2019年9月9日 更新

山口連続殺人放火事件の原因は村八分?裁判判決とその後とは

山口県で起こった連続殺人放火事件をご存知でしょうか?この事件のきっかけは村八分といういじめや「夜這い」という風習が関係していると言われ、「自業自得」とも言われている事件です。今回は、事件のその後や犯人に下された判決、犯人の愛犬も含めて詳しくご紹介します。

目次

Justice Right Case-Law - Free image on Pixabay (607913)

逮捕当初「殺害してその後火をつけた。私がやりました。」と犯行を認めていたとされる保見ですが、2015年6月25日に山口地方裁判所で開かれた裁判員裁判の初公判では、捜査時の供述を一転させ山口連続殺人放火事件の起訴内容を否認し無罪を主張しています。

保見は「火はつけていません。頭をたたいてもいません。私は無実です。」と述べていたそうです。弁護側も保見が犯行を行ったという決定的な証拠はなく、被告が事件当時妄想性障害の影響で心神喪失あるいは心神耗弱の状態にあったと訴えていました。

精神鑑定の結果

Man Face Psychosis - Free photo on Pixabay (607914)

裁判の流れとして、大量殺人を犯したとされる被疑者に関しては精神的に問題がなかったかどうかを起訴前に鑑定し、問題がないと判断された被疑者を起訴するという流れが出来ているそうです。

保見に関しては山口地方裁判所で一審が開かれる前に、起訴前に行われる鑑定と起訴後に裁判の争点が「責任能力」とされる場合に行われる本鑑定の2回の鑑定が行われています。保見は起訴前の鑑定で「完全責任能力」があると判断されていますが、それに対して本鑑定では「妄想性障害」があると判断されていました。

受けていたとする嫌がらせに現実味がない

Violence Against Women Domestic - Free photo on Pixabay (610232)

ネット上で保見に対し「可哀そう」などと言った同情の声が多数あがっていますが、これは保見が山口連続殺人放火事件を起こす前に、現場となった集落で嫌がらせを受けていたという情報が流れたためでした。村人たちからの嫌がらせに対して保見は「寝たきりの母親がいる部屋に隣の家の住人が勝手に入って来て、「ウンコ臭い」と言われた」

「車のタイヤのホイールのねじを緩められたこともあった」「犬の飲み水に農薬を入れられ、自分が家で作っていたカレーにも農薬を入れられた」など

嫌がらせの被害を訴えていましたが、村人たちがそんな無益な嫌がらせをする必要性はどこにもないことや、受けていたとする嫌がらせに現実味がないということで、精神鑑定の結果も踏まえ裁判所は「嫌がらせ」を保見の妄想と結論付けました。

被害者遺族が死刑を望む

Life Beauty Scene - Free photo on Pixabay (610237)

山口連続殺人放火事件で親を亡くした被害者遺族達は、山口地方裁判所で開かれた2015年7月8日の第9回目の公判で、被害者参加制度に基づいて保見被告に対する死刑適用を訴えましたが、被告は最後まで遺族に対する謝罪の言葉や事件の真相について口にすることはなかったそうです。

遺族の50代の女性は「娘として親の最期を知りたかったですが、遺族への誠意もなく、悔しいです。最後まで死刑判決が下ることを望んでいます。」と話しています。また、40代の遺族の女性は「5人とも殺されるべき人間ではありませんでした。たとえ保見被告が死刑になったしても納得できません。」と複雑な胸の内を語っています。

死刑判決が言い渡される

Prison Slammer Caught - Free image on Pixabay (610240)

2015年7月28日に開かれた第一審の判決公判で、山口地方裁判所の大寄淳裁判長は「犯行前後の言動から、被告人の保見が犯人であることは明らかで、さらに被告は自分が起訴された行為が犯罪である事を明確に認識しており、完全な責任能力を有している事は明らかである」と事実を認定しています。

そして「強固な殺意による残虐な犯行であり、罪責は重大で極刑は免れない」と犯行を非難し、当時山口県内で開かれた裁判員裁判の判決では初の死刑判決を言い渡しています。

弁護人は直ぐに判決を不服として広島高等裁判所へ控訴していますが、2016年9月13日に開かれた控訴審判決公判で広島高裁の多和田隆史裁判長は、第一審の死刑判決を支持し、被告人と弁護団の控訴を棄却する判決を言い渡しています。

