目次
- 附属池田小事件
- 附属池田小事件の概要
- 大阪教育大学付属池田小学校に凶悪を持った男性が侵入
- 児童8名が殺害され児童13名・教諭2名が負傷
- 副校長や教諭に拘束され現行犯逮捕
- 最後の一人を刺し終えた後「あーしんど」
- 宅間守の生い立ち
- 旧薩摩藩の下級武士の家系で誕生
- 幼少期の問題行動
- いじめっこでありいじめられっこでもあった
- 小学校時代の問題行動
- 中学校時代の問題行動
- 高校は2校辞めている
- 航空自衛隊に入隊も除隊
- 数々の職を転々としトラブルを起こす
- 4回の結婚・離婚
- 附属池田小事件逮捕時は無職
- 宅間守の家系・環境
- 武家家系に誇りを持つ家柄
- 法律や警察関係の仕事をするものが多かった
- 厳しい修身教育
- 父親は暴力的でプライドが高かった
- 母親は家事・育児が苦手でネグレイトの疑い
- 実兄は宅間守の存在に病み自殺
- 裁判の流れ
- 精神障碍者を偽った言動を繰り返す
- 精神鑑定が実施される
- 死刑確定
- 裁判中に見られた数々の鬼畜名言集
- 「反省の気持ちない」
- 「3番目の妻を殺した方が満足だったかも」
- 「あの世でもおまえらの子供追いかけまわして、しばき倒したるからな」
- 「世の中勉強だけちゃうぞと一撃を与えたかった」
- 「わしの自殺の為の踏み台の為に生きていたんやな」
- 死刑確定
- 獄中結婚
- 死刑確定後半年以内に執行
- 要注意人物として24時間2人体制で監視
- 最後の言葉は妻への感謝
- 被害者への謝罪は一切なかった
- 事件後の影響・反響
- 「宅間守精神鑑定書」という本が出版されている
- 副校長は「子供を守り切れなかった罪は死ぬまで許されない」とコメント
- 附属池田小には「祈りと誓いの塔」が建てられる
- 学校側の安全対策が見直される
- 心的外傷後ストレス障害を患っている人も多くいる
- 事件後の著名人の反応
- 宇多田ヒカル「FINAL DISTANCE」を発売
- FIFAコンフェデレーションズカップで黙祷
- リオ・ファーディナンドが献花
- 橋下徹は「速やかに死刑にすべき」と発表
- 高校の同級生と噂される松本人志はノーコメント
- 様々な憶測はあれど事件の根本原因は未だ解明されず
いじめっこでありいじめられっこでもあった
via pixabay.com
宅間守の小学生時代は、自分より強い者にはいじめられていました。しかし、次第に強い者には媚びへつらうようになり、その鬱憤は自分より弱い者へと向けられていくのです。
宅間は自分より弱い相手を「奴隷」と呼び、自分のことを「宅間様」と呼ばせて悦に入っていました。相手が何もしていなくても、気に入らなければ突然因縁を吹っ掛けて暴力を振るったり、女子には唾を吐き掛けるなど、横暴さを見せていくのです。
宅間は自分より弱い相手を「奴隷」と呼び、自分のことを「宅間様」と呼ばせて悦に入っていました。相手が何もしていなくても、気に入らなければ突然因縁を吹っ掛けて暴力を振るったり、女子には唾を吐き掛けるなど、横暴さを見せていくのです。
小学校時代の問題行動
via pixabay.com
凶悪事件を起こす犯人は、その不満を自分より弱い者へと向ける共通点があります。特に殺人や強姦事件を起こす者は、必ずと言っていいほど、小動物虐待に走るのです。宮崎勤、酒鬼薔薇聖斗などを始め、残虐性を持つ人物は、人の前に小動物でその行為を試す習性があります。
宅間も人に対しても横暴さを出し始めましたが、それでも晴らせない鬱屈した感情を、やはり猫にも向けていたのです。小学生時代の宅間は、弱っていた猫を新聞紙で包み火をつけたり、ドラム缶で生きたままの猫を燃やす、布団に包んで川に流すなどの残虐性をすでに表していました。
小学6年生の頃に、実は宅間も、大阪教育大学附属池田中学校の受験をしたいと親に相談したのですが、「受けるだけ無駄や」とあっさり進路を否定されています。このようなことから、エリートへのコンプレックスも持ち始めたのかもしれません。
宅間も人に対しても横暴さを出し始めましたが、それでも晴らせない鬱屈した感情を、やはり猫にも向けていたのです。小学生時代の宅間は、弱っていた猫を新聞紙で包み火をつけたり、ドラム缶で生きたままの猫を燃やす、布団に包んで川に流すなどの残虐性をすでに表していました。
小学6年生の頃に、実は宅間も、大阪教育大学附属池田中学校の受験をしたいと親に相談したのですが、「受けるだけ無駄や」とあっさり進路を否定されています。このようなことから、エリートへのコンプレックスも持ち始めたのかもしれません。
中学校時代の問題行動
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思春期に入り、性欲が出てくる中学生になると、宅間は気になる女子や好きな女子の弁当に、こっそりと唾を掛けたり、精子を掛けたことがあると自身が告白しています。
