目次
被害者への謝罪は一切なかった
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初公判以来、死刑執行までの間、宅間は結局被害者や、遺族に対しての謝罪はしませんでした。早く死刑を望んでいたこともあり、反省する必要を感じなかったのかもしれません。
第13回の公判の時、裁判長が初公判の際に宅間が述べた、「命を持って償いたい」ということについて尋ねたところ、宅間は「償うとか関係無い。死刑になると思ったからそう思っただけで、謝罪する気持ちも無い」と答えています。
この言葉から考えると、宅間は最初から一度たりとも、この事件の被害者達に対しての反省は無かったのでしょう。
第13回の公判の時、裁判長が初公判の際に宅間が述べた、「命を持って償いたい」ということについて尋ねたところ、宅間は「償うとか関係無い。死刑になると思ったからそう思っただけで、謝罪する気持ちも無い」と答えています。
この言葉から考えると、宅間は最初から一度たりとも、この事件の被害者達に対しての反省は無かったのでしょう。
事件後の影響・反響
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安全であるはずの学校が、この事件によって実は危険がたくさんあるということを知った世間では、当時様々な影響を与えました。
犯人の残虐性や、異常とも呼べる暴言、言動、数々の犯罪などから、宅間守の生い立ちなどにも注目が集まり、連日報道される大ニュースとなっていたのです。ここでは、事件後の影響や反響を紹介します。
犯人の残虐性や、異常とも呼べる暴言、言動、数々の犯罪などから、宅間守の生い立ちなどにも注目が集まり、連日報道される大ニュースとなっていたのです。ここでは、事件後の影響や反響を紹介します。
「宅間守精神鑑定書」という本が出版されている
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宅間守の精神鑑定をした医師、岡江晃医師は事件から12年経った、2013年(平成25年)に本を出版しました。鑑定書のほとんどを治めた、「宅間守精神鑑定~精神医療と刑事司法のはざまで」という著書です。
出版後、半年ほどで岡江医師は「扁桃腺癌」の為に死去しており、この世を去る前に残しておく必要があると、執筆していたのです。宅間の脳の前頭葉に損傷があると見つけたのも、岡江医師でした。
出版後、半年ほどで岡江医師は「扁桃腺癌」の為に死去しており、この世を去る前に残しておく必要があると、執筆していたのです。宅間の脳の前頭葉に損傷があると見つけたのも、岡江医師でした。
副校長は「子供を守り切れなかった罪は死ぬまで許されない」とコメント
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副校長は、宅間を取り押さえた一人ですが、事件を防げなかったことに対して、激しく後悔の念を表しており、「子供達を守れなかった罪は死ぬまで許されない」とコメントしています。
実はこの事件の前年、1999年(平成12年)の12月に、京都の小学校で小学2年の児童が何者かに刺され死亡した、京都小学生殺人事件が起きていました。このことにより、当時の文部省は「安全管理に関する通知」を出していましたが、池田小学校では、口頭で教員に伝えた程度だったのです。
事件当日も、犯人の動きや児童達の被害状況など、情報を共有出来ておらず、通報なども遅れていた為、被害が拡大したとも言われています。亡くなった児童達も即死では無く、実は20分程放置されていたことによる失血死で、早く病院へ搬送されていれば、助かったのかもしれないということもあり、副校長の後悔はとても深いでしょう。
実はこの事件の前年、1999年(平成12年)の12月に、京都の小学校で小学2年の児童が何者かに刺され死亡した、京都小学生殺人事件が起きていました。このことにより、当時の文部省は「安全管理に関する通知」を出していましたが、池田小学校では、口頭で教員に伝えた程度だったのです。
事件当日も、犯人の動きや児童達の被害状況など、情報を共有出来ておらず、通報なども遅れていた為、被害が拡大したとも言われています。亡くなった児童達も即死では無く、実は20分程放置されていたことによる失血死で、早く病院へ搬送されていれば、助かったのかもしれないということもあり、副校長の後悔はとても深いでしょう。
附属池田小には「祈りと誓いの塔」が建てられる
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事件から3年後の、2004年(平成16年)6月8日、附属池田小では事件を風化させない為に建てられた、「平和と誓いの塔」の除幕式を行いました。
