2019年10月11日 更新

石井博泰の死因とは?菊りん役で大人気だった彼の生い立ちも

石井博泰という名前にピンとこなくても『菊りん』と聞けば「ビー・バップ・ハイスクールの!」という昭和生まれの人は多いでしょう。しかし『菊りん』こと石井博泰さんは2018年に亡くなられているのです。謎の多い石井博泰の生い立ちや死因などに迫っていきます。

石井博泰さんは、芸能活動をしていない女性と結婚して、男の子と女の子の2人の子供にも恵まれていた事が分かりました。ヤンチャなイメージとは裏腹に、子供も家庭も大事にする良き夫であり父親になっていたようです。

息子さんは、パパのことが好きなせいか、パパと一緒にボクシングを習っているところがブログに残されています。第36代日本ライトフライ級王者『井上尚弥』選手の祝杯パーティーにも息子と一緒に参加されたようです。

娘さんのことも「Tシャツが届いたから早速うちの娘に着せてみた」という写真付きのブログが残されています。

死因が公表されていない芸能人

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テレビに出て活躍していた過去があっても、様々な理由で亡くなったことを公に発表しない芸能人や有名人はいます。テレビに出ているからと言って、全てを公表したくない「そっとしておいてほしい」というのが理由でしょう。

芸能人や有名人であるだけで、あることないこと言われたりしますから、残された大切な遺族たちに心配をかけたくない、自分のことで傷つけられてほしくないと思う愛情から「公表しない」という選択をして、安心して旅立たれました。

玄也

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玄也(げんや)さんは、1989年1月19日、兵庫県神戸市出身。俳優『千葉真一』さんが「世界で通用するアクションスター・スタントマンを育成・輩出するため」に、1970年に創設した『ジャパンアクションエンタープライズ』所属の、日本の俳優兼スタントマンでした。

2012年11月21日夜、日本の俳優で大衆演劇の『劇団朱雀(げきだん すじゃく)』の2代目『早乙女太一』さんら友人と食事中に「明日、俺死ぬから、朝9時過ぎくらいに警察を呼んで欲しい」と言ったそうです。翌日、自宅で自殺体となっているのを早乙女太一がさんが発見しました。

有賀さつき

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有賀 さつきさんは、1965年9月9日、愛知県名古屋市出身で、父親の転勤で5~8歳までニューヨークで暮らし、東京に戻ってきた帰国子女でした。バブル時代が華やかな頃にフジテレビで『河野景子』『八木亜希子』さんと共に「花の三人娘」と呼ばれ、女子アナブームの全盛期をつくりました。

会社の上司でフジテレビ解説委員『和田圭』さんと「授かり婚」をしましたが、後に離婚。2016年頃から体調を崩し気味でかなり痩せていましたが「親の世話をするために活動を停止する」と伝え「ダイエットに成功した」と話し、ウィッグを着用していたそうです。

2018年1月30日、東京都港区の山王病院で52歳で逝去し、後日スポーツニッポンの記事で「1月半ばより入院加療していた」「2019年1月に卵巣がんである事がわかった」と実父により公表されました。

児玉広志

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児玉 広志(こだま ひろし)さんは、1969年5月31日、香川県小豆島出身の競輪選手でした。高松第一高等学校在学中から自転車競技を始め、卒業後に日本競輪学校へ入学し、日本競輪学校の卒業記念レースで優勝。2年後、競輪祭新人王戦で優勝し、オールスター競輪で優勝し、トップ選手の地位を固めました。

また、身長166cmという小柄な体格で、戦法を無視してラインに関係なく立ち回る戦法は、現世代の選手たちに大きな影響を与えました。全盛期はタイトルを量産し、オールスター競輪とKEIRINグランプリで優勝し、競輪界の頂点にまで上り詰め、スタンドのファンから「児玉コール」を受けました。