何も知らぬまま、自分の唾や精子の掛かった弁当を、女子が食べている姿を見ることが好きだったのです。性欲や支配欲などが歪んだ形で表れ、そのような行動をしたのでしょう。
何も知らぬまま、自分の唾や精子の掛かった弁当を、女子が食べている姿を見ることが好きだったのです。性欲や支配欲などが歪んだ形で表れ、そのような行動をしたのでしょう。
高校は2校辞めている
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高校は、兵庫県立尼崎工業高校機械科に進学しました。高校生になった頃から、宅間は「自衛隊に入る」「パイロットになりたい」と将来の夢を同級生に語っています。
しかし、やはり問題行動は直っておらず、免許が無いのに400ccのバイクを買ってみたり、教師に暴力を振るうなど、奇行や粗暴さは増していきました。この暴行がきっかけとなり、2年生になると同時に宅間は退学して、兵庫県にある定時制高校に編入しましたが、学校には全く通わずに自然除籍となりました。
この頃、映画館のトイレで、後ろから女性に抱きついて、初めての強姦未遂もしており、この後の人生でも宅間は、性欲の捌け口として女性を襲うようになります。また、同時期に初めて精神科を受診し、神経症と診断されています。
しかし、やはり問題行動は直っておらず、免許が無いのに400ccのバイクを買ってみたり、教師に暴力を振るうなど、奇行や粗暴さは増していきました。この暴行がきっかけとなり、2年生になると同時に宅間は退学して、兵庫県にある定時制高校に編入しましたが、学校には全く通わずに自然除籍となりました。
この頃、映画館のトイレで、後ろから女性に抱きついて、初めての強姦未遂もしており、この後の人生でも宅間は、性欲の捌け口として女性を襲うようになります。また、同時期に初めて精神科を受診し、神経症と診断されています。
航空自衛隊に入隊も除隊
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学校を辞めてからしばらくは、ガソリンスタンドでアルバイトをしていた宅間でしたが、1981年(昭和56年)18歳の時、念願の航空自衛隊に入隊をしました。
山口県防府市の教育隊にて教育後、宅間は愛知県小牧市にある第一輸送航空隊の航空機整備に配属され、その後浜松基地に移動。
今度は続くかと思われた、航空自衛隊時期ですが入隊の翌年、家出少女を下宿に泊めて性行為をしたことが問題となり、自衛隊を除隊されてしまうのです。
山口県防府市の教育隊にて教育後、宅間は愛知県小牧市にある第一輸送航空隊の航空機整備に配属され、その後浜松基地に移動。
今度は続くかと思われた、航空自衛隊時期ですが入隊の翌年、家出少女を下宿に泊めて性行為をしたことが問題となり、自衛隊を除隊されてしまうのです。
数々の職を転々としトラブルを起こす
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自衛隊を除隊された宅間の人生は、ここから転がり落ちるように悪化していきました。暇を持て余し、家にいた息子に父親は軽トラックを購入し、運送業を始めるも上手くいかずに廃業。
その後もトラック運転手、引っ越し業者、マンション管理人、市営バスの運転手や、小学校の用務員まで数々の転職を繰り返しましたがどれも続きませんでした。
この転職を繰り返す間から、母親に暴力を振るうようになりつつも、一時期母と2人の同居期間があり、その時近親相姦の関係を結んでいたのではないかと言われています。その他にも婦女暴行で逮捕されたり、ライトが眩しいと対向車に因縁を付けて車を破壊したり、高速道路を逆走するなど数々のトラブルを起こしていくのです。
その後もトラック運転手、引っ越し業者、マンション管理人、市営バスの運転手や、小学校の用務員まで数々の転職を繰り返しましたがどれも続きませんでした。
この転職を繰り返す間から、母親に暴力を振るうようになりつつも、一時期母と2人の同居期間があり、その時近親相姦の関係を結んでいたのではないかと言われています。その他にも婦女暴行で逮捕されたり、ライトが眩しいと対向車に因縁を付けて車を破壊したり、高速道路を逆走するなど数々のトラブルを起こしていくのです。
4回の結婚・離婚
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宅間守は、4回の結婚をしていますが、そこに愛という言葉はありません。最初の結婚は、「看護婦とやりたい」ということが理由で、看護試験合格名簿を手に入れ、片っ端から電話を掛けてアプローチをした宅間。その中で、当時45歳で宅間より19歳年上の女性と出会います。宅間は医師と嘘を付いて、結婚しましたが、即座に嘘がバレてわずか12日で離婚しました。