それから毎年、事件の日である6月8日には、「平和と誓いの集い」を開催し、今も犠牲になった児童達の冥福を祈り、学校の安全を改めて考える日としています。遺族や当時の被害者など、多くの人達が事件から10年以上経っても集まっているのです。
それから毎年、事件の日である6月8日には、「平和と誓いの集い」を開催し、今も犠牲になった児童達の冥福を祈り、学校の安全を改めて考える日としています。遺族や当時の被害者など、多くの人達が事件から10年以上経っても集まっているのです。
学校側の安全対策が見直される
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この事件をきっかけに、全国の学校では安全対策の見直しをし、様々な対応が撮られるようになりました。安易に部外者を入れない、警察立ち寄り所のシールを貼るなど、関係者以外の校内への立ち入りを規制を始めます。
また、子供達の名札は学校外ではしない、防犯ブザーの携帯も増えました。学校での防犯訓練も始まり、保護者達による見守り登校なども始まるのです。
また、子供達の名札は学校外ではしない、防犯ブザーの携帯も増えました。学校での防犯訓練も始まり、保護者達による見守り登校なども始まるのです。
心的外傷後ストレス障害を患っている人も多くいる
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2019年時点で、事件からすでに18年が過ぎました。当時被害に遭った子供達も、25歳前後になっており、前向きに生きていますが、やはりトラウマは中々癒えるものではありません。
被害者だけでなく、当時事件に遭遇した教師や、児童達、そして保護者などの多くが、心的外傷後ストレス障害を患い、不安や後悔を持ち続けているのです。
被害者だけでなく、当時事件に遭遇した教師や、児童達、そして保護者などの多くが、心的外傷後ストレス障害を患い、不安や後悔を持ち続けているのです。
事件後の著名人の反応
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附属池田小事件は、幼い命が突然奪われた衝撃の事件だった為、各方面からも反応が大きかったのです。怒りを露わにする人、悲しみに暮れる人、冥福を祈る人など、様々な反応がありました。
この事件は海外でも報道された為、世界各地での反響もたくさんあったのです。ここでは、事件後に起きた、様々な著名人の反応や対応を紹介します。
この事件は海外でも報道された為、世界各地での反響もたくさんあったのです。ここでは、事件後に起きた、様々な著名人の反応や対応を紹介します。
宇多田ヒカル「FINAL DISTANCE」を発売
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元々は、事件と同時期である、2001年(平成13年)に発売された、宇多田ヒカルのセカンドアルバム内の収録曲に、「DISTANCE」という曲がありました。
しかし、事件後に亡くなった児童の一人が、宇多田ヒカルのファンだと報道されると、その曲をアレンジして「FINAL DISTANCE」としてシングル発売したのです。この曲は、自分のファンであった犠牲者に、宇多田ヒカルが捧げたと言われています。
しかし、事件後に亡くなった児童の一人が、宇多田ヒカルのファンだと報道されると、その曲をアレンジして「FINAL DISTANCE」としてシングル発売したのです。この曲は、自分のファンであった犠牲者に、宇多田ヒカルが捧げたと言われています。
FIFAコンフェデレーションズカップで黙祷
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附属池田小事件の2日後に当たる、2001年(平成13年)6月10日に、FIFAコンフェデレーションズカップが開催されました。横浜国際総合競技場にて、日本とフランスの試合前に、両チームで黙祷が捧げられたのです。
1分間の黙とう中、テレビに映し出されたテロップには、「Pray for eight victims(8人の尊い命に対し、黙祷を捧げます) 」と流れ、世界中の人にも知られることになりました。
1分間の黙とう中、テレビに映し出されたテロップには、「Pray for eight victims(8人の尊い命に対し、黙祷を捧げます) 」と流れ、世界中の人にも知られることになりました。
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