2019年9月11日 更新

久留米看護師連続保険金殺人事件の概要とその後!犯人達の人物像も

看護師という人を救う立場にあった女性たちが、殺人を繰り返した久留米看護師連続保険金殺人事件。この事件の犯人は、普通に暮らしていた4人の女性たちです。この記事では、女性たちが事件を起こしたわけと、その後どういった末路をたどったのか、詳細にご紹介していきます。

目次

吉田純子がまだ幼かったころ、父親は自衛官を辞めてしまいます。自衛官を辞めた理由は、家庭の事情だったと言われており、決して父親が「楽をしよう」「もう働きたくない」といった理由ではありませんでした。その証拠に、父親はすぐに、次の仕事となる自動車修理工場を設立します。

しかし、この事業がなかなか上手くいきませんでした。父親が経営する自動車修理工場の収入だけでは、家族4人で暮らすには心もとなく、母親は内職や家政婦として働き、家庭をサポートすることになります。それでも、吉田純子の家庭は、貧困だったようです。

幼少期に貧困生活が続いたことから、金に執着心を持ち、犯罪行為に走ったとも考えられています。

母親は父親にたいしての愚痴を純子に愚痴ることが多かった

Conversation Talk Talking - Free image on Pixabay (620560)

母親は父親にたいして日常的に感じる不平不満を、吉田純子にこぼし続けました。稼ぎが少ないことはもちろん、暴力行為にたいしても、母親は愚痴をこぼすようになります。吉田純子の父親は、母親にたいして当たり散らすことが度々あり、非常に暴力的だったようです。

こうした母親の振る舞いから、男性にたいして不信感を募らせていった可能性が考えられます。久留米看護師連続保険金殺人事件のターゲットとなったのは、共犯者の夫たちです。女性を殺人する計画もあったものの、最終的に手を下すことはありませんでした。

母親は4歳年下の弟を可愛がり純子には厳しく接した

Boy Children Girl - Free photo on Pixabay (620562)

母親は、純子に愚痴をこぼすばかりでしたが、純子の弟にはただひたすら優しく接しました。母親が弟ばかり可愛がった理由は、弟が非常に優秀だったからです。勉強はもちろん、運動神経も優れていたため、母親だけではなく父親まで弟を大変可愛がりました。

弟と比べできが悪かった純子にたいして、両親は厳しいしつけを行います。時には、暴力的な行為もあったようです。幼い純子は、なんとか両親の愛情を受けようと、あらゆる方法を考えたでしょう。その一つが、嘘です。

純子には幼少期から虚言癖があった

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吉田純子には、幼少期から虚言癖がありました。虚言癖という癖が形成される理由は多々ありますが、自分を大きく見せたいという理由も存在します。弟ばかり愛され、体罰を受けていた吉田純子は、自分をより大きく見せることで、両親から愛されようとしたのでしょう。

他にも、劣等感が強く自分に自信がないために、頻繁に嘘をつく場合もあります。劣等感が強くなる理由もまた、幼少期の両親との関係に要因があると言われているのです。この癖が、吉田純子の人生に、大きな影響を及ぼすこととなります。

1975年看護学科に入学

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1975年、吉田純子は私立佐賀女子高校衛生看護かに入学しました。吉田純子は私立佐賀女子高校衛生看護に入学する際、奨学金制度を利用していることから、実家は当時もまだ裕福ではなかったと考えられます。

また、私立佐賀女子高校衛生看護に入学する際の手続きや、奨学金を利用する申請などは全て、吉田純子が1人で行いました。こういったことから、両親の愛情は当時も、弟ばかりに集中していたと考えられます。吉田純子の虚言癖は、私立佐賀女子高校衛生看護で本格的に表れ始めました。

1978年詐欺行為を行い停学処分を受ける

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1978年、吉田純子が高校2年生になった時、学校から停学処分を受けました。その理由は、嘘による詐欺行為です。吉田純子は、友人の妊娠中絶費用だと称し、大勢のクラスメイトからお金を受け取りました。もちろん、友人の妊娠中絶は、吉田純子の作り出した嘘話です。

1回目で味を占めた吉田純子は、再び嘘をついてお金を集めようと試みますが、それはあっけなく失敗します。2度目だったことから、誰も信用しなかったのです。この出来事が学校側に発覚し、2か月間の停学処分を受けることとなりました。

1979年看護専門学校に入学

Door Entry Hospital - Free photo on Pixabay (620571)

詐欺行為によって2か月間の停学処分を受けた吉田純子は、世間体や学問等の遅れを考え、転校することとなります。転校先は、通学していた私立佐賀女子高校衛生看護と同じ系列の、武雄校舎です。転校したことによって、吉田純子は准看護師の資格しか取ることができませんでした。

自身のついた嘘によって、転校することとなり、正看護師の資格取得も叶わなかった吉田純子でしたが、反省の態度は全く見られません。その証拠に、転校先でも多くの嘘をつきます。野球部のエースと交際している、御曹司と付き合っているなどと嘘をついたり、友人同士の仲を引き裂くような嘘も吹聴していました。

吉田純子は、こういった経験から、嘘によって他者を操る特徴を身に着けていったと考えられます。

1981年6歳年上の自衛官と結婚

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吉田純子は准看護師の資格を活かし、一度就職します。しかし、再び看護専門学校に入学し、そこで正看護師の資格を取得しました。この時入学した学校は、聖マリア看護専門学校です。現在は、聖マリア学院短期大学と呼ばれています。

この時入学した学校で、後に共犯となる3人の女性たちと出会いました。当時から、吉田純子がリーダー的存在だったと言われています。22歳となった1981年、吉田純子は7歳年上の自衛官と交際を実らせ、結婚しました。結婚生活は、夫の実家で同居という形でスタートします。

3人の子どもに恵まれる

Hand Baby Child - Free photo on Pixabay (620576)

結婚後、吉田純子と夫との間には、3人の娘が誕生します。この頃、吉田純子と夫は、夫の祖母の養子となりました。養子になった理由は、祖母が土地を所有していたからです。のちに、祖母が所有していた土地を相続した吉田純子は、その土地を担保に3,000万円の借金をし、贅沢な生活をおくりました。

この時、吉田純子の夫はマインドコントロールされていたという説も存在します。養子縁組を受け入れ、相続した土地を担保に借金をした妻を咎めなかったからです。

共犯堤美由紀という人物

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久留米看護師連続保険金殺人事件の共犯者の1人は、堤美由紀です。堤美由紀もまた、吉田純子と同じ看護師という職業についていました。吉田純子に出会い、大きく人生が変わった女性の1人であり、吉田純子と1番関係が深いとされた人物です。

ここからは、堤美由紀という人物の生い立ちや、吉田純子との出会い、どのような過程を経て犯罪行為に及んでいったのか、詳細にご紹介していきましょう。

看護学校卒業から8年後連絡を取り合うようになる

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