その後すぐ、宅間の小学生時代の先生であった、20歳以上年上の女性と2回目の結婚。その結婚中に、テレクラにハマった宅間は、そのうちの一人を強姦事件を起こして離婚。その翌年、同じ働く宅間より44歳年上の、75歳の女性と何故か養子縁組をしますが、こちらも1年程で解消しています。しかも、この時この女性からは200万円の慰謝料をせしめています。
その理由となる原因は、宅間が参加したねるとんパーティーで出逢った女性に、一目惚れしたからです。宅間は戸籍をキレイにして初婚を装い、強引に結婚を迫り、3回目の結婚をしましたが、新婚旅行から宅間は暴力を振るい出したのです。この女性とも離婚し、4回目の妻とも5か月で離婚。元妻達に対するDVやストーカー行為では、逮捕もされています。
その後すぐ、宅間の小学生時代の先生であった、20歳以上年上の女性と2回目の結婚。その結婚中に、テレクラにハマった宅間は、そのうちの一人を強姦事件を起こして離婚。その翌年、同じ働く宅間より44歳年上の、75歳の女性と何故か養子縁組をしますが、こちらも1年程で解消しています。しかも、この時この女性からは200万円の慰謝料をせしめています。
その理由となる原因は、宅間が参加したねるとんパーティーで出逢った女性に、一目惚れしたからです。宅間は戸籍をキレイにして初婚を装い、強引に結婚を迫り、3回目の結婚をしましたが、新婚旅行から宅間は暴力を振るい出したのです。この女性とも離婚し、4回目の妻とも5か月で離婚。元妻達に対するDVやストーカー行為では、逮捕もされています。
附属池田小事件逮捕時は無職
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宅間は数々の転職と結婚を繰り返し、用務員時代に休憩室でオナニーしていたところを同僚に見られ、そのことを逆恨みしてお茶に薬を持って逮捕。その後、精神病を装って入院したり、通院したりしながらも、前妻達に慰謝料という名で強請る為に訴訟を起こしたりしています。
最後に仕事していた建設会社では、ダンプ運転中に進路を妨害されたと、前にいた大学生に暴行をして解雇されてからは、中々仕事も決まらずに無職でいました。
障害者年金などで食い繋いでいたようですが、事件前日は大家から家賃の取り立てにあっており、そのことが犯行を決意させたのかもしれません。
最後に仕事していた建設会社では、ダンプ運転中に進路を妨害されたと、前にいた大学生に暴行をして解雇されてからは、中々仕事も決まらずに無職でいました。
障害者年金などで食い繋いでいたようですが、事件前日は大家から家賃の取り立てにあっており、そのことが犯行を決意させたのかもしれません。
宅間守の家系・環境
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幼い時の家庭環境は、後の人格を決定してしまう大切なものです。凶悪犯罪者の多くが、幼少期の両親との関係が上手く築けず、愛情欠乏症になっています。
宅間守の凶悪な性格も、恐らくは両親の言動が原因の一端を担っていると言っても過言ではありません。ここでは、宅間守の家系や環境について、詳しく紹介していきます。
宅間守の凶悪な性格も、恐らくは両親の言動が原因の一端を担っていると言っても過言ではありません。ここでは、宅間守の家系や環境について、詳しく紹介していきます。
武家家系に誇りを持つ家柄
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冒頭でも述べましたが、宅間の家は薩摩藩の下級武士の流れを汲んでいます。そのことを、宅間の祖父や父も誇りに思っていたと父は語っていました。父と祖父は庭で、剣術の稽古として木刀での打ち合いをしていたとも話しています。
薩摩藩は特殊な土地で、徹底した男尊女卑思想と、上下関係の厳しさ、そして身分差別も多かったのですが、鬼畜な風習もあった土地です。武士達も食えない者は、略奪をして人を奴隷に売ったり、女性と交際を禁じて男色推奨をしていたり、逆に「おっといよめじょ」という、気に入った女を誘拐して関係を結び嫁にするという風習もありました。
最終的に明治維新で、長州と共に幕府を倒して政権を取ったことで、宅間家も薩摩藩士としての誇りを持っていたのでしょうが、地方による風習や思想は、何かしら影響を与えていたかもしれません。
薩摩藩は特殊な土地で、徹底した男尊女卑思想と、上下関係の厳しさ、そして身分差別も多かったのですが、鬼畜な風習もあった土地です。武士達も食えない者は、略奪をして人を奴隷に売ったり、女性と交際を禁じて男色推奨をしていたり、逆に「おっといよめじょ」という、気に入った女を誘拐して関係を結び嫁にするという風習もありました。
最終的に明治維新で、長州と共に幕府を倒して政権を取ったことで、宅間家も薩摩藩士としての誇りを持っていたのでしょうが、地方による風習や思想は、何かしら影響を与えていたかもしれません。
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