2015年8月5日午後6時頃、香川県小豆島の自宅の風呂場で、顔面が漬かった状態でいるところを知人に発見され、2時間後に病院で死亡が確認され、香川県警により「事件性は薄く自殺」とされました。

苺みるく

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苺 みるくさんは、1981年2月2日、北海道出身の日本のAV女優でした。芸名の由来は好きな「かき氷のシロップ」で、2000年にAVデビュー。2001年『Adult Video GRANDPRIX』では最優秀女優賞を獲得しました。

2005年7月13日、福岡ソフトバンクホークスの吉武真太郎との交際関係のもつれから自殺を図り、7月20日には捜索依頼が出され、山梨県のコンビニの駐車場で警察署に保護されました。

2008年12月、AV女優に復帰しましたが、2012年10月、東京都中野の自宅で自殺しました。31歳でした。

大和田夏希

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大和田 夏希(おおわだ なつき)さんは、1953年、北海道出身の日本の漫画家でした。両親と姉が2人いる非常に貧しい環境で育ち、中学卒業後に上京し、川崎のぼるや手塚治虫の弟子になりました。

1971年『別冊少年キング』でデビューし、『週刊少年マガジン』『月刊少年マガジン』『週刊少年マガジン』などで活躍し始めます。結婚もし1男1女を設けますが離婚、2度目の結婚で1女を儲けましたが離婚しました。

過酷な創作活動で酒に溺れ、精神的に追い詰められ自殺。1994年2月20日、仕事場に来たアシスタントにより遺体が発見されました。

ビー・バップ・ハイスクールに出演した芸能人

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石井博泰さんのように、この大ヒット映画から発掘された有名人はいましたが、中でも主役級の俳優たちの存在感は特別でした。

1980年代は、現代のように有名人の二世三世がもてはやされたり、逆に普通の人が普通の感覚を持って芸能人になるという「芸能人とそうでない人の差がない」時代ではなく、いきなり発掘されてスター街道を登っていくような夢物語をテレビの向こうから魅せてくれる時代でした。

しかし今、ビー・バップ・ハイスクールに出演していた芸能人はどのようにしているのでしょうか?

仲村トオル

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1965年9月5日、東京都大田区出身の俳優です。妻は女優『鷲尾いさ子』で、長女はモデル『ミオ』です。0~3歳まで大阪府寝屋川市で育ち、神奈川県川崎市に転居、小学校3年から千葉県へ。デビュー作が1985年の映画『ビー・バップ・ハイスクール』です。

専修大学文学部在学中に『ヤングマガジン』に連載されていた漫画『ビー・バップ・ハイスクール』の映画化で公募された主演オーディションに応募し合格し、いきなり映画に主演デビューで芸能界に入りました。

その後『ビー・バップ・ハイスクール』シリーズ、刑事ドラマ『あぶない刑事』と、人気作品に立て続けに『トオル』役で出演し、広い世代に顔と名前が浸透し人気を得ました。現在まで、人気が落ち着くことはあっても衰えることはなく、俳優人生をまっとうすると思われています。

中山美穂

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1970年3月1日、東京都出身の日本の女優・歌手で80年代アイドルです。実妹は女優の中山忍。複雑な環境で育ち、幼稚園の頃から芸能界に憧れ、映画や劇団のオーディションを受けまくっていましたが、中学校1年生の時に原宿でスカウトされ芸能界に飛び込みました。

広告やポスター等のモデル活動、大手のCMに出演。1985年、ドラマ『毎度おさわがせします』のツッパリ少女『のどか』役で女優デビューし、思春期の性をテーマにしたホームコメディードラマでは体当たりの演技で、お茶の間に強烈なインパクトを与えました。

さらに『バーニング』傘下のビッグアップルに移籍してから、泣く子も黙る快進撃が始まります。アイドル歌手としてデビューし、ヒロイン役で初出演した映画『ビーバップ・ハイスクール』は大ヒットし、数々の作品は大当たりし、結婚離婚して海外から帰国しても、話題になり続けています。

宮崎ますみ

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