2019年10月11日 更新

石井博泰の死因とは?菊りん役で大人気だった彼の生い立ちも

石井博泰という名前にピンとこなくても『菊りん』と聞けば「ビー・バップ・ハイスクールの!」という昭和生まれの人は多いでしょう。しかし『菊りん』こと石井博泰さんは2018年に亡くなられているのです。謎の多い石井博泰の生い立ちや死因などに迫っていきます。

1968年1月26日、愛知県名古屋市出身。日本の女優でヒプノセラピストにもなりました。名前を本名で芸名の『宮崎ますみ』から『宮崎 萬純』に変えています。

1983年、映画『アイコ十六歳』出演で芸能界デビューし、1985年度の『クラリオンガール』にも選出されて広く認知されました。90年代には、映画『XX美しき凶器』『屋根裏の散歩者』、写真集『XX-HOLY BODY』『XXX』など、妖艶なイメージに変えて話題になりました。

1994年、カメラマンの男性と結婚し、アメリカで主婦として生活し講演活動も行い、2児の男の子を出産。2005年、芸能活動を再開し、乳癌であることを告白し、2007年に離婚。2009年、株式会社『ヒプノウーマン』を設立し、代表取締役に就任。ヒプノセラピストでもあります。

清水宏次朗

Motorbike Racing Motorcycle - Free photo on Pixabay (694798)

1964年11月10日、東京都出身。俳優・歌手。高校在学中に、当時一斉を風靡していた、独特の派手な衣装でディスコサウンドに合わせて野外で「ステップダンス」を踊る『竹の子族』の一人として原宿で踊っていたところをスカウトされ、芸能界入りし、アイドル歌手としてデビュー。

1985年、仲村トオルとW主演した映画『ビー・バップ・ハイスクール』で、不良少年『加藤浩志(ヒロシ)』が当たり役となり、大ヒットしシリーズ化されました。1987年、日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞。1990年代からは『極道の妻たち』などVシネマを中心に活躍しています。

2005年以降は所属事務所を移し、ライブやディナーショーなどを中心に活動していましたが、2014年、更年期障害を発症し、突然倒れたり手足の震えが止まらない状態になり、不安を紛らわせるために酒量が増え、継続的に飲酒をしている状態です。

石井博泰が遺した作品は今も愛され続けている

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石井博泰さんがテレビや映画で俳優として活躍していた時期は1980年代だけと短いですが、1980年代に青春を過ごしていた世代に独特のインパクトを残しました。

アイドルでもなく演技派でもないのに、日本に『菊りん』の代役はいない!と思わせるほどの熱狂的なファンを生み出したのは、自然体だったからだったのでしょう。

恐がられるような顔や格好をしながも、愛されキャラであることは隠しきれなかったようです。亡くなられてしまいましたが、今でも愛され続けていることに変わりはありません。

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