2019年10月10日 更新

達磨大師とは?達磨大師の残した名言や伝説とは

だるまというと赤い見た目に怖い顔というイメージがありますが、元ネタである実在の人物についてはご存知ですか。数々の名言や言葉があり、少林寺にも密接な関係があります。だるまにはなぜ手足が描かれていないのでしょう?まただるまさんが残した伝説もあります。

達磨大師とは

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日本でだるまさんと慕われている達磨大師(だるまだいし)。その詳しい人物についてはあまり知られていません。丸くて赤いコミカルなイメージとはまた違う肖像絵はなんとなく見たことはあるけど、詳しくはあまり知らないという方が多いようです。

大昔の人で有名ではあるものの、事細かに記録されるような貴族ではないので曖昧なことも多く、話を盛られることも多いため「本当かな」と疑うようなことも多いです。まずは達磨大師のプロフィールから知っていきましょう。

インド人

Misaki A on Instagram: “📍タージ・マハルとにかく美しかった🙏✨✨ #tajmahal #beautiful #grave #india #delhi #jaipur #agra #trip #travel #backpacker #インド #旅 #旅行 #バックパッカー #海外 #タージマハル” (695250)

日本人の私たちがイメージする達磨の色は赤。それゆえになんとなく中国人かなと思っていたら意外にもインド人。仏教の関わりや二国とも早い文明の開花などもあり、昔から中国とインドは密接な関わりが多いようです。

中国の武帝が高僧である達磨大師を迎え入れたり中国で亡くなるなど、どちらかというとインドよりも中国のエピソードがやはり多め。日本も中国との関わりも大きいために中国のイメージがつきがちです。

達磨大師は中国へは479年遅くとも以前に宋境南越にやってきたとされています。

中国禅宗の開祖

Umbrella Buddhism Monk - Free photo on Pixabay (695279)

中華五祖と呼ばれる仏教の中の中国禅の初祖となり、釈迦から数えて28代目とされています。

禅とは大乗仏教の一派である禅宗の略で、坐禅を基本的な修行の形態とする宗派です。ブッダの時代から坐禅での修行はありましたが、確立されたのはずっと後の唐の時代になってから。禅の祖を遡ったら達磨大師にたどり着いたというわけです。なので達磨大師が直接何かを記録して書いたものというのは存在しません。

日本へは鎌倉幕府の初めに伝えられ、室町時代に日本仏教の一つとして発展していきました。

「達磨」「達磨祖師」とも呼ばれる

Daruma Doll Dharma Tumbling - Free photo on Pixabay (695390)

達磨大師の呼び方は色々。達磨、達磨祖師、達磨菩薩などがあります。菩提達磨(ぼだいだるま)と言われることもあります。唐の時代以前は「達摩」と表記されています。サンスクリット語では「ボーディダルマ」と言います。

ボーディとはサンスクリット語で「法」という意味。他にもさとり、仏教の悟りの境地、極楽に往来して成仏することなど、仏教にまつわる様々な意味があるようです。

菩提を得たものは仏で、これを目指すのが菩提菩薩ということになります。

勝利の際目を書き入れるダルマのモデル

ゆうこりん on Instagram: “* 本日は、毘沙門天祭 * 去年に続き、息子野球部の必勝達磨を買い求めてまいりました * 今年も片目のまま、返納しました… * 大願は甲子園出場ですが… * 開眼してもらうのに6000円ฅ(๑⊙д⊙๑)ฅ!! * 私がマジックで書いてあげるのにね(○゚ε゚○)プッ!! *…” (695474)

ダルマというと赤くて丸いあの形。選挙や野球、受験勉強など、勝負事の時に願掛けとして目を入れるというダルマがあります。他にも商売繁盛や開運招福などの願いが込められることも。

こちらのダルマ、元々はこのような形ではなく、達磨大師を描いた配り札だったようです。ある時和尚さんが木をダルマ型に彫って和紙をくっつけたのが現在のダルマの始まりです。あのダルマは日本だけで知られているものになります。

あのダルマは新しく買ったら左目(向かい合って描き手の右側)に目をまず入れ、願いが叶ったらもう片方に目を入れます。選挙の時に当選した議員がテレビで片目を入れるのはそういった意味があります。

「だるまさんがころんだ」などで古くから子どもにも親しまれる存在

ありさか@ココロリポート on Instagram: “どんだけ泣いててもぐずってても絵本、読むと落ち着く娘さん🎀  #絵本 の中でも #だるまさんが シリーズが大好きなようで先日セット購入👛 (図書館でも試しに色々借りたりもしています📚)  ペラペラめくると世界が変わっていく感じとか。…” (695498)

子供の遊びにもだるまはいます。「だるまさんがころんだ」「にらめっこ」など、私たちは小さな頃からだるまと関わることがありました。どちらも昔からある遊びですから、知らない人はいないのではないでしょうか。

絵本にもなることがあり、幼児向けの絵本であるだるまさんシリーズはロングセラー。セットになって販売されるなど、人気の絵本です。

赤くて丸いイメージで真っ先に思い浮かぶだるまさんは、子供にもわかりやすく親しみやすい見た目なので根強く残る遊びや絵本のようです。

達磨大師の一生

Hourglass Clock Sand - Free photo on Pixabay (695610)

達磨大師の一生はどのようなものだったのでしょうか。出家した年齢が早く、僧として修行している時間の方が長いので、元々はとある国の王子様だったと言われてもピンときませんね。

ですが非常に古い時代の人物で現実的に難しいのではないかというような史実もあるために、信憑性にかけるものも多く、寿命そのものもなんとなく疑わしいのですが…。そこは歴史ではよくある話でもあります。

仏教の中で言われている達磨大師の一生は以下のようになります。

南インド香至国で誕生

Incense Indian Aromatic - Free photo on Pixabay (695575)

達磨大師の生い立ちは弟子の曇林が伝えています。生まれたのはインドの西域、ペルシア周辺になりますが、現在のような国境はしていないので完全にインドと一致するわけではありません。南天竺国国王の第三王子として生まれました。時代は5世紀後半から6世紀前半ごろ。

日本でいうと古墳時代中期にあたり、日本という名前でもありませんでした。
達磨大師と深く関わることになる中国は南北朝時代。現在のように統一はされておらず、宋と北魏に分かれていました。

本名は菩提多羅

India New Delhi - Free photo on Pixabay (695650)

達磨大師、実は本名は達磨ではありません。本名は菩提多羅(ぼだいたら)と言います。達磨大師には般若多羅という師がいます。多羅とはサンスクリット語でターラー。仏母を意味しています。

達磨大師はあることがきっかけになりに出家して弟子入りしたのですが、その時に般若多羅から与えられた名前が「菩提達磨」です。亡くなった時に当時の中国の皇帝から大師号を与えられて「達磨大師」となりました。

現在でも誰かが亡くなった時にお寺に行くと生前とは別の名前をつけてもらって位牌に書きますよね。

般若多羅という僧侶が香至国を訪れる

Monks Meditation นั - Free photo on Pixabay (695678)

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