2019年9月5日 更新

「芸術は爆発だ」という名言の意味は?岡本太郎の来歴やその他名言も

芸術家の岡本太郎をご存知でしょうか?岡本太郎を知らなくても「芸術は爆発だ」という名言は聞いた事があるかもしれませんね。これから、岡本太郎の経歴や作品、名言などについて紹介していきます。興味を持ち、実際に作品を見に行くきっかけになったら幸いです。

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2013年、「岡本太郎のシャーマニズム展」が開催されました。岡本太郎の作品意図を、宗教的な職能者による思想や哲学である「シャーマニズム」に焦点を絞った企画展となっていました。川崎市岡本太郎美術館で開催されました。

岡本太郎は、民族学者マルセル・モースや、思想家ジョルジュ・バタイユらに思想的な影響を受けていました。しかし、それだけでは説明できない思想的な部分があったようなのです。実は、岡本太郎は1950年代初めから「シャーマニズム」に関心をしめしていました。

そんな岡本太郎の蔵書に、「シャーマニズム-古代的エクスタシーの技法」という本があったのです。これは宗教学者ミルチャ・エリアーデが書いた本です。この本の内容から影響を受けたと解釈できる作品が存在している事から、この本は岡本太郎に多大な影響を与えたのではないかと言われています。

2014年:岡本太郎と潜在的イメージ展開催

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2014年には「岡本太郎と潜在的イメージ展」が開催されました。岡本太郎の作品には、主題となったモチーフと共に、全体が顔になるよう構成された2つのイメージを持つ作品があります。こうした表現方法は、1930年から1940年まで滞在したパリで修得したものだと考えられています。

その時期に、岡本太郎は多くの芸術家と交流を持っていました。この「岡本太郎と潜在的イメージ展」では、存在的イメージをキーワードにしています。そして、ピカソ、セザンヌ、マッソン、マン・レイ、ブラッサイ、ルドンなどの作品と共に岡本太郎の作品を展示しました。

そしてこの展示は、彼らの作品達に残存し続けた、パリの芸術の思想を感じられる内容になっていたようです。

岡本太郎に影響を与えた芸術家

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岡本太郎に影響を与えた芸術家とはどのような人だったのでしょうか。これから、岡本太郎に影響を与えた7人の芸術家について紹介していきます。その中には、岡本太郎の両親も含まれています。芸術家だった両親が岡本太郎にどのような影響を与えたのかを想像してみると良いでしょう。

岡本一平

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岡本一平は岡本太郎の父親です。1886年に函館に生まれました。1910年に東京美術学校西洋画科卒業,帝国劇場の舞台美術に従事していました。1910年の12月に東京朝日新聞社に入社をして、漫画を描くようになります。

人間生活を鋭く捉えた描写と、短い中に、物事の真理や奇抜なすぐれた考えを含ませた言葉を入れる事によって、従来の風刺を主とした漫画の形式を一変させました。また、政治漫画でも時代の一歩先を行くものを製作していました。

2019年頃から、妻かの子と共に禅を修学しました。そのためか、作風にも仏教の影響が表れていったのです。2022年にはヨーロッパ生活を体験し、2024年には「世界漫画漫遊」を出版しました。

岡本かの子

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岡本かの子は岡本太郎の母親です。1889年に東京で生まれました。生家の大貫家は幕府や諸藩の御用達を代々行ってきた大商人だったのです。かの子の兄、大貫晶川(しょうせん)は谷崎潤一郎と高校時代から親交がありました。「明星」を寄稿して、谷崎らと第二次「新思潮」を刊行した文学者でもあります。

かの子は兄の晶川の影響を受けました。そして、「明星」に新体詩(明治に入り西洋の詩の形式を取り入れ作った、新風の詩。)や和歌を発表し小説家、歌人として活躍します。その後、1910年に岡本一平と結婚をします。性格上の衝突を繰り返すようになり、夫婦間の問題に悩み抜きます。その末に、仏教にたどり着く事になったようです。

この子は、「かろきねたみ」「愛のなやみ」などの歌集を刊行しました。

マルセル・モース

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マルセス・モールは、1872年にフランスのエピナルに生まれました。ボルドー大学に入学して、デュルケームやアルフレッド・エスピナスら元で哲学を学びました。また、パリの高等研究実習院でインド宗教史を専攻しています。その後、コレージュ・ド・フランス社会学講座を担当するようになりました。

さらにその後、パリ大学民族学研究所で民族誌学を講じるようになったのです。また、アンリ・ユベールと共に「社会学年報」の宗教社会学部門等の編集に携わります。そうして、フランス社会学派の開拓に尽くていきました。

パブロ・ピカソ

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パブロ・ピカソは1881年にスペインに生まれた、世界的な画家です。ピカソは「キュビズム」と呼ばれる芸術の創始者とされています。このキュビズムとは、従来の遠近法に頼らず、異なる複数の視点からとらえた物体のの形を一つの画面に描写する方法の事を指します。ピカソは、このような独自の表現方法を確立したのです。

また、ピカソは非常に多くの作品を製作した芸術家として、ギネス世界記録に登録されています。ピカソはその生涯で1万点を超える油絵やデッサン、他にも10万点もの版画や、数百点の彫刻や陶器作品などを世に残しました。

ミルチャ・エリアーデ

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ミルチャ・エリアーデは、ルーマニアの宗教学者であり小説家です。1907年に彼はルーマニアのブカレストで生まれました。そして、青年期に入り大学卒業後の1928年にインドに留学します。そこでヨーガを研究して博士号を取得します。1934年にはブカレスト大学で哲学を講じていました。

その後1949年にはルーマニアの在パリ研究所所長になり、さらにその後1957年にシカゴ大学教授となりました。著書には、「永遠回帰の神話」などがあります。

ディエゴ・リベラ

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ディエゴ・リベラはメキシコの画家です。1886年にメキシコのグアナフアトで生まれました。1907年にスペイン留学をします。その後、ヨーロッパ各地を遍歴しました。パリではクレー、ピカソらと知り合いキュビズムの影響を受けます。1922年には帰国し、シケイロスらと画家組合を作ります。

精力的に壁画運動を展開していき、メキシコの神話、庶民生活、歴史などをテーマにしたダイナミックな構図の作品を手がけていきました。その活動から、オロスコ、タマヨ、シケイロスと並んでメキシコ画壇の4大巨匠の一人に選ばれました。主な作品に「チャピンゴ農学校」、「国立宮殿」などがあります。

ダビッド・アルファロ・シケイロス

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ダビッド・アルファロ・シケイロスは、1896年にメキシコのチワワ州に生まれました。メキシコの社会主義リアリズムの画家(壁画家)であり、スターリン主義者でもありました。巨大なフレスコ壁画作品で知られています。

メキシコ壁画運動(メキシコ・ルネサンス)を、ディエゴ・リベラ、ホセ・クレメンテ・オロスコら一緒に立ち上げました。このメキシコ壁画運動とは、1920年代から1930年代にメキシコ革命下にメキシコで起こった絵画運動の事を指します。メキシコ人としてのアイデンティティーや、革命の意義を民衆に伝える事が目的とされていました。

そのため、多くの人に広く見てもらえる壁画が、主な媒体に選ばれたようです。

岡本太郎の残したその他の名言

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