押し寄せてくるのですがから、本人の相反する気持ちは複雑に絡み合います。

そんなパートナーの過去や特性を理解してあげているパートナーであれば、気持ちを軽くさせてあげたり、うまく満足いくようにと促してあげることも出来るでしょう。

親の協力

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特に男性で多いケースが「母親に協力してもらう」というパターンです。自力で性行為が難しい男性の身体障碍者にとっては、母親が息子の人生で唯一になる性の相手をするということも稀ではありません。

もともと、男性障害者が我慢できず夢精してしまったあとの処理をするなかで、「息子は女性とは一生…」という母親ならではのやりきれない想いが転じ、せめて自分でいいのならと母親自らが性の相手になることを選びます。

「虐待」と捉えられる危険があるせいか、女性障害者と父親との間に協力関係は成り立ちにくいようです。

風俗店

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障害者が利用するのは、繁華街にあるような風俗店ではなく、「デリバリーヘルス」と呼ばれるいわゆる「デリヘル」を利用することが多いです。デリヘルの中には、障碍者でも対応可能なところがあり、なかなか地元では行きにくいという人は、こういった旅行先でデリヘルを利用する人が多いようです。

普段は介助者や親に体の動きを頼んでいる身体障害の人には、普通の風俗嬢では手に負えるはずがありません。訪問したものはいいものの、どのように始めたらよいか、どこまで何ができるのかということを、専門性が無い人がいっても途方に暮れるだけです。

最近では、そんな性行為のサービスを「福祉」の一環として行おうという「ホワイトハンズ」の動きも出てきました。しかしこれには賛否両論の声があり、特に今まで長く福祉の世界に携わってきた人に「混同すべきではない」という批判の意見も多いようです。

日本初の性介護サービス「ホワイトハンズ」

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