2019年8月26日 更新

江戸時代の人はセックスに積極的!セックスの歴史や驚くべき風習

昔から存在しているセックスですが実は江戸時代には今では考えられないようなセックスの常識がありました。活気づいていた時代のセックスの常識やそれよりも昔のセックスについて知り、様々なセックス事情の違いをじっくり勉強してみませんか?

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オナニー、それは今も江戸時代も変わず行われていました。現代ではアダルト雑誌やアダルト動画とネタは豊富にあります。しかし江戸時代も現代に負けず劣らずのネタがありました。

まず代表的なものは春画と言われる浮世絵です。男女が交わる浮世絵を見て女性は一人せせりと言われるオナニーをしていました。また江戸時代には大人のおもちゃのような張り形と言われるディルドのようなものもありました。

またそれが手に入れられない女性は棒状の野菜を使っていたそうです。周り中オープンにセックスをしているので一人でせせりたくなっても仕方ありません。現代の女性も隠してはいますが、オナニーをしている人はとても多いです。

江戸時代の不倫

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現代において不倫は刑罰にならないとはいえ妻を裏切る行為で法律の下裁かれます。不倫相手にも慰謝料を払わせることが当然ながら出来ます。

このように不倫と言うものはとても代償が大きい不貞行為と言えます。では江戸時代には不倫という概念があったのでしょうか?

ここまでで見る限り江戸時代はセックスにとてもオープンなイメージがあります。という事はもしかしたら不倫もありだったのかもしれないという疑念が生まれます。

その疑念が嘘か誠か知るために江戸時代の不倫について調べたのでじっくりと見ていきましょう。

不倫に対する処罰

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現代でいう不倫は江戸時代では「不義密通」と言われていました。江戸時代にはセックスの乱れを増やさないために「御定書百箇条」という幕府が作った六法全書のようなものがありました。

その中には「密通いたし候妻、死罪」・「密通の男、死罪」と定められていました。死刑になっても殺されてもいいと思い不倫をする人なんていないと思いたいところですが、実際はそのような事になっても良いと心中する不倫カップルもいたようです。

まさに命がけの不倫ですが、江戸時代に比べると現代はあまりにも罪が軽いような印象があり、少し残念な気持ちもあり複雑になります。

浮気相手の殺害はお咎めなし

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江戸時代の不倫は死罪という事が分かりいかに不倫という行為が重罪であるかという事が分かりましたが、実はそれだけで終わりません。

江戸時代では妻が不倫をしていて夫怒りのあまり妻を殺害したり、相手の男を叩き斬っても罪には問われず、不倫をする人は殺されて当然という世の中だったのです。

勿論みんながみんな殺していたというわけではありません。勿論話し合いで済む場合もありました。しかし、いかに不倫と言うものがダメな事かという事はとても伝わってきます。

今の世の中は不倫をしてもお金で解決という風習があり、中には払わない人もいるのでもっと他の方法もないものか模索してほしい人もいるかもしれません。

江戸時代にモテた男性のタイプ

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人間が数人存在すれば必ずしも平等というわけにはいかず、その中で人気のある男性とそうでない男性にいずれ別れます。現代では沢山の男性がモテると言われていますが、中にはそのようにモテたことのない男性もいるのです。

江戸時代にも現代と同じようにモテるタイプと言うものが存在していたようです。江戸時代にモテたタイプは色白で華奢・そして清潔感がある男性が人気でした。

その頃の江戸では建設ラッシュが起きていたので肉体労働の男性が多く、街には筋肉マッチョが溢れていたそうです。

その為筋肉はもう見飽きたといわんばかりに真逆のタイプがモテたそうです。今はどちらも人気がありますが、清潔感というところは共通しているのではないかと見受けられます。

江戸時代にモテた女性のタイプ

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男性同様女性にもモテるタイプが存在しますがそれは江戸時代でも同様です。現代では目がぱっちりしていて小柄だとか色白だとか様々なタイプがモテます。

江戸時代のモテる女性は色白が勿論ですが外見よりも風流で穏やかな女性がモテたようです。外見重視ではなく雰囲気が重要視されていたといってもいいでしょう。

また家事などはこなせなくてもモテたようで結婚を念頭にはおいていなかったようです。時代が変わればモテるタイプも変わります。

それでも根っこの部分は大きな違いが無いようにも感じるのでモテるモテないはその人たちが持って生まれたオーラなのかもしれません。

江戸時代の風俗【遊女】

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江戸時代の風俗はテレビなどで何となくイメージが湧きますがその内容の深いところまではやはり謎のベールに包まれています。

今の時代の風俗には様々な種類があり選ぶのも大変で値段も様々です。江戸時代も皆がお金持ちというわけではないので一体どんな風俗の種類があり、民衆はどのようにして選んでいたのでしょうか。

男なら誰でも一度は行ってみたい風俗ですがその時代によって勝手が違うのも当然と言えば当然です。では時代をさかのぼり江戸時代の風俗事情を少し覗いてみましょう。現代と比べてみるのもまた違った面白さがありそうです。

遊女とは?

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遊女と言う言葉はテレビなどで聞いたことがあり、江戸時代には遊郭という店があり女性が性的サービスを行っていました。

その名残が今でも吉原などの界隈に残っているそうです。元々は芸に秀でた女性を指す言葉だったのが様々な歌によって性的な仕事をする女性を指す言葉に変わっていったようです。

またこのような遊女の中にも位が存在し、太夫が最高峰の女性を指す名称でした。太夫と言う言葉が消滅した後は皆さんも一度は耳にしたことがある花魁に続きます。

このようなシステムは現代の風俗にも付け継がれていて、名称こそ違えど最高峰の風俗嬢はやはり一目置かれる傾向にあります。しかし最高峰ともなれば今も昔もお値段も最高峰なのは全く一緒です。

水揚げの儀式

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いかなる理由があって遊郭に来たとしても遊女になるからには必ず水揚げという儀式を通過しなければいけません。これは今の風俗には表立っては存在しません。

その儀式とは処女を捧げるというものなのです。勿論誰でもいいというわけではありません。お客さんはその女性がまだ幼い頃から目を付け遊女になるための修行をこなしここぞという時に申し出をしてくるのです。

勿論お店の側はいかにお金を出して長く通ってくれるのかを吟味します。なので処女を差し出す相手はお店のオーナーが決めるというような形になります。

勿論遊女になる方は断ることは出来ませんのでその時に恋も知らぬまま嫌でも大人になってしまいます。

花魁

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花魁とは先ほども少し触れましたが遊女の中でも最も位の高い、今でいう高級娼婦のような存在です。しかしこのようなくらいに着くには並々ならぬ努力が必要でなりたいからと言って誰でもなれるものではありません。

血のにじむ思いをしながら食いしばって生きた遊女の中のほんの一握りにだけ与えられた存在で、歴史にその名を残すほどの花魁もいました。

また稼いだお金でまだ幼い見習の禿の面倒も見なければならず、現代の風俗嬢よりもその苦労は遥かに多く感じます。

どれだけ綺麗に飾られても内に秘めた精神力は鋼のように強靭にしなければ務まらないのが花魁です。それでも裏切りや性病などに犯され短命だった花魁もいるので何とも複雑な気持ちになってしまいます。

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