最高裁へ上告するも2019年7月11日死刑が確定

Prison Cell Jail - Free photo on Pixabay (610416)

保見の弁護人は2016年9月14日付で判決を不服として最高裁判所へ上告しています。上告を受けた最高裁判所は公判の開廷期日を2019年6月17日に指定して、関係者に通知しました。

2019年6月17日に最高裁判所の法廷で開かれた公判では、保見の弁護人が改めて「犯行当時保見が神経耗弱状態だった」と主張していますが、検察側は上告棄却を求めて結審しています。

そして2019年7月11日15時、上告審判決公判が最高裁判所で開かれました。最高裁判所の山口厚裁判長は、一審と二審の死刑判決を支持して、被告人保見の上告を棄却する判決を下したため、保見の死刑は確定することなりました。

犯人の保見光成の経歴

Thieves Offenses Wanted - Free image on Pixabay (610809)

2013年に起きた山口連続殺人放火事件は死刑判決確定という形で、2019年7月11日とうとう終止符が打たれました。

実は一時期冤罪とも騒がれていた山口連続殺人放火事件でしたが、犯人の保見光成に責任能力があり保見の犯行で間違いないと判断されたため、情状酌量の余地もない大罪を犯したとして、保見は裁判で強く非難されています。

もちろん保見の犯した罪は決して許されるものではありませんが、ここまで残虐な犯行を行うに至った背景には、何らかの事情があったのではないかと考える人も少なくありません。ここでは、犯人保見光成の経歴について見て行きましょう。

山口県周南市金峰郷地区で生まれる

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保見光誠は山口県周南市金峰郷地区で、竹細工職人の父親の下、姉3人兄1人の5人兄弟の末っ子として生まれました。小学校は1学年に12~13人しかいないような小規模な学校で、同じ集落に保見の同級生はいなかったのだそうです。

小学校を出た保見は自宅から約7km離れた中学に入学しました。保見と中学3年生の時同じクラスだった男性は「保見はクラスの中で一番背が高く、175cmを超えていました。自分は当時135㎝前後と身長が低く、背の低さを同級生からからかわれた時、保見は『何をしとるんか』と言って割って入って助けてくれました。」

さらにその男性は「僕のことを(保見が)『マメ』と呼んで優しくしてくれました」と話しています。

中学卒業後東京へ上京

Tokyo City Fog - Free photo on Pixabay (610656)

中学卒業後は2~3人の同級生と一緒に最初は山口県岩国市の会社に就職しましたが、派遣された現場が「寝る場所が汚く不衛生だった」ため3か月ほどで会社を退職し、東京で左官工をしていた兄を頼って15歳で上京し、1994年の帰郷直前まで、千葉や川崎で20年以上左官工として働いていました。

仕事の腕も良かったと言われ、どこの現場に行っても悪い評価をされる事はなかったそうです。経済的にも不自由していなかった保見は川崎に在住していた頃はよくスナックに飲みに行っていたのだそうです。

仕事の仲間は女遊びも無駄遣いもほとんどしない気さくで人付き合いも悪くない人物だったと話していますが、一方で麻雀が大好きという一面も持っていたようです。

44歳の時にUターンして実家で両親と暮らす

Autumn Mountains October - Free photo on Pixabay (610663)

保見は40代になり「子どもの頃に見ていた金峰の景色が忘れられなかった」ことと、父親から「体調が優れないから戻ってきて欲しい」という要望もあり、故郷の金峰にUターンしています。しかし金峰では過疎化が進んで住民のほとんどが高齢者となっていました。

保見は職人の腕を生かして、高齢者の家に手すりを付けたり、段差をなくしたりするバリアフリー関係の仕事をすれば良いと楽観的に考えていましたが、その見通しは甘く仕事には恵まれなかったそうです。中学時代の同級生によると、保見は実家で両親と暮らしながら高齢者のために「便利屋」をしていたと言います。

両親にとっては親の介護のために戻って来てくれた親孝行な息子でしたが、高齢化が進んだ村の住民からすれば、自分たちに代わって色々とやってくれる便利な存在として映っていたようです。

両親の死別後近隣住民とのトラブルが増える

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